鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

それゆえに72

 さて、何の因果か巡り合わせか、鬱的に調子の悪いこの時期にたまたま、ぽっかりとエントリーを更新するぐらいなら何とかできる状況下にあるのですが、先日、タロサ…麻生太郎氏の率いる為公会の例会挨拶の要旨を目にしました。

麻生太郎オフィシャルサイト

 私的には「ふーん(´・ω・`)」て(な)感じですが、さて、ここ最近たまにしか話せていませんが、人々と話すときの定番の話しに「私益を公益に」などの言葉についての話しをします。一般的には、これは「私の利益を公の利益とする」と多くの方が普通に理解しますが、それはこちら側でこその話しであり、あちら側…公務員の世界でのローカルな中では別の意を持つ事がままあります。

 「前向きに検討中」とか「鋭意検討中」とかが割に知られていますが、要は、結局「何もしない」事を彼らはこのように言い表す、あるいは定義付ける事によりその場その場をしのいだりして、その結果、リアルに犠牲者を出す事が恒常的に行われています。ま、利得ある限りは現状を変えず、それを上回る利得あれば変える、それがあちら側では当たり前であるわけです。

 ここ最近であれば、生肉ユッケの衛生管理問題やポリオ生ワクチン問題などがわかりやすい例であるといえます。

 ユッケでは死者が出ましたし、ポリオ生ワクチンでもリアルに犠牲者が出ているのですが、ユッケでは予算獲得のために規制強化を打ち出し、また、ポリオ生ワクチンでは不活化ワクチン導入は決まったものの、その導入は先の話で、今ある海外の不活化ワクチンを輸入して国内の生ワクチンを廃止、禁止する話しとはなっていません。

 この両者の違いは、利得の「多い少ない」と「あるなし」にある、と私は考えています。

 ユッケについては業界からの利得提供により規制をゆる目に設定していましたが、死者が出たことにより、彼らは規制強化によってそれに必要な人員増や、独立行政法人などの新たな創設などの予算獲得の大義名分を彼らは得たわけです。今後は、規制強化を嫌う業界が提供する利得と、強化する事により得られる利得との「多い少ない」の狭間での駆け引きが行われるわけです。

 一方のポリオ生ワクチンは、同じく業界からの利得の提供によって今まで、毎年一定数の犠牲者が出るままにされてきたわけですが、さすがに少数とはいえ、十年にも及ぶ放置はそれだけの犠牲者が積み上がってしまい、一定以上の発言力を得て、彼ら人間のクズと下種の巣窟たる厚生労働省も対応せざるを得なくなりましたが、そこはそれ、きっちりと利得上納を続ける国内業界に多大に配慮した対応であるわけです。

 ま、犠牲者らに配慮する価値など彼らにとってはないわけです。勿論、業界を上回る利得を継続的に上納できるのであれば、その対応はまったく別のものともなったのでしょうが、彼らにとっては「倫理」やら「理念」、「法」や「責任」とかいったものなども感覚的に「何それ、美味いの?」ぐらいのものでしかないのでしょう。

 勿論、いざ裁判ともなれば、美辞麗句を尽くしてその場その場を言いつくろい続け、被害者や犠牲者らの死ぬ可能性にかけるのはこれまでの現実が我々に知らしめる通りです。何せ、不正な手段で証明書が発行された事実が現実にあるのに、自らの監督責任や組織的不備を棚に上げ、未だ検察の責任追及をねちっこく粘着して続けている村木某氏を、従来マスコミを記者クラブで配布する資料という紙切れで操ってまで英雄扱いするような連中ですからね。

 ほんと、どこまでも腐っていますねぇ(遠い目)。

 大体ここら辺りで、人々と話していると普通は目に見えて引き始めるわけですが、さらに話を「私益を公益に」に戻せば、例えば、その私益の1%だけを公益にするだけでもその言葉は成り立ちますし、また、さらに言えば私益を民間の利益として公益を公務員の利益と定義付けすれば、「私益を公益に」は「民間の利益を公務員の利益に」にも成り得ます。ま、言葉…特に日本語というものは曖昧で、信じる方が巣食われる…馬鹿を見るのは先日の騒動で多くの人々が思い知ったでしょう。

「騙される方が悪い」

 いくら頭でわかっていても、我々多くの日本人がそれを感覚的に会得するのはなかなか難しいのですが、会得さえすれば騙されないのかといえばそんな事はなく、現に、かの国々でも振り込め詐欺などが猛威を振るっているように、散々鍛えられているかの国々の人々であっても、やはり、組織的にそれが行われれば以外に(意外にorz)簡単に騙されるわけで、だからこそ、口先だけでなくその結果が世界でも最重要視されるわけです。結果はその意思の反映ですからね。

 さて、「情報を制するものは〜」とは古今使い古された言葉であるわけですが、現在、私が見ている現実の風景とタロサの見ている現実の風景には明らかな乖離が存在します。私に変化があったわけでなく、タロサの方に変化があったからなのでしょうが、「貧すれば鈍す」…いや、結局、老師の仰った「人の心は必ず腐る」という事でもあるのでしょう。私的には、恐らくその乖離の原因となる情報は以下のもののように思います。

三陸〜茨城沖 M7超余震のおそれ 6月9日 21時56分 nhk

 政府の地震調査委員会は、3月に巨大地震が起きた三陸沖から茨城県沖にかけての海域では、今後もマグニチュード7を超える大きな余震のおそれがあり、内陸の一部の活断層でも地震の危険性がこれまでより高くなっている可能性があると発表しました。

 政府の地震調査委員会は、9日に開いた定例の会合で、今回の巨大地震が国内の地震活動に与える影響などを検討しました。

 それによりますと、巨大地震震源域となった、三陸沖の中部から茨城県沖にかけての海域では、今後もマグニチュード7を超える大きな余震が起きるおそれがあるほか、三陸沖から房総沖にかけての日本海溝に近い沖合では、巨大地震に誘発される形で津波を伴う大きな地震が起きるおそれがあるとしています。

 また、内陸の活断層のうち、宮城県福島県に延びる「双葉断層」と、本州の中央に延びる「糸魚川−静岡構造線断層帯」のうち、長野県の「牛伏寺断層」の区間、それに、埼玉県西部から東京の多摩地域に延びる「立川断層帯」の3つの活断層では、巨大地震の影響で地震の危険性がこれまでより高くなっている可能性があると指摘しています。

 地震調査委員会の阿部勝征委員長は記者会見で、「巨大地震から時間がたち、各地の地震の回数は全体的に減ってきているが、どこで地震が起きてもおかしくない状況には変わりがなく、引き続き注意する必要がある」と述べました。

 また、今回の会合では、日本周辺の海底で起きる地震の長期的な評価のうち、巨大地震が起きた三陸沖から房総沖にかけての地震をことし秋ごろまでに、東海地震と東南海・南海地震についても来年春をめどに見直していく方針を決めました。

 一読して頂ければご理解頂けるとは思いますが、震災の本震の3ヶ月から4ヵ月後に起こる若干のスケール・ダウンはあるものの、ほぼ本震に準ずる規模の余震の危険性と、それによって引き起こされかねない別の震災の危険性を唱えているものです。私的には4月の末、青山繁晴氏が福島第一原発の現場に入った様子を放送した、関西ローカルのアンカーの中で、インドネシアスマトラ島沖地震の3ヵ月後に巨大余震が起こった事を初めて認識しました。

 その認識のあるなしでは、やはり、ものの見え方が違ってしまう事はやむなしともいえますが、多分、タロサはこの事をご存じないのでしょう。なぜ、一次補正に瓦礫処理や堤防、鉄道、病院の復旧が盛り込まれず、そして、二次補正にも盛り込まれる様子がなく、また、菅氏が8月までの延命を強く望むその理由がここにある、と私は考えています。

 前者においては、主に財務官僚らの悪逆非道の意思によるものでしょう。「再び津波に流されるものを復旧してどうするのか」や「人々の集団非難」、「震災による関連死への対策」に「土地の国による買い上げ、区画整理」など、いずれにおいても莫大な費用と手間が必要とされ、一番最後の土地買い上げと区画整理にいたっては、このまま何もしなければ津波で犠牲となって交渉相手がさらに減る上、生き残ったとしてもさらに困窮する事から交渉がより容易になるわけです。

 「もうどうにでも(ry」といった、バブル崩壊から今まで多くの日本国民に対して悪逆非道の限りを尽くしてきた、その彼らこその所業といえましょう。勿論、被災地に影響力を持つ小沢被告とその一派を押さえ込むという、現政権の意向もあるのでしょうけど、それはどちらかといえばついでに過ぎず、財務省やその他官僚の意志は予算と労力の縮減にあり、多くの被災者らの見殺しにあるわけです。それはかの財務省経験者も同じで、以下のように

“補正提出しない場合 不信任案” 5月17日 12時34分 (nhk)

 自民党の谷垣総裁は、役員会で、「菅総理大臣が国民の不安を解消できないのであれば、政権担当能力がないということだ」などと述べ、政府が今の国会に今年度の第2次補正予算案を提出しない場合には、菅内閣に対する不信任決議案を提出する考えを示しました。

 この中で、谷垣総裁は「東日本大震災の被災地を歩くと、まだ復旧が進んでおらず、『早くしてくれ』という声を耳にする。復旧の分野でやるべきことは多く、予算化する必要がある」と述べ、被災地の要望に応えるために、今の国会で今年度の第2次補正予算案を成立させる必要があるという認識を示しました。

 そのうえで、谷垣総裁は「菅総理大臣が国民の不安を解消できないのであれば、政権担当能力がないということだ。そうであれば、不信任決議案も考えなければならない」と述べ、政府が今の国会に第2次補正予算案を提出しないのであれば、菅内閣に対する不信任決議案を提出する考えを示しました。

 役員会のあとの記者会見で、石原幹事長は「『国会逃げ切り閉会論』なるものを、菅総理大臣が本当に考えているならば、亡国だ。国会をみずからの都合で閉じるようなことがあれば、万死に値する。内閣不信任決議案で対じしていかなければならない」と述べました。

いったんは上記のように憲政の王道に立ち返ったものの、その後、なぜか元の邪道の道へと回帰し、現在もまだ、戦略目標を変える事無く時間を無駄に浪費し続けています。

 後者たる菅氏が原発対応に血眼になったとき同様、彼もまた、見果てぬ夢を追いかけているのでしょう。この両者は良く似ていて、比較すると面白いぐらいにその行動が似ています。肥大した自尊心、他者の話を聞かない、良かれと思って結局は自爆するところなど、さすがは同じ左派だけに、しょせん行き着くところは同じであるのでしょう。分野は違えど同じ結論に達する、のダークサイド版ですね。

 ま、私的には、とりあえずこんなところが精一杯なのですが、もうひとつ付け足すなら「国と(は)何か?」と問われたとき、私は「土地、人、枠組み」と答えます。百歩ゆずって「土地、人、枠組み(主権)」ですかね。勿論、学問や理念は重要ですが、しばしば、それらは現実や実践から乖離するものです。何に殉じるかは個人の自由ですが、すでに我が国は、現政権与党らによって「枠組み(主権)」は踏みにじられました。

「で、どうするのん?(´・ω・`)」

 私はそう、数多居るであろう詐称「選民様」の中にいる「選民様」に聞きたいわけです。

 まったく、普通に仕事してさえ居れば単なる規定の(既定のorz)事柄が、彼ら(が)普通にすら仕事ができないばかりに、重大な意味を持つ事となりました。菅氏は夢の真っ最中のようですが、洒落にならぬ被害者を目の当たりにし、いっせいに非難されたときになって初めて、自らが彼らに喰いものにされたことに気付くのでしょうね。ではm(__)m。