鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

彼らこそ正真正銘の(笑)17

 28日の日曜日は、久し振りに顔を合わす懐かしい友らとのバーベキュー大会に参加しました。女性陣らには、その一部には不評を買ったものの、それでも久し振りにビールを中心に痛飲しながら、諸々の旬な政治的な話題を提供し続けた一日でした(笑)。

 一番反応の良かった話題は、現在の日本マスコミの異常さについてです。手っ取り早く、我が日本国における、明らかに異常で異質な世代である、いわゆる「団塊の世代」の「良い団塊の世代」と、その反対の「悪い団塊の世代」のその成り立ちから始まって、結局、両者がその後、それぞれいったい何を我が日本国にもたらし、また、何を成したかを中心に、色々と話し尽くした一日でした(笑)。

 驚いたのは、現在、ネットに日々接続していない方々でも、現在の、日本マスコミによる、民主党への極度の偏向具合に日々疑問を感じ、かなり胡散臭い、という視点でそれらを眺め続けていることです。日教組による左翼教育を全身に浴び、その教育の退廃を嘆いていた私にとって見れば、それでも、我が日本国の教育は、かの国々比べて、遥かに高い水準である事を再認識した一日でもありました。

 もっとも、現在の教育水準が実際にいかほどであるかは、現在も子供のいない私にとっては、ひとづてに聞いた話から推し量るしかないのですが、それでも、私が想像していたほどには崩壊しているわけではないようです。無能な上に、金と権力の狗として、その高い給与を享受した上に、子供たちに不毛なイデオロギーを吹き込む連中も未だ居るようですが、その反面、彼らとは距離を置く教師の存在もあるようで、我が大阪においても、意外とその勢力は拮抗しているのがその現状のようです。

 先の参議院選挙で、日教組などに属する勢力が息を吹き返したものの、その後、橋本知事の就任によって、再び、日教組勢力が押し返されつつあるのが現状のようですね。何より、橋本知事の「民意に沿わない候補は、選挙で落とせ」との言が利いているようで、特に、ダイレクトにその親のリアクションが還って来る子供の教育に関しては、私などが思っていた以上に、その親御さんの意見がはっきりと反映されるそうです。「モンスター・ペアレンツ」と言い捨てる左翼教師に、「モンスター・ティーチャー」と返した話には大笑いしました(笑)。

 先の参院選を経て、その後の様々なその成り行きから、ネットとリアルのその障壁を越えて、現在、様々な形で事態が進行しつつある事を深く認識する一日でもありました。驚いたのは、民主党のその異常さを知らせるためのチラシが、古い公共団地にも、いずこかのネット・ユーザーらによって、どうやら配布されている、とのことです。ネットの中に留まることなく、このリアルでも、明らかとなりつつある真実を広めるための、ボランティアによる地道な運動が成されているようです。そこで、そのチラシで紹介されていた、という「民主党の正体」というWIKIサイトをアンテナに登録してみました(笑)。

 普段、我がブログを訪れていただいている方々には、すでに充分周知な事ばかりでしょうが、それでも、足らざるを足すべく、一度訪問される事をお勧めします(笑)。ま、再確認以上の情報があるわけでもないのですけどね(笑)。それにしても、普段は酒の飲めない男性陣(車を運転するから)受けするような話が、女性陣らに大受けするのが意外な一日でした。それだけ、我が日本国の先行きに、私が考えている以上に、大勢の人々が得体の知れない不安感を抱いている、という、これはその証左といえるのかもしれません。

 ま、いつものごとく、前置きばかりがやたらと長いのですけど、ここ数日のマスコミの流行として、タロサ本人が、日々の会見でそれを明確に否定しているにもかかわらず、自民党役員人事がどうとか、内閣改造がどうとかいう報道が横行していますが、これは、組織票に頼る自民党内のリベラルや古い体質を引きずる、現在、自らは余裕がある、と考えている連中の猟官運動の雰囲気作りと、自民党内が混乱している印象を与えたいマスコミ各社が、単に互いを利用しあっているだけですね。

 目先の事だけに汲々とする自民党議員と、とにかく、近い内にある衆議院選挙のために、その混乱振りをクローズ・アップして政党支持率を下げん、とする日本マスコミとの、互いの利害の一致したコラボであるわけです。組織票による安心感から、役職の猟官運動に励む余裕のある政治業者である幹部議員から、民主党による政権交代によって、現在の自らの立場の保証を確立したい現在のマスコミ幹部、どこぞの狗に成り下がった、我が日本国における異質な存在である「団塊の世代」が、「田植え祭」の監視ギリギリの境界を狙ったものでしょうね。最低限、その「事実」だけは、かろうじて存在するわけです。ほんと、ギリギリですけどね(笑)。

 現在の我が日本国の諸々の問題、その焦点に居るのが、現在、各界首脳の地位に居る、いわゆる「団塊の世代」です。勿論、「団塊の世代」と呼ばれる人々のその多くが、我が日本国の、いわゆる「高度成長期」を実際支えて来た事に、私は何の文句もありません。真面目に先代からの技術を受け継ぎ、自らの代の研鑽によって、さらにその技術を高めてきた、偉大な「良い団塊の世代」抜きにして、現在の我が日本国の繁栄は語れないのは確かです。しかし、その一方で、先の大戦の敗戦によって、先の世代への反感をもって学生運動に身を投じ、「やったモン勝ち」や「目立ったモン勝ち」のような、安易な経験則を備えてしまった「悪い団塊の世代」の存在なしに、現在の我が日本国の現状は語れません。

 自らのその能力を高め、さらに高みを目指した多くの「良い団塊の世代」に対し、その一方で、自らのその能力を過大に見せ、また、先代から受け継ぐ事を拒んだ、我が日本国には異質な思想を受け入れ、その低いモラルを嬉々として自ら受け入れた「悪い団塊の世代」は、おのずと、互いの行く道筋を違える事となります。かたや、先代の技術を継承し高めてゆく地道な技術者や、技術官僚の地道な能力主義の世界へ、かたや、学生運動によって、見せかけだけの地位や権威だけを志向するばかりの、過度な選民意識に基いた自信過剰だけが取り得の人々は、非能力主義の地位と権威が何よりもモノを言う当時の上流社会の一員となる事を目指します。本来ならば、彼らのような能力のない見せかけだけの人間は排除されるべきでしたが、やたらと声の大きな人間に対し、当時の日本人はそのような異質さに免疫がなく、易々と彼らの侵入を許してしまいます。

 彼らの語る話は、当時のナイーブすぎる、世界では当たり前の「騙される方が悪い」式の考え方を知らない多くの…主に貧しい日本人らが、思わず夢見るような美辞麗句に満ちており、それが、頭から単なる見せかけだけの欺瞞や嘘である、とは、未だ当時の人々には見抜けぬ世界ずれしていない、情報の少ない時代でもあり、多くの人々の共感を集めて行きます。ちょうど、現在マスコミらがテレビや新聞を通じて、多くの日本人に日々訴えかけている事と同じ構図です。ある、一方向だけの決まり切った情報だけが流され、それに対する反論や、懐疑の声は、大勢を占める大きな声に圧倒される構図です。ただ、当時と今が違う点は、インターネットの登場によって、日々、ネット・ユーザーらが、多様な知識と見識の蓄積による情報の共有によってここの判断力を常に底上げし、時間の経過と共にその仲間を増やし、数の上でも、ついに彼らの存在をも圧倒してしまった事でしょう。ま、物理的に、嘘や欺瞞を見抜ける人の数が、彼らの数を遥かに凌駕してしまったわけですね。

 今日のところはこの辺で。ではm(__)m。