鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

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彼らこそ正真正銘の(笑)46

 今さらなのですが、ネットでこんなサイトを見つけました。

新型インフルエンザ対策の達人

 私とは明らかな見解の相違もありますし、また、医師とはいえ保健所医師というその立場からか、現場、死に直面し、その諸々のリスクを直接被る最前線の現場医師に比べて、明らかに緊張感を欠いている感がありますが、その内部からの視点には貴重なものがあります。私は全面的に首肯できるものではありませんけどね。

 厚生労働省の、その感染対策のミス・マッチの原因をあらわにするのが以下の記事。

新型インフルエンザ対策の達人 厚生労働省 健康局 結核感染症課の福島靖正課長の略歴

 その実情は、ほぼ、これまでの私の妄想…考えで間違いない、と思えます。信用できると仮定してですけどね(笑)。

 次に紹介するのが、私と大きくその見解を違える記事です。

新型インフルエンザ対策の達人 新型インフルエンザで重症者や死者が多い理由を図解する

 以上の記事の中で、ウイルス性状は強毒化しない旨を主張されていますが、すでに、インフルエンザ脳症の患者…免疫異常であるサイトカイン・ストームによる多臓器不全、主に脳本体に対するダメージを受けた患者が出ている時点で、少なくとも、強毒性インフルエンザに準じた対処が求められている事は確かです。

 インフルエンザ脳症の30%の患者は死亡し、確か25%には後遺症が残るはずですから、そのリスクを考えれば、とてもではないですが、感染拡大防止の基礎的な対処である「手洗い・咳エチケット」のみでの、安易で不用な安心感を読者に与えるべきではなく、同時に、リスクも明確にしておくべきでしょう。危険を知った上で、その危険を冒す事は自己責任ですからね。

 いずれにしても上記の記事は、今回の新型インフルエンザに対する問題のその焦点を明らかにしています。要は、


感染拡大の防止


或いは


その抑止縮減


にある、といえます。完全な封じ込めには、様々な物理的で経済的に大きなリスクがともないます。現実的に、それでもなお、完全な封じ込めには至らない可能性の方が遥かに高く、とてもではないですが手段として適切とはいえません。必然的に、そのリスクを冷静に提示し、後は国民の意識を高め、一人一人が感染拡大に対する責任意識を持つ、持たせる事が重要といえます。

 端的にいうならば、昨今問題の飲酒運転のようなものかも知れません。要は飲まなければ良いだけの話、酔ったら乗らなければ良いだけの話ですが、結局、その責任意識を持てない連中が、その事態をいつも、より深刻化させます。新型インフルエンザも同様で、安易な感染拡大のその結果が、リアルに死に直面する不幸な人々を比例的に量産するわけで、その現実が実感として認識できないから、出来ていないからこそ現状の感染拡大があるわけです。どうも、その根本的なところでの認識が違うのでしょう。

 であるからこそ、国民の生命保護の大前提を無視し、自らの事情や利得を優先する、舛添大臣、厚生労働省、政府与党に野党各党、医療関係者に日本マスコミや地方の首長らを


無能や外道


となじり、


金と権力の狗


と蔑んで呼ぶわけです。全てがそうでない事はわかっていますが、その多く、圧倒的多数がそうであるからこそ現状があるわけです。彼らが日々成す事は、一部の利益を、日本国民全体の利益に優先させる事ばかりです。国益の何たるかを知らない連中のする事ですから、結果、多くの日本国民にその問題のしわ寄せが来るわけです。当然といえば、これは至極当然の物事の帰結といえます。何せ、多くの日本国民らが、彼らのその行状を、日々監視しているわけではありませんからね。

 結局、物事は最悪を迎えたときに初めて、取り返しが付かなくなったときに初めて、その原因が明らかとなるのが、インターネット登場以前の世界でしたが、彼らにとって不幸な事は、記録と記憶の共有が一般化され、今までのやり方が通用しなくなりつつあり、日々、そのサイクルがネット・ユーザーらの進歩に比例して、発覚するまでのそのサイクルも短くなり続ける事でしょう。内部告発のしやすい時代でもあるわけですから、心ある人物であるなら、今こそバンバンその内情を告発すべきでしょう。バンバン内部告発されないという事は、つまりは、我々日本国民のその民度自体が下がりまくりで、もはや、どこにもそんな


心ある人がいない


というその証左であるのかも知れません。

 先に紹介したサイト主も、現場の緊張感のなさからか、その文面に、我々を突き放したように見下す意図がそこかしこに見て取れます。彼女(?)にとっては、今回の新型インフルエンザによる死者は、単に、毎年報告されるただの統計数字にしか過ぎないのではないですかね。悪い意味での「慣れ」に陥っている気がします。勿論、心ある方であるならその現状に満足せず、「もっともっと」とさらなる高みを目指しますが、そもそも、そんな資質に恵まれていても、それを育むべき教育が崩壊していますからね。誰も彼もが現状に満足し、そこに安住するのは、水が低きに流れるように、人として当たり前の事ではあるのですけど、無辜の、罪のない他人を犠牲にする事を厭わないのは、せめて


違う!ヽ(`Д´)ノ


といえる人間でいたいものです(溜め息)。ま、願望に過ぎませんけどねorz。ではm(__)m。