鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

彼らこそ正真正銘の(笑)34

 終戦の日は、慰霊と鎮魂の日。過去における過ちを真摯に振り返り、二度と同じ過ちを繰り返さない事を再度確認すべき日でもありますが、例年同様、自虐史観東京裁判史観に基く、嘘と欺瞞に満ちたカルト宗教そのものの「信じるものは巣食われる…もとい、救われる」式の誤った考えが横行している事にうんざりした一日でした。何よりそこに「慰霊と鎮魂の心」という、今や保守論壇ですらも、それを失いつつある現実には愕然とします。私の両親は共産主義者でしたが、それでも未だ、その我が国に脈々と受け継がれてきた一つの文化、その思想と心情を失っては居ません。だからこそ、彼らもまた、私同様に、現在の我が国における左派・リベラル思想を見限ったのですけどね。

 日本人である事に誇りを抱けず、また、そうあるべく偏った教育を受けた人々に、保守論壇の方々も知らず彼らの影響を受け、私のいうところの


奸国面に堕ちてる


事を今一度己を振り返り、冷静に自覚すべきでしょうね。小異を捨て、大同を得る以前に、彼らは、自分自身が正しい現状認識ができていない事に気付くべきでしょう。世界が、この金融工学危機の最中である事、歪んでいる上に嘘と欺瞞に満ちた、その自国民の8割をも犠牲にしても、我が国総人口に対して2倍超の市場を持つ中国と、今、後先考えずに喧嘩している場合かどうか考えてみるべきでしょう。恐らく、彼らは「金の問題じゃない」的な反論をするのでしょうが、


国益=国民全体の利益


を踏まえていれば、現在、今一番に国民に必要な事は経済の回復であり、日本経済のそのパイの拡大です。つまり、理念や理想の枠組みの前に、現実的に、悪く言うなら打算的に、国民全体の利益をこそを何より尊重すべきであるわけです。

 リアリスト、現実主義者たるタロサ…麻生太郎氏にしてみれば、これは当然の選択といえるでしょう。優先すべきは、過去の死者よりも現在を、今を生きる国民を、です。そもそも、


金と権力の狗


に過ぎない連中と一緒になって、慰霊と鎮魂の日をシンボリック…象徴的な踏み絵の日にする事に、彼らはそこに何も違和感を感じないのでしょうかね? ………ま、微塵にも感じないからこそ、彼らは平然とやってのけているのでしょうけどね(溜め息)。タロサは、終戦記念日前のぶら下がり会見で

「国家のために尊い命を捧げた人達を政争の具などにするのは間違っている」

旨の発言していますが、これですらも、彼らからすれば


参拝から逃げた


と批判の対象になります。元極左の私的にいえば、


( ゚д゚)はぁ?


としかいえません。そもそも、彼らはいったい何と闘い、いったい何を守ろうとしているのかを忘れているのでしょう。或いは、根本的に誤って認識しているのかも知れません。

 我々が守るべきは


国益=国民全体の利益


であって、それは慰霊と鎮魂の日に、あえてマスコミによって無理矢理象徴化された、騒々しい祭りの中でシンボリックな踏み絵を踏んで得られるようなものではありません。確かに、国内的には一時の熱狂を得られるでしょうが、国外的には明確な軋轢を生み、やがてそれは、国民全体に不利益として還って来ます。衆議院選挙で仮に勝利を得られても、それは、しょせん英霊の方々を単に政治利用した上での勝利に過ぎず、今後、英霊の方々の慰霊と鎮魂の場である靖国を、政治的な、事ある毎に騒々しくなる一つの政治イベントの会場とする事に他なりません。永い目で見れば、結局、タロサの方が正しい事に気付きます。彼らが持つ、現状への危機感は解りますが、それもまた、彼ら自身の気ままな行動の積み重ねによる当然の帰結でもあります。彼らが行う批判は、タロサ1人に、その責任を押し付けているだけの非常に無責任で、どこまでも不毛な行為にしか過ぎないのです。

 今一度冷静になって、我々は何と闘い、何を守るべきかを真剣に考えるべきでしょう。それこそが、先の国難における多くの死者、英霊の方々への真の慰霊と鎮魂である、と私は考えています。ではm(__)m。