果たして、公務員は悪か?
今の私が、この問いに対する答えは
総体として、間違いなく悪だ
となります。以前から申し上げていますとおり、確かに、ここに区分けしていけば善なる部分も多々ありますが、その一方で、それを遥かに圧倒する悪が、明確に今の公務員という身分の総体を占めているのが現状です。その現状が、善の比率が悪を上回り、改善されるその日まで、私は
公務員は、間違いなく悪だ
といい続ける事になるでしょう。現実に、公務員が悪だとしても、仮に、現在の我が日本国が抱える数々の問題が解消されるのであれば、それは単に「必要悪」として、その存在をさすがに私も認めざるを得ないのですが、我が日本国の現実が、動かぬその事実を如実に物語っているように、彼らの悪の存在は、問題をより深刻化させる事はあっても、何らその改善に寄与する事はありません。単純な話で、悪の比率が善を上回っているのですから、これは当然の事なのです。ですから、私の
公務員は悪だ
の考えは、私にとって当然の帰結となります。
では、話をより明確、かつ理解を容易にするために、私のいう公務員の「悪」と「善」を以下に定義してみましょう。
悪:「現場」で成すべきを成さない
善:「現場」で成すべきを成す
ここでいう「現場」とは、特定の環境を指してはいません。問題の焦点での選択、その問題の解決を選択するのか、それとも解決を放棄するのを選択するのか、その選択を迫られる状況…シュチュエーションを差します。状況ですから、文字通りどんな環境でも起こりえます。外だろうが内だろうが、現場だろうが会議室だろうが、ありとあらゆる場所で起こり得る、成すべきを成すか、それとも成さないかの選択です。突き詰めれば、結局、この場合での…公務員の「悪」と「善」とは、どちらの選択がより多く成されているのか、なるわけです。
良くある反論に、わかりやすく警察や自衛隊、消防などの存在を提示して、私の「公務員は悪だ」を否定しようとする方が居られますが、確かに、公務員という総体から区分けして見れば、一部の「悪」を除き、それらは確かに多くの「善」を現実に成す組織ではあるのですが、公務員としての総体として見てみれば、やはり「悪」なのです。なぜなら、同じ公務員として、彼らは公務員の「悪」に対して口をつぐみ、沈黙し続けた上で、公務員としての享受できる利得だけはしっかりと手にしているからです。つまり、社会の平和と安全、その健全さを日々守るための「抑止力」としての彼らの存在、もっとも危険な現場で、リアルな命の危険と隣りあわせで活動されている事には、多大な感謝と敬意を表するものですが、一方で彼らは、同じ公務員として、公務員の「悪」に対して完全に沈黙を守っています。
現実に、日々危険に身をさらし、そして社会の平和と安全、その健全さを守り、世界で一番安定した、振りかかる災厄の異常に少ない、何も起こらない安寧な日々、という、目に見えるその実績を、日々、挙げ続けている彼らこそが、真っ先に、成すべきを成さない公務員の「悪」を否定し、それを非難して、公務員全体としての自浄作用を発揮すべきであるのですが、彼らもまた、公務員の「悪」によって享受している利得があるために、その口をつぐみ続ける限りにおいて、結局は、同じ「悪」にしか過ぎません。その意味で、やはり、
公務員は悪である
事に変わりはありません。もっとも日々実績を挙げ、もっとも声を大にして、同じ公務員の「悪」を糾弾するその権利と義務を有しながら、単に「沈黙は金」とするがごときは、それぞれに区分けされたときには、その見かけ上がいくら美しくとも、公務員全体、総体としてみた場合には、それは単なる「悪」以外の何ものでもありません。しょせん、いわゆる「ぐる」であり、「一味」や「一員」であるわけです。
ですから、私にとって、最近ネット上で見かける
「公務員=悪、は間違い」
などというような主張は、単に
騙される方が悪い
とか、
目的のためには手段を選ばない
など、我が日本国を一歩外に出れば極当たり前の常識を知らない、いかにも日本人的な、平和ボケした甘々の認識にしか過ぎません。その意味で、民主党が国家公務員を敵視するような発言を繰り返す事は、しょせんは、金と権力の狗にしか過ぎない彼ららしいやり方といえるでしょう。一部を切り捨てて見せ、全体である圧倒的多数の地方公務員を守っているわけです。ま、そもそも、彼らが国家公務員を使いこなす事など在り得ない話なのですけどね。単に、国家公務員…官僚に敵を明確に作りたくなかったタロサに対抗して、いつものように口先だけでいっている事にしか過ぎません。今朝の日曜討論では、きっちり野党側は小泉改革を否定してますしね(笑)。本音を出すには、まだ早い上に………ごにょごにょごにょ(笑)。ではm(__)m。