鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

彼らこそ正真正銘の(笑)20

 で、前回、危険な左派の下地を提示したわけですが、この二つを60年安保闘争を境に考えますと、


目的のためには手段を選ばない


という、より戦略的に共産主義革命を目指した方は、この当時、その国々の現実に接して違和感を感じ、すでに大陸側からのその干渉を嫌って、その組織の改変を進めつつありました。大陸側の腐敗の影響や、その作り出された社会実態が、しょせん日本人には馴染み難いものだったからです。

 日本的なクリーンな共産主義のイメージ戦略路線は、それを受ける、当時の貧しい国民側には好評でしたが、一方で、現実にあわせて軌道修正するいわゆる修正主義派や、頑固に理論を守らんとする教条主義派の対立や離反を招き、離反した各派は、さらに些細な意見の違いで分裂する事を繰り返します。結果的に、共産主義のその真の危険性に気付いたアメリカや、当時の政府の取締りがそれに拍車をかけていきます。しかし、当時は左派勢力の右肩上がりの時代であり、新し物好きの日本人、初心な多くの団塊世代の若者を中心に取り込んでいきます。

 その一方で、


騙される方が悪い


という、より場当たり的で、そもそも戦略性を持ち合わせていなかった側は、その多くが、自らの立場の保障のために、もっといえば、生活手段としてのその利用を、60年安保闘争の左派勢力のその組織や、その運動などに見出して行きます。先の勢力が共産主義思想の日本国民への浸透から始まり、最終的に、その共産主義革命の成立を戦略的にロード・マップ…工程表に基いて進めていたのに対し、この勢力は、もっと即物的に当面の生活のための糧として、その思想、組織の構築、様々なその運動技術を見ていたわけです。目をつけた彼らは左派組織への浸透を開始し、結果的に組織の主流を掌握しますが、それは単に、何かの戦略があったわけではなく、単によりよい生活のための結果に過ぎませんでした。

 結果的に、元々が戦略に基き、より悪質ゆえにその思想の先鋭化が抑えられず、多くの分派勢力が大陸側の影響もあって孤立化を進め、さらにその後滅んだ事は皆さんもご承知の事でしょう。我が国の共産主義のその本流も、結局、大陸から離れて独自路線を進めたものの、その思想に固執するという頑なさのために、豊かになり、変化し続ける日本社会の中で波を打ちながらゆっくりと衰退して行きます。生真面目さだけでは、豊かに変化する社会では対立ばかりを生むだけで、結果、どこかで妥協する事の必要な資本主義経済の中で、その融通の利かなさが仇となり、頭の固い硬直した組織は時代に取り残されて行くことになりました。ま、しょせんは、単なる頭でっかちの集団に過ぎず、元々はそんなに能力があるわけでもありませんし、繰り返す事は覚えられて実践できても、物事に応用を利かせるほどの才覚を持ち合わせていなかったわけです。

 さて、その一方で、自らが日本国民に浸透するその一方で、共産主義本流が自らに浸透してくる別勢力に対しての備えができていなかった事に付け込んで、左派勢力のその組織をときに乗っ取り、切り崩し取り込んできた


騙される方が悪い


な勢力ですが、結果として、その行動は左派勢力そのものの分断とその弱体化に貢献し、また元々が、生活の糧として、というその即物的なところが、組織の融通を生み、豊かに変化してゆく我が国の資本主義経済の中で、組織の存亡を賭けるような決定的対立よりも、必ずどこかで妥協する事で共存関係を築いてその勢力を拡大して行き、我が日本国社会の中で、その存在と立場を巧みに確立して行きます。ただ、彼らにとって、左派の組織やその運動はあくまで生活手段でしかなく、しかしだからこそ、取引のできる話せる相手としてその存在感を示す事でき、従来の思想的に頑なな勢力との差別化に成功します。

 皮肉な事ですが、


目的のために手段を選ばない


勢力は、その人材レベル的には明らかに後発の勢力よりも上で、さらに戦略的かつ巧みな浸透戦術を持ちながら、その一方で、その思想理論にこだわり過ぎて妥協のできないような、いわゆる頭でっかちの組織的な硬直化を招き、また、その潜在的な危険性ゆえに官憲からは激しく取り締まられ、さらに、しょせんは騙し騙されに弱い日本人ゆえに、浸透されることに対してのその免疫を持つ前に、左派にとってのピークである60年代を、彼らは準備の整わないままに迎えてしまいました。大陸のそのえげつなさ受け継ぎながら、組織的な求心力を保つためのカリスマを持つ事ができなかった事も、その組織的な分裂を加速させ、その勢力の分散と弱体化を繰り返す原因となりました。首脳部の意思統一が難しかったわけです。

 その一方で、


騙される方が悪い


勢力は、その人材レベルは明らかに劣ってはいましたが、代わりに、その思想をあくまでも生活の手段として割り切り、また、即物的で場当たり的であるがゆえに組織的な硬直をも招く事もなく、さらに、利に聡いからこそ資本主義経済を本質的には敵視していない、どこかで必ず折り合いを付けて決定的な対立を起こさなかった事からも、前者のように官憲による激しい取締りを受ける事もありませんでした。逆に、ある時期までは、左派における勢力分断のためのカウンター・パートとして、その存在を容認されてもいたわけですね。事実、彼らは当初、単に我が国でのその立場の保障の確立に汲々としており、そのために必要な場当たり的な対応に終始していたに過ぎません。前者のように、最初から共産主義革命を目指すような、政権転覆や我が国の支配を志向していたわけではありません。単に、より良い生活と安定を彼らなりの方法で目指しただけの事です。その結果、いつの間にか一定の勢力を得ている事に気付き、そこで初めて、彼らは次のステップへと進む事になります。

 今日のところはこの辺りで。ではm(__)m。