ここ最近の報道を眺めていて思うのですが、我が日本マスコミは、中国共産党の幹部に「日中友好報道に注力せよ」とのお言葉を賜り、まさに狗のごとく、中国経済指標のいい加減さや、軍備増大に核兵器増強、人権無視の極悪非道振りには目をつむり、「中国様なくば日本なし」といわんばかりの媚中報道に邁進し、かたや、日本経済に関しては、お金を恵んでくださるスポンサー様に対して媚びへつらい、いわゆる「輸出バブル」状態のときにも不況と危機を煽る報道によって、実際に人件費抑制に大きく貢献し、また、不安を煽る事で中国様の経済面での期待度を、過度に我々日本人に植え付けようとしてきました。
まさに、
金と権力の狗
とは、彼らのためにある言葉、といっても過言ではありません。勿論、以前からの繰り返しになりますが、全てが全て、業界全体が完璧に腐りきっているわけではないのでしょう。さすがに1人や2人は、我が身を削り命をすり減らして「報道」に身を捧げんばかりの人もいるのでしょう。幾分条件を緩めて、割とマシな部類の人間なら意外に多くの人が、今なお業界には確かに存在しているのかも知れません。しかし、現実的に、高いレベルに到達する人の数が限られている現実がある限りにおいて、多くの人々は、やはりそこに至るまでに実際に挫折するわけです。この構図は、他のどんな業界であろうとも変わりません。
限られた一部の人々が余人の届かぬ高みに達し、また、それを維持するためにはそれなりのコストを…単に金銭に限らず…支払い続けねばなりません。それゆえに、彼らがそれに見合う報酬を手にし、また、それに見合う労働環境を手にする事には私は全く異論がありません。それだけの価値が実際にある人々は、それに見合うだけのものを手にして、さらにピラミッドの頂点を高くし、それによって、その業界の裾野を広げることで社会全体の発展に大きく寄与することにもなります。しかしこれは、あくまでも適度な競争状態にその業界が成り立っていなければなりません。法に守られ、一切の批判反論を受け付けず、また、具体的に罰する、罰せられ不利益を受けるシステム…機構のない業界では、特に何もせず、何も成さず、機械的に決まった事しかしない上、声だけ大きい無能な人間が蔓延るのは致し方のない事なのです。
彼らの全てがそうとは言いませんが、しかし、その多くが人としての矜持や職業的理念を持たず、物理的な暴力を行使できる権力の前に跪き、目の前に積み上げられる金の誘惑に抗えないことは、我々人類の歴史が、それがまぎれもない現実であり事実である事を教えてくれます。繰り返しになりますが、完璧に業界全体が腐りきる事はあり得ず、極限られた良心的な人々が存在していたとしても、往々にして、それらの人々はステータス…地位や名誉欲に薄く、金銭に対しても必要以上には興味を示さない事が多く、自らのスキルやセンス…技術や資質、才能を高める事はあっても、業界全体をどうこう出来る権力を手中に収める事には興味がないケースが多いのです。必然的に、スキルやセンスを磨く事よりも、ただ、権力欲を満たす事こそに意義を感じる、業界的には無能の烙印を押されるような、そんな欲に特化し、引き換えに能力を磨く事を疎かにした無能な人間ほど、その座に収まりやすくなるわけです。
個人レベルで見ればけしてそうでなくとも、業界全体、その総体としては、圧倒的多数の無能で有害な人間の方が僅かな良心的な人々を圧倒してしまう事は、我々、人類社会では良くあることなのですが、それを防ぐために、法や罰則などのカウンター・パートを設けて、ある一定以上の腐敗が蔓延らぬよう予防措置を講じてあれば、その法や罰則に全ての人が従う限りは、その業界は健全とはいえないまでも属する社会における一定の価値を発揮し、また、その業界よりも優れたカウンター・パートが現れぬ限りにおいて必要ともされるのです。その点で見る限り、現在の我が日本マスコミが、我々多くの日本人にあまり価値を認められていない、必要とされていないのは仕方がないことです。我々日本人を騙すことはあっても、正しい、ためになる情報を伝える事の少ないマスコミ業界が、騙される事もありますが、免疫さえ付けば正しい、ためになる情報の得られるインターネットというカウンター・パートに敗北する事は人の世の必然といえるのです。
ま、長々と書いてきましたが、要は、我が日本マスコミはしょせん
金と権力の狗
にしか過ぎず、疑う事はあっても、微塵にも
信用してはいけない
と、極ありきたりな結論を書いて(笑)、ではm(__)m。