鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

彼らこそ正真正銘の(笑)27

 おのれ梅雨前線orz。昨日は、気圧の低下がもろに鬱に悪影響を与える中、久し振りに母と面と向かって話をしたり、衆議院が解散されたり、クリニックでのカウンセリングで、先生に「無理は鬱の治療に悪影響しか与えない」旨を厳しく注意されたり、と何だか色々とあったわけですが、それらの事が重なった事もあって、昨日は更新をサボってしまいました。スイマセンm(__)m。

 懸案であった母との話し合いは、これまでの経験則から、左派全体を頭から否定はせずに、在日の朝鮮民族イデオロギーに狂っている、私のいう「悪い段階の世代」の強い影響下にある旧社会党人脈と、金と権力、いわゆる資金と票の金権政治である、古い自民党人脈が、小泉政権時代や安倍政権での参院選などで野党側へと集中した現状を軸に、一部の極端な主張に、組織全体がそれによって利得を得る事で、いとも簡単に引きずられてしまうという、我が日本国の抱える様々な問題の現状を話し、結果として、民主党や野党、かつての古巣でもある共産党に潜むその害悪と悪意へと話をつなげました。

 民主党の恐ろしさもさる事ながら、それよりも大きな成果は、しょせんイデオロギー国益…国民全体の利益である、その生命と財産の保護を追求するための手段にしか過ぎず、国民にとっては、国益よりもそれを追求すべき手段にしか過ぎないイデオロギーを優先するがごときは、明らかな不利益であり、害悪と悪意以外の何ものでもない事を理解してもらった事です。彼らの用いる嘘や欺瞞の数々や、それが全て、我が国の国益を損なわんがための目的につながっている事を繰り返し説明し、それに、何とか納得を得られた事が大きかったのだと思います。最後に、

「腐ってはいるが、自民党をクリーンにするしか道はない」

や、

「選挙で投票するその一票に、その権利を有するがゆえの『持てる者』の責任を持って、キチンと正しい民主主義しよう」

にも納得を得られる事ができました。

 ただ、


公務員は悪


である事は確かなのですが、小泉改革の緊縮財政の結果ともいえる、現在の公務員数のさらなる削減という誤解は、廣宮孝信氏の『国債を刷れ』を用いて解かねばなりませんでした。ネットでも、公務員人件費の政府支出の削減についての誤解を良く見かけるのですが、現状、緊縮財政のこれまでの継続によって、それが限界に達している事は動かしようがない事実です。勿論これは、意図的に公務員らが、本来、彼らの給与…利得を削減すべきところを、我々国民への社会保障を削減する事で自らの既得権益である、給与の高止まりと怠惰な労働環境を維持した事、また、少しでも国民への痛みを和らげようとして、そして、当時好況であった外需を国内のフローであるGDPに反映させるために、小泉政権は、いわゆる「輸出バブル」の状況を作り上げるわけですが、肝心の輸出企業の経営陣らは、時ならぬバブルに酔い痴れて単なる金儲けとその蓄財に狂奔し、国民には、バブルの旨みがほとんど還元されなかった事が、現在における我々国民の窮状につながっています。

 ここで勘違いしがちであるのですが、いわゆる公務員制度改革での問題の焦点は、現実に、一部の公務員職には真実激務であり、特別な技術や資質を求められる職種があり、彼らのような「善」の存在がある限りは、彼らを守りつつ、その一方で、公務員の「悪」である部分を極小化する事にあります。個々の区分けされた「悪」の存在の、外科手術的な排除や根絶に単純に血道を上げて固執するのではなく、その構造的な問題の全体像を眺めて、現在の公務員の構造を改革する事によって「悪」を縮減するような、内科的で、東洋医学的な体質の改善する方向へと変える事が求められているわけです。そのソリューションである構造改革は、現実に、すでに実施されつつあり、後は、個々の我々日本国民がそれを明確に認識し、その存在が増やされる代わりに、公務員自体の数が削減される事を注意深く監視し、そして見守らなくてはなりません。

 以前にも書きましたが、それが私のいう、小泉政権の「影の公務員制度改革」の主役である


准公務員


という身分であるわけです。そもそも、現在の公務員らの給与の高止まりは、あの極悪人の舛添大臣のいう


優秀な人材が来ない


という論理の下に進められました。つまりは「優秀だから高給」という事ですが、その一方で、つい最近のインフルエンザ騒動においては、極悪人の舛添大臣は同じ口でこんな事も口にします。


人が足りない


 これは随分、公務員にとっての都合が良い、身勝手極まりない発言といえるでしょう。緊縮財政の名の下で、彼らは自らの既得権益保護するために、我々国民が本来得るはずの社会保障サービスを削減した以上は、彼らは、その中でベストを尽くさねばなりません。ましてや「優秀だから高給」の理屈で自らの既得権益を保護した以上は、自ら望んで人手の足りないその体制にしたわけですから、口が裂けても「人が足りない」と口にしてはならないでしょう。つまりは、元々の「優秀だから高給」なのですから、馬車馬のように働いて、その結果、過労死で死のうが精神を病もうが、彼らは自らの優秀さを我々に証明しなくてはなりません。その意味で、これは致命的失言であるわけですが、同時に、彼ら公務員の現状を表わす言葉でもあります。

 過酷な仕事はしたくない上にそんな優秀な能力も元々なく、自らの給与は高止まりのまま維持したいが、このままでは、そもそもの物理的な人手が足りないので否応なく仕事が過酷になる彼らは、水が低きに流れるようにして、退職による公務員数の自然減を、緊縮財政の予算の制約から安い人件費で済む「准公務員」の雇用で埋め合わせしました。当然、公務員と准公務員には人件費上の格差があるわけですが、怠惰な環境に慣れ切っている公務員は、当たり前のようにして、自らよりも明らかに給与の安い准公務員に対しても同じ仕事を押し付けます。当然の事ながら、その人件費上の不公平感から、准公務員らからは仕事に対しての不平不満が続出し、それ有形無形の圧力となって、毎日、公務員らに圧し掛かってくる事となります。

 そこで彼らは、再び水が低きに流れるようにして、「官の格差」とその部分だけを切りとって見せて、問題全体の背景を見せないままに大きな問題化して見せ、それによって准公務員の人件費を上げる事により、日々の准公務員からの圧力を緩和し、准公務員らを抱き込もうとしているわけです。つまり、「グル」の一員や一味としようとしているわけですね。勿論、搾取すべき国民からは、今まで以上に毟り取る気満々です。彼らにすれば、長年のその慣習から、すでに罪の意識すらもないでしょう。彼らにすれば、これは極当たり前の事であるわけですね。つまり、


←今ココ


な状況であるわけで、我々国民からすれば、公務員全体の巨額な人件費は維持しつつ、安い人件費の准公務員を増やして給与の高い公務員を減らす、その方向で、やはり公務員である政治家らを監視し、必要とあらば、選挙で落とさなくてはならないわけです。結果として、准公務員らの日々圧力が増す事で、公務員らは過労死したり、精神を病んだりするかも知れませんけど、それが民間と同じレベルになるまでは放置で良いでしょう。今度は、「彼らの番」というわけです。

 今現在、過酷な激務や、特別な技術や資質の要求される公務員職については、単に「これまでどおり」で済みますから温存できますしね。さらに、安い人件費の准公務員が増える事による、公務員の人件費全体のより大きな経済効果も望めますし、これはまた、現在の金融危機下の雇用の創出にもつながり、民間との人件費競争状態も生みますから、結果として、人件費の増大にもつながるでしょう。公務員と准公務員の対立を煽り、分断する構造改革を進める事で、多くの国益…ひいては日本国民全体の利益が達成されるわけです。「官の格差」の問題は、単に、公務員と准公務員の間の労働環境格差であり、当事者同士での話し合いによって解決すべき問題に過ぎません。我々が、これ以上に搾取されねばならない、そんないわれはどこにもない事を、まず、事の大前提として深く認識し、これを共有しなくてはなりません。ではm(__)m。