鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

彼らこそ正真正銘の(笑)31

 ここ最近の、我が日本国における数多の問題を考えますと、私の主張しておりますところの我が日本国の国益


日本国民全体の利益


が尊重されず、それを本来追求すべきである存在であるはずの当の公務員らが、一部の特定民族勢力や国家、特定イデオロギー集団や特定の利益供与団体など、限られた対象への配慮の偏重が著しい事に起因しているように私には思えます。

 そもそも、我々日本国民の多くが、政治にあまり関心を払わないのも、選挙で選ばれる政治家らをその筆頭として、公務員という身分の形成する巨大なピラミッド全体が、日本国民にとって悪の巣窟と化しているのも、結局は、その頂点部に居る、組織の司令塔たる政治家らの、これまでの度重なる嘘や欺瞞の数々によって培われたものに他なりません。

 端的にいえば、これは


上乱るるは、下必ず乱るる


という、昔からの言葉のとおりの状況で、日本国民にとっての善と悪を判断すべき頭である政治家らが、実際、その多くが単なる政治屋稼業にうつつを抜かしているのが現状である限り、多くの公務員らが、それに倣って自らの利得のために公務を活用する、濫用する稼業にうつつを抜かすのも無理はない話しではあるわけです。

 まあ、いつもの「鶏が先か、卵が先か」的な、国民自体こそが元々政治をないがしろにし、監視という名の民主主義における国民の義務を怠ってきた、的な異論もありましょうが、それもまた、政治家ら自身がその自身にとって都合の良い、かかる手間の少ない、コストの低い状況に安住し、本来、彼らこそが率先して我々日本国民一人一人を啓蒙すべきであるのに、水が低きに流れるようにして、彼らはその自らの義務を果たしてはきませんでした。実際、日教組らの主導する愚民教育を容認し、その一方で彼が事態を放置したため、今や多くの国民は、昨今はびこる嘘と欺瞞すら認識出来ません。少なくとも、それが大勢を占めている事は確かでしょう。

 情報網の未発達な時代、情報は限られた一部の者たちだけのものであり、我々、多くの日本国民にとっては、彼らに与えられたものこそだけが、知り得る情報の全てでした。勿論、例外がなかったわけではないのですが、それはある程度の豊かな、昔からの伝統を重んじ、そして守れる人々の間でしか伝わる事はなく、また、多くの誤った情報によって圧倒され、真に必要とされ、真に重要である情報こそが、情報の海の中で埋没してしまう事が多かったわけです。この状況は、インターネットの急速な普及が成される、21世紀の初頭、何と小泉政権のその登場から半ば過ぎ、ブロードバンドと定額料金制の登場まで続きました。それまでの間、真に重要な情報は一部の限られたものが掌握し、多くの日本国民は、彼らのフィルターを通した、彼ら自らに都合よく加工された情報を真実と誤認させられ続けたわけです。

 政権交代による細川内閣の登場、自社さ連立の村山政権の登場は、そうした限られた者たちが作り出した「ブーム」によって登場し、あの「失われた十年」もまた、彼らによって生み出された、といっても過言ではないでしょう。なぜなら、その引き金となる「消費税の増税」は、彼らによって生み出された村山政権の置き土産であったからです。村山政権の置き土産はそれだけにとどまらず、外交的に国益を損なう「村山談話」に「河野談話」、教育の崩壊を推進した「ゆとり教育」や「ジェンダー・フリー教育」、日教組の教育行政への浸透を促進するための「人材交流」や、政府の統制を嫌い、彼ら、公務員の悪を主導する連中のための過度な「地方分権」など、すべて、彼らが生み出した村山政権時に決められてしまった事ばかりです。

 今現在、我が日本国の問題の焦点には常に彼らが居て、そして今現在も、彼らは日々、我が日本国の国益=日本国民全体の利益を損ない続け、何とかそれを掠め取ろうと嘘を発信し続け、欺瞞に欺瞞を重ね続けています。この動かし難い事実、現実でさえも、今現在のネットの普及状況がなかったとしたら、それこそ、彼らの発信する誤った情報の濁流の前に埋没し、文字通り、遠い未来の歴史家によって、遠い未来にようやく「プロパガンダの時代」とか「嘘と欺瞞の時代」と呼ばれる事になったのかもしれません。我が日本国の永い歴史において、その過渡期、転換期に、「小泉純一郎」というひとりの天才が登場し、また、「インターネットの普及」という出来事がなかったとしたならば、おそらく、我が日本国は、村山政権時代に中国首相がオーストラリアで述べたように、そんなに遠くない未来に、地球上から消滅していたとしても不思議ではなかったでしょう。

 結局、小泉純一郎元総理が成した数々の事柄は、それまでの我が日本国における誤った方向への流れを変える「分水嶺」となる出来事になりました。


守るべきを守り、変えるべきを変える


昨今のタロサのその言葉が、仮に偽りであったとしても、それを真実に変える事ができる力を、実際、我々日本国民の一人一人が手にしています。我々は、


一票を持てる者の義務


を果たす事が求めれ、その義務を果たす事が、結局、我々日本国民自身の「ため」…利益となるわけです。民主主義とは、そういう制度であるわけです。ま、私的には、野党への投票に我が日本国民の未来はない、と考えていますけど、こればっかりは強制できるものでもありませんしね(笑)。人生色々。狗の人生ですらも、その人に自身にとってはバラ色なのかもしれませんしね(遠い目)。ま、いつもの鬱で引き篭もりのつぶやきですから、頭から信じる事は危険ですよ?(笑) 世の中、


騙される方が悪い


事をお忘れなくm(__)m。何せ私は元極左、狗の一員でしたからね(笑)。ではm(__)m。