鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

彼らこそ正真正銘の(笑)11

 昨日、廣宮孝信氏やその著作である「国債を刷れ」、最近ネットで見られる一面的な見方だけで、かつての小泉政権による「緊縮財政」を批判し、現政権の「財政出動」を引き合いに無批判に礼賛した挙句、かつての「小泉改革」全体をも否定せん、とする動きを批判していますが、だからといって、私は廣宮孝信氏やその著作の「国債を刷れ」を完全に否定するものではありません。そこで訴えられている主義・主張には多いに共感いたしますが、ただ、政府が「財政出動」をしたから全てが解決するわけではないし、「良かった良かった」で終わらせてはいけない、という事を補足したかったのです。

 現在、廣宮孝信氏も、ご自身のブログで「国債を刷れ」で書き切れなかった色々を日々補足されてはいるのですが、残念ながら、それは単に経済面からの補足に限定されすぎており、勿論、論点を意識的に集約し、拡散しがちな視点を狭める事で、より問題点の抽出とその解決の理解を読者にうながしているのは理解できるのですけど、その一方で、極一般的な政府の「緊縮財政」と、小泉政権での政治改革に必要であった「抵抗勢力」排除のための「緊縮財政」を無自覚に同一視している事が問題で、そこを、私が普段いうところの無能と金と権力の狗の連中に、現にネット上で、そしてリアルでも、都合よく事実を捻じ曲げて利用されつつあるのです。

 実際、小泉元総理がその政権末期に「改革は続く」と述べたとおりに、小泉政権で、全ての「汚職と搾取の循環システム」を完全に駆逐できたわけではなく、現在、それらはその栄養であり、力の源である金の流入を絞り込まれているからこそその影響力を抑えられているのに過ぎず、今回の政府の「財政出動」によって、早速それを貪らん、とするような、「官の格差」などという「官民格差」の前には、本来なら問題とならないような事柄を、意図的に問題視しようとする動きが現実にあります。本来、「官の格差」などというものは、高い給与の公務員と、安い給与の准公務員との間で、受け取る給与の額に基いたその責任と労働環境を、話し合って適正に分け合えば良いだけの話です。勿論、小泉政権から以後の「緊縮財政」によって絞り込まれた予算の中で(笑)。

 事実、彼らは自らの既得権益を維持するために、行政組織を物理的に縮小し、さらに国民、県民、市民、そして日本社会へのサービスを削り続けてきましたが、同時に、そうする事によって日本社会における「もう限界」というコンセンサスを形成する事に成功し、それによって、「緊縮財政」の間、まんまと温存してきた「汚職と搾取の循環システム」に、政府の「財政出動」によって得られる予算、金を再び流れ込ませて、かつての栄光、あくまでも無能な金と権力の狗らによる国民からの搾取の体制を復活させようとしています。かつて、無能な金と権力の狗の一員であった私からいわせれば、その危険性を全く認識せずに、ただ政府の「財政出動」のみを無批判で一方的に礼賛するがごときは、


どんだけナイーブやねんorz


とその現実に、ただ愕然とするしかありません。

 いかにも日本人らしい、といえばそうなのでしょうけど、それにしても、いくらなんでも、ものにはいい加減限度というものがあります。かつての、ナイーブな時代の科学者じゃないのですから、少なくとも、廣宮孝信氏には、自らのその行いの及ぼす社会的な影響に少しは想いを馳せて頂きたいですし、また、歴史を振り返るぐらいの素養が実際おありなのですから、小泉政権による「緊縮財政」が生み出したものを極一面的にしか見るのではなく、もっと多面的かつ重層的にとらえる事ぐらいはしても損はないはずです。………もっとも、意図的に人々をある方向へこそ誘導したいんだ、とかというなら話は別ですけどね(笑)。同じように、無自覚にそれに賛辞を送るナイーブな人々や、意図的に賛辞を送っている無能な金と権力の狗の人々にも、


もう、いい加減にしようよ(´・ω・`)


と、いいたいです(溜め息)。

 少なくとも、我々はこの日本国に生まれ、そこに生きています。世界は悪意に満ちていて、わずかな善意は、圧倒的な悪意に飲み込まれるのが世界の現実です。我々、日本人には当たり前すぎて忘れがちですが、今ある、この欠点だらけですが、それでも世界で唯一のこの日本人の楽園、我が日本国は、我々日本人が、この悪意に満ちた世界の中では自ら、我々日本人自身が守るしかありません。………ま、無駄に話が大きくなりましたけど、せめて、自らの住まう地域における政治、そして今回、補正予算によって交付される補助金のその使われ方ぐらいは、最低限知っておくべきでしょう。何せ、我が日本国は民主主義国家であり、民主主義とは、他人が他人のためには何もしてくれないからこその民主主義です。無知と無関心は、必ずその報いが自らに還って来る。そして、その事を知ったときには、すでに全てが手遅れとなるのです。

 願わくば、人々の目覚めが少しでも早からんことを。ではm(__)m。