鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

それゆえに24

 大陸の選民信仰に根ざした文化が生み出した悪の闇、それらの暗部を凝縮した最悪のものが、私は、共産・社会主義でありその信者らである、と考えているわけですが、その大元にある「選民信仰」自体は別に大陸だけの話しではなく、我が日本国にも同じようにそれは存在しています。

 だからこそ現在、多くの狗らによるプロパガンダ…嘘と欺瞞の情報操作によるミス・リードに、多くの日本国民がこうも容易く踊らされているその現状がある、と私は考えているわけです。

 ただ、我が国における「選民信仰」と、大陸にけるそれとは両者を決定的に分かつそれぞれの伝統文化があり、それは統治と支配の、いわばコインの裏表ともいえる、その二つの度合い、色合いの違いに明確に現れるものです。

 わが国においては、島国というその環境から戦国時代を境として、役割分担と合議による村社会を基本とするような、永く共同統治色の色濃い時代が続きました。

 先の大東亜戦争で、それは一度、大陸文化の影響から、そして、選民自体の組織的腐敗とその官僚化によって大失敗しましたが、その後、再びバブルのその崩壊を迎えるまで…その実情はかなり歪んでいましたが(笑)…の右肩上がりの間、そして、それ以降の右肩下がりの現在も続きます。

 多くの人々にとっては、いわゆる「お上(かみ)」とか「分限者(ぶげんしゃ)」らの、いわゆるエリートらの合議による、これまでのその支配色の割合いに少ない統治はけして不快とはいえず、少なくとも、多くの人々にとって比較的受け入れ易かった、いうなれば「善政」であったわけです。

 その一方で、大陸はといえば「騙される方が悪い」というその常識が民衆に生まれ、それが今日もなお深く根付くぐらいに、統治色が極めて薄い支配の経験とその時代の方が長く、それも、その支配者が頻繁に変わる事が多いため、自然、我が国におけるそれよりも強権的な支配であったり、しかもそれは、より搾取の色合いの濃い支配であったりしてきたわけです。

 これは仮に失敗しても、どこまでも逃げることのできる大陸というその環境が、その上から下にまで刹那的衝動を生みやすく、後先を余り深く考えないですむ、或いは、そもそもそうでなくては生き残れないような、また、強権的な支配に拠らねば、そもそも統治などできないような状況でも合ったのでしょう。

 同じように「選民信仰」とは言っても、我が国におけるそれと大陸のそれとでは、根本的にその支配と統治のその割合や、その成り立ちの歴史に大きな違いがあるわけです。簡単にいってしまえば、その違いは乱世のそれと、治世のそれとの違い、といえるのかも知れません。

 要は、基本的に考える時間があまりなく、必然的に権力を集中せざるを得ないその大陸の環境と、それに対して、比較的に考える時間があり、必然的に多くを学んだり選択肢を増やす…多くの視点やその意見を取り入れる事のできる我が国とのその環境の違い、と私は考えています。

 どちらが優れているかは、リーマン・ショックに次いでギリシャ・ショックを経た現在において、それほどその事には意味はないように私には思います。なぜなら、かつて老師が私にいわれたように、


人の心は必ず腐る


というその事を、世界中のその「選民」を自認しているであろう人々が、先に述べた二つのショックによって自ら証明してしまった形であるからです。

 わが国においては、さらに新型インフルエンザ・(舛添・厚生労働省)パンデミックや、今もその渦中といえる口蹄疫・(赤松・農林水産省)パンデミックにおいても、今や、かつての「選民信仰」そのものが単なる幻想にしか過ぎなくなっている、その事を日々我々に証明し続けています。

 かつて、ネットなき時代には、確かに、一部で継承されるローカルな中でのルールや文化、そして情報が、彼ら、いわゆる「選民」と我々「大衆」を明確に別ち、また、彼らを我々よりもある意味で優れた存在ともし、さらに、近年は嘘と欺瞞によって彼らの利得の独占をも成し得ていました。

 ですが、このネットの登場によって、多くの情報…特に様々な物事のその「結果」が、多くの「大衆」であるネット・ユーザーらに情報共有され、さらには議論やその分析といった行動に加えて、いわゆるブレーンストーミングによって彼ら、「選民」らの嘘と欺瞞を、ネットによって共有するその「結果」から逆にたどる事で認識されてしまった事が、彼らをして、もはや「選民」のその立場に安穏とはできなくしてしまいました。

 ネットなき時代にあっても、彼ら「選民」の嘘や欺瞞が万人を騙し切る事は不可能であったわけですが、このネットの登場とその急速な普及は、個人のその情報発信力を飛躍的に向上させ、また、トンでもな妄想やファンタジーは晒しものになるその反面、多くの理解と共感を呼ぶような情報は、このネットを一気に拡がって行き、認識される事が当たり前のようになったわけです。

 そもそも、限られた優秀な人材に多くの国民が率いられる国よりも、それよりも、より多くの人々の意見によってその国の方針と運営を成す方が優れている事は、共産・社会主義国と民主主義国による競争…つまり、かの「冷戦」によって歴史的に証明されています。

 現実に、人が物理的制約を受ける生き物である限り、どれほどにそれが優秀な個人であったとしても、おのずとその限界が厳然とあるわけですが、どうも、未だ自らを「選民」と自認する多くの人々には、これは理解できない事のようです。ま、「したくない」というのが彼らの本音でしょうけど(笑)。

 ありとあらゆる事柄が、多くのネット・ユーザーらに分析され、評価されるこの時代に、未だに古めかしい嘘と欺瞞に頼るその愚かさを、彼らはいい加減に自ら悟るべきでしょう。絶え間ぬ努力と向上心なくして、なんびとたりとも成長はありません。成長なくば、日々流れ行く、進み行く時代に取り残される事はもはや自明の事ともいえましょう。

 それでも、嘘と欺瞞しかないならば…実際そうなのでしょうけど(笑)…ま、後はなるようにしかならないでしょうね。………本当は、朝鮮半島関連で書きたかったのですけど、色々と、その内容が各方面に影響しそうなので今回は割愛しました(笑)。ほんと、熱い夏ですねぇ(遠い目)。ではm(__)m。