鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

彼らこそ正真正銘の(笑)19

 今や、単なる金と権力の狗らによる巣窟となり、そのプロパガンダ…政治宣伝の工作機関と成り果ててしまっているNHKこと狗HKが、昨日、隠蔽し続けていた民主党鳩山代表の、いわゆる故人献金の釈明会見を短く報じましたが、政権交代が叫ばれる中での、二大政党の一角である政党代表の明らかな政治資金規制法違反事案を、その会見のたびに否定されている、自民党役員人事や内閣改造牽強付会…こじつけで無理矢理その話を大きくし、それによってかかる事案の注目度を何とか下げん、とする、その滑稽なまでの狗ぶりに、狗に堕することのその意味を改めて再認識しました。

 我々日本人が住まう我が日本国は、現在、歴史的ともいえる過渡期…移り変わりの最中にあり、彼らは、小泉氏が始めた、より民主主義…民意に基く法治国家への、その歩みを何としてでも止めたい、というわけです。なぜならそれは、彼らの、その特権階級的に日本国民の多くを騙して搾取し続ける、その立場を保証し、保障する、我々日本国民にとっての負の構造…私がいうところの「汚職と搾取の循環システム」を壊される事を意味し、自らが、いつまでも私利私欲を貪れる今のその立場を、圧倒的な民意によって追われる事にもつながるからです。まさに、彼らは、文字通りに金とそれを保障する権力、この二つの単なる政治手段をこそが、我がその目的の


金と権力の狗


といえるでしょう。

 彼らが成したい事は、単に、現在の我が日本国の不完全な民主主義の状態、その機能を不全のままに維持し続けて、国民を騙し、国民が本来得るべき利益を搾取し、それを彼らが貪り続けるという、現在の、この狂った我が日本国のその状態を維持したいだけにしか過ぎません。その目的のためであるなら、使えるものは何でも使い、やれる事はどんな事でも戸惑いなく、そして躊躇なく彼らは行います。それが、彼らがこれまでその立場を維持し続けてきた、その行動原理とのなる、基準となる絶対の経験則であるからです。それが


目的のためには手段を選ばない



騙される方が悪い


という、それまでは、我が日本国では、一部の階層や特殊な境遇の人々を除く、多くの日本人にはあまり注目された事のない二つの経験則です。

 この種の経験則は、本来、我が日本国には馴染みの薄いものだったのですが、それもそのはずで、多くの日本人は、当時の世界のほとんどの国とは違って、経済を永年続く信用取引で築き、村社会が主流のために社会の不備…主に社会保障の不備を助け合いで補完し合うのが当たり前でしたから、自然、社会の、そして村のルールを守り、それに外れない事でその生活が保障される仕組みのため、また、それが壊されるような出来事が、それまでの仕組みを根底から覆すような、他国からの深刻な侵略のような、そんな大きな出来事を国家的に受けた事が、あの大東亜戦争まで一度もなかった事も、世界でも特異といえる、この、我々日本人という独特すぎる民族を永い時間をかけて形成することになりました。

 そんな日本人が、あの大東亜戦争に敗れ、戦勝国であるアメリカからの新しい価値観を押し付けられ、日本社会のその構造そのものが激変していた時代に、その一方で、戦争の終結により、また、アメリカからの援助によって、人々のその生活が貧しいながらも安定した事で爆発的に多くの子供たちが生まれ、そしてそれが、後にいわれる団塊の世代であるわけです。彼らは、先代の敗戦というその大失敗を間近に感じながら成長した世代であり、同時に、単純にもの凄く人数が多いというあまりにも競争の激しい、それまでの我が日本国にはなかった世代であり、先の時代の否定という下地を持ち、日本的ではない、逆に、世界ではありふれた競争意識を、しかし、それも過度の競争意識をその環境から持たざるを得なかったです。

 過度の競争意識から来る彼らのその危機感は、彼らに、それまでの日本的な思慮深く、慎み深く、そして調和的という美徳よりも、まず行動し、派手に立ち振る舞い、そして独善的に物事に対する事で、実際、より良い環境を手に入れられるという異質な経験則を植えつけることになりますが、しかし、その多くは、その貧しさから技術を求め、後の高度経済成長をその足元から支える基礎となり、その特質から、色々と世代間の軋轢を生み出すものの、我が日本国の繁栄にとってはなくてはならない存在へとなります。これが、私のいう「良い団塊世代」です。実際、彼らの多くは額に汗し、日々その技術を高め、さらに経験と知識を蓄積して後の世代に繋ぐ、日本的な伝統を受け継ぐ存在です。

 さて、問題は、先の敗戦の記憶から、その日本的な伝統を受け継ぐ事を否定する下地をそもそも備え、過度の競争という環境の中で、日本では異質な経験則を備えたままに、当時の様々な、そして深刻な鬱積をその身に抱えた一部の団塊の世代なのですが、これが、海外のアメリカ民主主義による支配を望まない勢力と、そして、当時の日本国に敗戦後大量に流入してきた、あの捏造と謝罪要求民族に目を付けられる事となります。

 一方は、その戦前から、我が日本国への浸透を目指しましたが、軍部に武力で抑えられて、敗戦によって解放される事となった共産主義勢力で、彼らが


目的のためには手段を選ばない


という教義の下に、美辞麗句で飾り立てたその共産主義の下地を日本国内のあらゆる階層に拡げますが、それを利用して、


騙される方が悪い


という世界、大陸、その半島の価値観の下に行動するあの民族が、自らのその立場を我が日本国で強化するために利用する事となります。一部の団塊の世代が、日本では異質な二つの下地を抱えていたのは確かですが、それでも、その本場である二つの勢力からしてみれば、相手はしょせん日本的文化の中から生み出されたものに過ぎず、また、実際に彼らのそのえげつなさにはかなうわけもなく、赤子の手を捻るかのごとく、彼らは一部の団塊世代を取り込む事に成功します。

 その基準は簡単で、実際の能力はないが選民意識ばかりが高く、自己顕示欲の高い人物で、何らかの深刻なコンプレックスを抱えている事…つまり、根本的には莫迦だがプライドだけは高く、目立つ事や注目される事でそいつの劣等感が癒せるようなタイプであれば、後は、わずかな実利さえあれば喜んで操られるような人物、なのですが、未だ貧しかった当時、我が日本国には掃いて捨てるほどにそんな人間は居て、現在…もう、20年ほども前の話ですが…のように苦労する事はなかったそうです。また、当時、大陸のもう一つの国は、終戦後も続いた国内の内戦とその平定、さらに建国の方に夢中で、現在のように日本国に余分な力を割く余裕は未だない状況でした。実際、朝日の赤化と、その後でその勢力が入れ替るのももっと後の事ですし、また、最近は、あまりのその特定国への傾倒ぶりに売り上げが激減し、その結果、本来の旧来勢力の撒き戻しがあるようですね(笑)。新たな戦いが、我が国で再び展開されているわけです(笑)。

 とにかく、私のいう「悪い段階の世代」が、当時すでにあった危険な左翼思想の下地に取り込まれ、いつしか、それが二つに大きく割れることになる60年安保の時代までを、かなり端折ってまとめてみました。だいたいこんな感じで話したと思います。

 今日のところはこの辺りで。ではm(__)m。