鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

それゆえに130

 ド外道の私の目から、甘利大臣の件に対する野党をはじめとする、かの国々から提供される利得による「飼い狗」属性を持つ人々の、過去に自らが敷設してしまった地雷を踏まぬよう、必死に外道を成す…外道に踊るその様は、もはや滑稽にすら思えます。

 ま、それが外道たる彼らの選択であり、それゆえに逃れ得ぬ宿命。しょせんいくらでも替えが利く、狗…走狗の憐憫。

 本来、民主主義における王道は「より良い結果を双方が追及する」ことにあります。

 彼らが常にそれに反するは、ひとえに、かの国々の飼い狗として、我が日本国の繁栄と平和を阻害し続け、少しでも、傾国と亡国のフラグを立てまくる利得の故国との差を埋め、その愚かな外道一辺倒に貢献せんがため。

 私の目からすれば、もはや、どん詰まり…或いは崖先に向かって全力疾走しているようにしか見えませんが、ま、それが彼らの選択なのでしょう(ため息)。

 隙あらば、いつもの「おサボり」…審議拒否に余念がない辺りが、なんというか、すべてを物語っています(´・ω・`)

 ド外道の私に、彼らに対する決定的な優位性があるとするなら、それは、外道一辺倒の彼らとは違って、かの中国人老師に学んで「王道を理解して、使える」ことにあるのでしょう。

 単純に、外道一辺倒の彼らに比して常に選択肢が多くあり、そして、奥山氏の『戦略の階層』上で常に上位に立つことが可能であり、さらに、同じ外道ゆえに彼らの外道を読んで対応するのが比較的容易い。

 ま、常に最低最悪の外道よりである、のが難ですけど(´・ω・`)

 ですから、物事の「踏み台」とする、には丁度良いのでは(´・ω・`)?

 「物事の本質は、常にその先にある」のが私的に日常ですし(´・ω・`)

 ではm(__)m