鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

彼らこそ正真正銘の(笑)15

 ま、気にし過ぎなのかも知れませんが、現在の私は、保守派の財政出動派で構造改革派であるわけですが、元々が財政規律派であった財政出動派ですから限度のない、さらに効率の悪い無駄な支出は嫌いますし、また、構造改革派といっても、読んでそのまま字のごとく、構造、その作りや仕組みを改革、良い方へと改める、というシンプルな意味で使っています。けして、コーゾーカイカク(歳出削減)教なる意味合いで構造改革派を称していませんのでご注意下さい(笑)。

 まあ、そもそもの話が、以前は極左の今は保守派で、財政規律派から財政出動派の、さらに構造改革派でもあるわけですから、その視点で物事を見たときに、既存の公務員労組による負の構造、それによって我が日本国にもたらされ、日々悪化の一途をたどり続ける非常に効率の悪い無駄な政府支出、それを実際に牛耳っているのが、かつての醜く浅ましい、卑しいばかりであった自分を映す鏡のような極左の連中、とくれば、それを「非難するな」という方が今の私には無理な話です。ましてや、今まで小泉改革から続いて来た「緊縮財政」によって、我が日本国で最大最悪の負の構造の公務員労組がその影響力を抑えられ、その他諸々の負の構造をも抑えられていたものが、金融危機にともなう今回の一連の財政出動によって復活する、彼らが復活せん、とする事が手に取るようにわかるわけです。

 はっきりいって、私的には、これはそもそも善悪の自覚のない、罪の意識の非常に希薄な犯罪者集団に向けて、自由になる金を無条件に渡すようなものですから、それをそ知らぬ風にはできませんし、またそれができるなら、わざわざ保守派に転向などしていません。きっと、今でも、彼らと共に手と手を取り合って、他人を見下し嘲笑いながらホルホルしていた事でしょう。

目的のためなら手段を選ばない

という言葉の、その真の意味を正しく実感できる方が、私からすると我が日本国には少なすぎます。しかも、その事自体に善悪の自覚がなく、罪の意識の非常に希薄な連中が徒党を組むとき、そこには良心の欠片もありませんし、わずかな憐憫の情すらもどこにも存在はしません。言葉をいくら連ねても、彼らのその恐ろしさの本質を伝えるのは難しいのですが、例えていうなれば、邪教を熱狂的に狂信し、その残虐極まりない教えをどこまでも妄信する人々の群れに、何もなしで放り込まれるような恐怖、と書けば、少しはそのニュアンスぐらいは伝わるのかも知れません。

 そんな感じの、実感できるリアルな恐怖感が、私には常に彼らにあるものですから、余計に様々な事が平均的日本人に比較して、もう病的なぐらいに気になるわけです。特に、その危険性を微塵にも認識することなく、猛獣の檻の扉に手をかける事を煽ったり、他人に勧めている、と思えるような事をしている方を見ると………考えてみれば、これは、現在の私が鬱に悩まされているのも仕方がないのかも知れませんね(笑)。ただ、やはり、小泉政権前とそれ以後の変化を歪めるような動きには、理屈を超えた嫌悪感を覚えます。経験によって、これは私に刷り込まれたものですから、どうしようもない、仕方がない事のでしょうけどね。

 で、昨日の続きなのですが、だからといって、政府与党の自民党が完全にクリーンになり、また、完全に、いわゆる「開かれた国民政党」になったわけでもないことは、先の郵政に関する自民党内のイザコザを見てもそれがうかがい知れます。以前にも書きましたが、改革をその看板に掲げて、クリーンなイメージを保っていた議員らの、国民からのその不便さに対する要望を無視した形で、郵便事業の統合をまるで政権転覆も辞さないような激しさで議論封殺した事や、また、未だに公に列挙できるような郵政改革の功績もなく、単なる事なかれ主義の典型的な無能な銀行マンであることがすでに明らかで、今や、郵政改革のシンボルとしての意味しかない西川社長の続投に彼らが異様に固執した事からも、彼らがそこに、絶対に政治家として引けない何かを持っていた事を示すものです。

 勿論、それら郵政関連の問題を次々と引き起こした、あの「正義」をやたらと振り回して、我が日本国の数々の国益を左右するような重要なイベントが目白押しなこの時期に、まるでそこ狙ったかのように、タロサや自民党の支持率を下げん、としている言動に日夜いそしむ鳩山前総務相も、一連のその行動を見つめていれば、その本音が別のところにあることが透けて見えます。その本音の正確なところはさすがにわかりませんが、ただ、それほどに「正義」であったり、「当たり前の事」が通らない世の中であるのであれば、例え、一時の汚名や非難を浴びようとも総務相の役職に留まり続け、郵政に干渉し続ける事こそが政治家としてのその本分です。何を嫌ってか、或いは何を避けたいのか明確には知りませんが、いずれにせよ、個人的な理由を公の責任よりも優先した上に放り出し、その上で、さらに騒ぎ立てて関係各位に迷惑をかけ続け、しかも自民党の離党だけはしないその姿には、どこにも彼の振りかざす「正義」とやらがありません。

 まあ、そもそも、今回の郵政問題の顛末を見ていますと、かつての郵政利権を手放した側の郵政改革反対派が、仕方なく手放さずにはおれなかった、勝手知ったる郵政の今までの利権や改革によって生じる新たな利権を、「改革」という美名の下、郵政改革派が国民の目が届かないのを良い事に、好き勝手に漁る事が許せなかったので、そこでそれを公にして、国民からの支持の下に郵政の実権と利権を取り戻し、あわよくば、郵政改革そのものを潰す狙いがあった、のだろうと私は考えています。郵政における、その負の構造を再び手にして、自民党内での過去の栄光を取り戻したいだけだったのでしょう。鳩山氏の辞任に対し、西川社長の続投と引き換えにして、郵政幹部4人からなる「チーム西川」の解体、提出された業務改善報告にある「経営諮問会議」という、すでに設けられている経営監視のあれこれの上に、さらに労組や郵便局長会をもそのメンバーに含む新たな諮問会議の設置は、実質、郵政改革反対派の監視の目を入れて、郵政改革派の一方的な利権の好き勝手し放題の現状を変えようとするものです。良くいう「手打ち」ですね、これは。

 実質的には「手打ち」が結ばれたわけですけど、それが国民不在の上で、しかも、その実情が多くの人々には非常にわかりにくいところが問題で、結局、真の問題自体も何ら解決していないところが現在の自民党の限界であり、そしてまた、その他の党を見比べてみても、しょせんはそれ以下でしかないところに、我が日本国の政治のそのレベルの低さを感じます。そして、それはまた、我々日本人全体のそのレベルの低さを表すものでもあるわけです。これは、全てのその責任が我々日本人に帰するものではありませんが、同時に、この状況のその責任を誰かに全て押し付けたり、求めたりできるものでもありません。確かに、彼らが我が日本国に持ち込んだ価値観は異質で、かつての我が日本国には極めて馴染みのないものですが、それでも、1歩この国の外に出れば、それはあまりにもありふれたものにしか過ぎません。


騙される方が悪い


 古くからの日本人の感覚では、なるほど、これはあまりに下衆過ぎて馴染まないのかも知れません。しかし、これは彼らの国の価値観では至極普通の常識でしかありません。世界では、基本的に富は自ら育むのではなく、他者からいかに奪うか、が当たり前なのです。これは単に彼らにとって、我々とは違って、実際にそうした方が楽なのです。そんな下衆な連中が、我が国の負の構造を手中に収め、今やそれにすがるのも当たり前といえるでしょう。まさに、


無能な金と権力の狗


とは、我々が、彼らをそう呼ぶためにこそある言葉であるのかも知れませんね。

 今日のところはこの辺で。ではm(__)m。