鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

それゆえに97

 古今東西、歴史を俯瞰して鑑みれば、常に「富」と「知(知識・見識)」…或いは「情報」というものは収束と拡散を繰り返しつつ、常に、我々人類とその社会を進化…或いは変化させて来ました。

「金は天下の回りもの」

 我が国に古くからあるこの言葉のように、戦略的な(大きな、或いは高みからの)見地からはそうある事が望ましいのは確かです。多くの人々の手を経る事で、「富」や「情報」というものはその価値を増し、その信用や精度を増します。

 ただ同時に、「富」や「情報」というものは、いずれ拡散する…そうさせざるを得ないものであっても、時に、意図的な収束や時には秘匿による戦術的な(狭く低い)見地からの(その場限りの)優位な状況を作り出せる事も確かです。

 昨今、多くの人々の「知る権利」とやらを日夜ないがしろとする事で、己が優位を保ち、混乱や恐怖を撒き散らしては、かの国々の選民様らのように他者の不幸を踏みにじって己の利得とする彼らは、かの国々(が)そうあるように彼らもまた、自らの行いを鑑みる事ない(その)卑怯卑劣さで「知る権利」とやらを振り回して騒ぎ立てるのみ。

 ですから、私は「特定秘密保護法案と(は)何か?」と問われれば、「それは、いわば特許のようなものである」と相変わらず、彼らが果たさない役割を渋々ながら、(彼らに)代わって答えて(果たして)います。大変「不本意」ながら(溜め息)。

 勿論、我々のような民主主義で資本主義な世界では、いわば共通のルールたる特許は公開が前提であり、その前提は、その分野におけるより社会的な進歩を促すためであり、それゆえに、特許の権利には必ず有効期限が設けられ、また、その有効期限内における権利の行使いかんは権利者に一任…自由とされます。

 なぜ、このようなルールが必要であるかは、いうまでもなく、その「情報」には「富」を創出する価値が存在し、そのやりとりが現実に(商)取引として成り立つからに他なりません。戦略的な見地からの人類社会全体の進化と、戦術的見地からのある集団や個人の「富」という優位の担保をバランスしたルールです。

 ま、スパイ天国である事が常態化した戦後の我が日本国では、価値あるはずの「情報」がルール無用のかの国々のごとく…というか、主にかの国々によって好き放題に盗み見られていたわけで、ここに来てやっと、価値ある「情報」を管理して世界の標準に合わせ、世界とまともに価値ある「情報」の取引ができるようにしましょうよ、って話し。

 勿論、その価値ある「情報」を、他国(主にかの国々に)に売る事で延々と利得を稼いで来ていた既得権益層な皆様には、あらゆる手練手管を動員してこの動きを妨害せざるを得ないのですが、困った事に、この数年で特に彼らは多くの人々の信頼をすでに失い、さらには、多くの人々にある特定のコンセンサス…合意が定着しつつある昨今、いわゆる「お里が知れる」わけで、いやはや「大変だなー(棒)」とは思います(笑)。

 で、肝心な事は、そんな資本主義な我々の世界にあっても、意図的に…戦略的観点から、あえて特許化されていないで秘匿され続けている「情報」(が)知識や見識も含めて多数存在しているという事です。それを公開する利益よりも、その事によって被る損害の方が遥かに大きいケース…場合の「情報」がそれですね。

 わかり易いのは「核関連技術」なんかはそうですね。大雑把な概要情報は、その根幹である、あの「一般相対性理論」が過去に特許化された事もあり、世界にはすでに広く知れ渡っているのですが、その一方で、具体的な核物質濃縮技術などの爆弾製造に関するものは取り分け厳重に秘匿され続けています。

 ま、それでも、ソ連崩壊もあって一部流出したりはしていますけど(溜め息)。

 我が日本国にとって身近な技術でいえば、高度なレベルの根幹技術…主に加工や生成技術になるのでしょう。「切る」とか「削る」とか「磨く」、或いは「混ぜる」とか「合わせる」などなど、基本は広く一般に知れ渡っているものなのですが、それを極限にまで高め、磨き上げて他の追随を容易に許さぬレベルに到達させた「職人技」。

 いわゆる「定量・数値化」が元々難しく、単一の世代では到達するのが非常に困難な域に到達した技術です。

 その中でも一番わかり易いのは、極限にまで高められた、世界髄一のレベルを誇る「超高精度水平面」の加工生成技術でしょう。許された誤差がミクロン単位であるのなら、それを作り出すには、その誤差・単位を超える精度の「超高精度水平面」を持つ作業台や、それによって作り上げられた超高精度な検査機器が必要になります。

 我が日本国の職人さんは、日々、当たり前にそんなとんでもないレベルの仕事をやってのけたりしている訳ですが、これもまた、具体的にはその製造過程には特許の「実用新案」レベルで「定量・数値化」の可能な工程があるにもかかわらず、それらが特許申請される事はまずありません。

 誰もがやれるようになってしまっては、これまでの永年の蓄積の苦労が全て水の泡ですから当然でしょう。かの国々にとっては、まさに垂涎の的の技術(笑)。

 それゆえ、我が日本国の深刻なデフレ状態を、かの国々の走狗たる彼らが、我が日本国の足を混乱や恐怖で引っ張り続けて強く望む、は彼らの立場からすれば当然の事であるわけです。陰に陽に、その戦略的価値を理解できない、低レベルな政・財・官のボンクラ二代目・三代目を目先のニンジンでたぶらかしては、職人さんや彼らを有する会社を買い叩かん、と日々のその工作に余念がないわけです。

 彼ら…かの国々の選民様らは、我が日本国における政・財・官のレベルの低いボンクラ様方と同じく、安易に、雨後の竹の子のごとくポコポコ生まれて来る人民のごとく、技術も金に飽かせて買えば良いぐらいにしか考えて居らず、結果として、かの国々は今現在…というか今後も永遠の途上国のままでしょう。

 人は教育し、育てなければ成長はせず、かの国々やボンクラ様のごとく「勝手に生きて我々のために死ね」では本当の意味での「愚民」のまま。「愚民政策」の恐いところは、誰もがその「愚民政策」の影響から逃れる事がかなわず、結果として、国全体のレベルが競争する世界から脱落…取り残されてしまう事。

 そこに「選民主義」が加わった日には目も当てられない有様となるわけで、ま、この動かし難い現実が我々に指し示すとおり(笑)。

 その意味でも、我が日本国は「勝手に死ね」の怠慢と怠惰の挙句、ショック・ドクトリンの要領で省庁の焼け太り…役立たずの増殖を許して来た怠惰怠慢のその方針を改めるべきではあるのですが、ま、肝心の政治家の怠惰怠慢を許してきたは、他ならぬ我々…怠惰怠慢に過ごしてきた多くの日本国民でもあるわけで、結局、要は我々次第か(遠い目)。

 ま、いい加減真剣に仕事しないと、って話しです。いつまで経っても政党支持が伸び悩む、信用が失墜し続けるは、間違いなく彼ら自身の責任(溜め息)。

 勿論、何やらもっともらしい事を書いてるからといって、私がごとき、鬱で凡愚な外道を妄信するは誤り。本当に優秀な方々にとっては、こんなのはすでに来た道、過ぎた道。踏み台にすらならないでしょうね(笑)。

 「民がやれぬ、やらぬなら官で」と発想の転換でもして、すでに動いてるでしょう。

 ………動いていると良いなぁ(遠い目)。ではm(__)m。