鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

それゆえに70

 さて、前回のエントリー更新からすでに丸2ヶ月、私が常日頃批判し続けている正真正銘の「人間のクズ」であり、また、「下種の極み」ともいえる我が日本国における自称「選民様」らですが、これで死ぬなら死ねと言わんばかりの「死なば死ね」、その上、人々のその死ですらもしゃぶり尽くし、己が利得をへと転化せずにはおかないというほどの、その歪んだ選民思想の極まり振り、「そして俺のためだけにこそ死ね」のその二つがまるで魂の叫びのごとく露わとなった2ヶ月でした。

 凡愚で外道にしか過ぎない私ごときの予想や予測など、しょせん現実は、その甘い想定を常に軽々と超えてゆくものですが、………まったく、「最悪の斜め上」とは、まさにこの我が日本国の現状の事を指すのでしょう。

 我が日本国は民主主義と法治の国であるわけですが、そのわが国においても、トップがこれほど独裁的にトップ・ダウンで政府、各省庁の組織的な震災対応の邪魔が出来得る事の証明がなされ、また、情報の隠蔽と不適切な取り扱いによる組織の混乱と不作為、ミスの量産が可能である事が証明されました。

 この先、「無能」で「売国(無国籍)」、「無法」な上に「無秩序」で「無責任」という我が日本国における史上最悪の自称「選民様」らのその行いは、人類滅亡に匹敵する徹底的な破壊ですべてが灰燼に帰すようなことがない限りにおいて、永く人々に記憶され、受け継がれて行く事はまず間違いがありません。

 忘れよう、忘れさせようと彼らが足掻いたところで、必ず誰かがこの現実を掘り起こし、抹消や隠匿隠蔽のできた過去の一部の人々による「情報の集約と拡散」の時代は終わり、今や、多くの人が一定のコストと労力を支払う事で容易に参加できる時代に再び復活させるわけです。彼らに今の生活が捨てられない限り、これは綿々と続くわけですね(笑)。

 私の目に見えたこの2ヶ月を要約すれば、初動の誤りを未だにリカバーできていない、そのことに集約できるでしょう。「復興」なぞははるか先の話でしかなく、今はその前段階たる「復旧」すらも成し得ては居ません。所定の危機対応のマニュアルを無視、トップのあまりに愚かな軽挙妄動、要人の行動を阻害して情報、現状把握と決断の阻害する事を誰も阻止し得ませんでした。

 この最初の間違いがあまりに大きく、そして致命的過ぎて、その後の選択肢を一気に狭めてしまいました。未だこの事は公式に認められては居らず、ゆえに、再び同じ間違いが繰り返される可能性が有る辺り気が遠くなりそうな気がしますorz。「さすがにそこまでは」と考えるのが人情ですが、現実に、我々の「そこまではさすがに(笑)」は今回、この2ヶ月以上の間、延々と裏切られ続けているのが現状ですorz。

 自称「選民様」らの誰も彼もが私益、我欲に溺れて正気を失い、多くの人々を見捨てて現実に死に追いやっています。現場がどれほどに優秀であろうとも、トップがその役割を果たさぬ限りは組織的な対応は不可能となり、連携された動きが取れない以上、現場は孤立の中で疲弊し潰されて行くは軍事に限った事ではないのです。

 ましてや、トップが未だに混乱しているこの現状をまったく把握しておらず、己が立場と面子のためだけに現場を縮小する辺り、人の皮をかぶった「畜生」とはまさに彼らの事に他なりません。ま、こう書いたところで、自称「選民様」の皆様は「自らは別」と脳内で誤認識するでしょうがね(溜め息)。もはや「病気」の域だからこそ、彼らはこうも平然と人々を見殺せるのでしょう。

 勿論、「死なば死ね」「そして俺のためにこそ死ね」と具体的に彼らは考えて行動しているわけではないのでしょう。それゆえにこそ、より事態は深刻であるわけです。自覚なき悪行は延々と続く、は歴史が証明するところですからね。この先も、多くの人々が彼らのために死に追いやられ続けるのでしょうorz。

 私ごとき凡愚な外道にできることといえば、相も変わらず、そのときのために、自称「選民様」らへの呪詛を人々の間に広めるぐらいしかできません。私が見ている現実を、単に人々に解説しているだけなのですが、人々に広がる闇は、彼ら自称「選民様」らのその日々の行いによって深まるばかりです(溜め息)。いつかは行き着くそのときを知るほどの才は私にはなく、ただ、いつかは行き着くを知るばかり(遠い目)。

 話は変わりますが、先日、読み逃していた三橋貴明氏の以下のブログエントリーの存在を知らされました。

OECD諸国の中で最も公務員が少ないのはどこ? | 三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」Powered by Ameba

 相変わらず、色々と残念感の漂う、片腹痛いエントリーですねぇ(遠い目)。「政治は結果」とはよくいいますが、私的に、同じく「行政も結果」であり、また、それが国であろうと国民であろうと組織であろうと会社であろうとも、いずれにしても、要は、すべてが私にとっては「その結果」であるわけです。中の誰それがどうとか、個々の何それがどうとか、「だから何?(´・ω・`)」って話しです。

 そもそもネット上に限らず、この世にあるありとあらゆる文献や調査の結果に、まったくバイアスのないものは存在せず、また、100%の信頼を置けるものなどありません。「俯瞰視」を口にする割に、単に数の話しにミクロに切り取るその感覚が私には理解できません。財務官僚の悪逆非道さを事ほどさように訴えていながら、その一方でこの数字にこだわるその意図は何なのでしょう。

 ま、いずれにせよ氏は経済アナリスト、または誰かのブレーンとしての道を究めるが吉ではないですかね。はるかな選民への道を目指すのは氏の自由ですけど、私的に、きっとそれは氏に本質的に向いてない苦難の道のように思います(´・ω・`)。ではm(__)m。