鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

まず、地図を見て考える13

 我々日本人は、基本的に酷く内向きで、そのキャラクター的にもどちらかといえば内向的傾向が強い、今風にいうならオタクな民族であるわけなのですが、それだけに、繊細で緻密な作業や工作、繰り返しの続く単調な実験や、そして、それらの積み重ねから生み出される論理的な考察や推論、そして偶然の中、積み重ねられた基礎的理論や経験の土壌から突如生まれ出る大胆な発想など、昨今では、ついに何もないところからあらゆる物事を作り出し、そして造り出すことに非常に長けてしまった民族です。およそ、世界の他の民族を眺めてみても、これほど何かを作り出すことに長けた民族を私は他に知り得ません。そして、この世界民族的にも稀有な資質は、過去の歴史において優れた戦略を得た時代に、文字通りに、ほとんど爆発的なエネルギーを発揮してその戦略目標をものの見事に達成してきました。勿論、それは、幾重もの非常な幸運にも恵まれてのことであったのも事実です。しかし、その数々の幸運は、やはり、先人たちの積み重ねた努力の集積自体が、そのあまりに豊かな土壌が、強くその幸運たちを引き寄せたのだ、と私は考えています。我が日本国に常に必要なものは、努力の積み重ねが至極当たり前に行える環境と、そして、その時代時代に適した優れた戦略だ、と私は考えています。現代に必要なその戦略が、私は、「世界の平和」である、と考えているわけです。

 もっとも、私が考えている「世界の平和」は、左翼やリベラルにエセ平和団体が行っているような、憲法九条のお題目を是も否もなく狂信的にただ唱えたり、民主主義側、自由陣営側の軍備や核のみに熱狂的に反対を訴えたりするものではなく、ありのままの世界の現実を見つめ、潜在的な仮想敵国とのパワー・バランスを積極的に維持する、つまりは、戦争を積極的に抑止するための能動的な「世界の平和」状態を目指すものです。現実に、本当に軍縮すべきな連中に限って、どう考えても過分な軍備や核を持ちたがるわけで、それを何に使うかといえば、彼らは当たり前のように他国への侵略や外交的恫喝に使ってくるのです。どう考えても、左翼やリベラルやエセ平和団体は、彼ら、一部特定勢力に向かって吼えるべきであるのです。なぜなら、我々民主主義の自由陣営側にとっては、すでに戦争は、豊かな自国経済を脅かすだけのあまりにそのコストに見合わない、リスクばかりが非常に高い、どちらかというと時代的にはすでに古い政治手段であるからです。特に、我が日本国のように、食料や資源を大量に輸入する貿易大国の経済大国にとっては、戦争なんてものは、どう考えても「百害あって一利なし」です。ただ、思いっきりぶん殴られないとわからないような、そんな相変わらず、頭の芯から腐っているような莫迦な国々が現代でも未だ存在するので、致し方なく、日米同盟と自衛隊が必要となってくるわけです。

 ただ、押し並べて良い戦略というものは、このようにいつもシンプルなのですが、その戦略目標を達成することには、想像を超えるような幾多の困難と試練が待ち受けています。特に、私が唱えるような能動的…積極果敢な「世界の平和」主義の場合には、一部特定勢力の狗の面々が、こうも日本社会の歪み…数々の既得権益に潜んでいる現在の我が日本国の状況では、かなりの組織的、或いは構造的な摩擦…ま、端的にいえば「邪魔」が入ることは避け得ないでしょう。それでなくとも、戦略というものは、その戦略目標の達成のためには組織的、かつ構造的な摩擦にどうしても晒されてしまうものです。しかも、能動的な「世界の平和」となれば、そこには必ず複数の相手国が存在するわけですから、この戦略目標の達成には、更なる困難が待ち受けていることが容易に想像することが出来ます。しかし、それでも、現在この地球に存在するすべての世界の中で、唯一、能動的な「世界の平和」を戦略目標に据えて真剣に、そして諦めることなく、延々とどこまでもその達成までの永い道程を莫迦正直に進むことの出来る、そんな民族的に凄いパワーを持つ民俗は、私には、我が日本民族以外には居ない、と思えて仕方がありません。つまり、私にとっては、「集団的自衛権」解釈問題と「防衛費の拡大」はあくまで手段であり、そして、それによって成すべき戦略目標が能動的な…積極的に勝ち取る「世界の平和」であるわけです。

 我々日本人は、あの大東亜戦争から60年余りを経て、今や、我が日本国の繁栄と平和という戦略目標を達成しつつあります。勿論、この戦略目標に終わりはなく、これから先も延々と追及すべき戦略目標なのですが、今や、世界の状況は変わり、冷戦後の安定期から動乱期へと移行するその合図である、世界恐慌の鐘が、今や世界の隅々のまで鳴り響いています。迷惑至極なことですが、アメリカという絶対的なパワーを誇っていた国が今回受けたダメージは、今後、どう考えても、これまでどおりのパワーを維持する…世界にそのプレゼンスを発揮することが難しいでしょう。日々減退するだろうアメリカのパワーに成り代わって、それによって生じる空白を、アメリカの代わりに埋める新たなパワーが今後どうしても必要となります。それが、未だに武力による膨張主義を夢見るような、現代では、すでに古臭い過去の亡霊に縛られているような、そんな危険な国家であってはならないことは誰にもわかることでしょう。少なくとも今、我が日本国以外に、それを成し得るだろう国家はこの極東アジアにおいて、そして世界に他に存在していません。また、武力によって他国を侵略もしないし、恫喝もしないと憲法に誓う、そんな奇特な国も他には存在していないのです。ならば、我が日本国が世界に生じるパワーの空白を埋めることが、結局、「世界の平和」に大いに貢献することとなり、また、以前からの我が国の戦略目標をも同時に達成することとなるわけです。

 そして、我が日本国のその歩みは、アングロサクソン・ブラザーズの築いて来た民主主義とは別の、日本民族流にカスタマイズされた、まったく別系統の民主主義として世界に認知されることでしょう。民主化にも、国々の数だけ色々ありますが、こんな民主主義の形、或いはやり方がある、と新たな選択肢を世界の人々、国々に明示することになります。そのことは、ひいては世界の民主化をより促進する上でも有益でしょう。それだけに、我々はいっそうの繁栄をどこまでも目指し、そして、そのためにもさらなる「世界の平和」を能動的に追求しなくてはなりません。後に続く人々、国々のためにも、この混沌とするだろう闇の時代において、その闇の先で、道標となって燦然と輝き続けることが望まれているのです。やることはシンプルです。これまでどおり、民主主義と法治を守り、そして、「世界の平和」と「さらなる繁栄」の二つの戦略目標を目指して、ただ延々と、我々が一番得意な、そのための実績を着実に積み上げて行くだけのことです。ま、私的な本音を正直にいえば、「うわっ、面倒クセェー!…orz」な現状では在るのですけど、他に、何か妙案があるかといえばそんなものはどこにもありません。誰か、頭のエロイ…偉い人にでも、真剣に考えていただきたいものです(笑)。まずは、次期衆院選挙ですねぇ(遠い目)。非常に大切な、世界の命運がかかっているかも知れない、そんな最初の一歩であるわけですが、ただ、どこまでも良い風が吹くことを私は願って止みません。ではm(__)m。

追記:信じちゃダメですよ(笑)。ネット上の情報は、「嘘付け!」ぐらいの気持ちで居るぐらいでちょうど良いぐらいですし、それに、しょせんこれらは欝で引き篭もりの戯言ですからね(笑)。ではm(__)m。