鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

それゆえに52

 新年明けましたが、世間…といっても近場の狭い範囲ですけど、未だに静かな街を散歩したりしていますと、とてもではないですが、気軽におめでとうなどとはいえない気分になります。ま、それでも、年初の定番挨拶ですから、とりあえずは口にはしていますが、次いで、早くも今年の先行き、見通しについて問われる事ばかりであるのが、多くの人々の現政権・与党らへの、そして野党らへの不信と不安のその表れなのでしょうね(溜め息)。

 状況は、すでに一年ほども前には出来上がっていて、後は、誰が本当の解決策を我々、多くの日本国民に指し示したり、告げるのかだけの話しに過ぎないのですけど、残念ながら、我が日本国におけるエリート層たる選民様らの、その圧倒的大多数が腐敗と劣化の只中で、未だに情勢の変化を無視してホルホルし続け、間違った方向にのみ、日々、一生懸命に忙しく働くその姿を見るに付け、私の「ねっ?(´・ω・`)」で人々の合意を得る日々なのですけど、ほんと、このまま行き着くとこまで行きそうな勢いですorz。

 まあ、勿論、それは私の体感に過ぎない事も十分に承知はしていますし、いわゆる「伝言ゲーム」のように、劣化もすれば捻じ曲げられもするでしょうから、その結果が、必ずしも私が望むものとはかけ離れてしまう可能性が高いわけですが、それでも、無能と悪意の選民様らを魔女狩り、レッテル貼りや差別で焼き払わんとするその部分だけは、その質の変化はあっても、その方向性自体に変化が及ぶその可能性は、未だに極めて低いままです。ま、現実が事実そうであり、彼らが何ら改めないわけですからね。馬鹿もここまで極まると、彼らは歴史にその名を刻むのかも知れません。勿論、無名よりはマシ、ってヤツですけどね(笑)。

 以前も書きましたが、馬鹿の野放し状態ですから、いったいどこまで、この我が日本国の「底抜け脱線ゲーム」状態が続き、また、その底が抜け続けるかがわからないのですから、はっきり言って、とても笑っていられる状況ではないのですが、その一方で、我々が持っている影響力など微々たるものにしか過ぎませんのでどれほど心を痛めてみても、それは、自らの精神を蝕む闇にどこまでも堕ち行く結果にしかなりません。事実、私が現在、鬱で苦しんでいるようにね(笑)。現実を現実として受け止め、一事の熱情に任せるのではなく、日々淡々と、自らの出来る事と成すべきを成し続ける事が、我々、多くの日本国民に今、まさに何よりも必要であるわけです。………なだめるのが大変ですけどね(笑)。

 ミクロの事象を切り取り、それによって、マクロの問題を解決しない方向へとミス・リードする。財務省と、その子飼いの金と権力の狗らのその常套手段であり、また、他省庁や組織によって現在、我々、多くの日本国民に向けて日々日常的に行われている事なのですが、年内に実例を挙げて〜とかいってた割に、すっかり私自身が忘れていた事に先日、友人からの指摘で気が付きましたorz。遅ればせながらですが、今日はひとつ実例を挙げて見ます。

いじめ 調査公表求める要望書 12月7日 13時31分 nhk

 虐めや自殺などで子どもを亡くした遺族らを支援するNPO法人が7日、文部科学省を訪れ、深刻ないじめなどが起きた場合は、学校側が事実関係を速やかに調査し、被害者やその家族に公表するよう求める要望書を提出しました。

 要望書を提出したのは、いじめや自殺などの被害者を支援している川崎市NPO法人「ジェントルハートプロジェクト」で、7日は代表者ら5人が文部科学省を訪れました。

 要望書では学校で深刻ないじめや自殺などが起きた場合、学校側が児童・生徒に対して速やかに調査に行い、その結果を被害者やその家族に公表することを求めています。

 さらに、被害者や家族の意見も反映させ、事実を明らかにすることで再発防止策に生かしていくよう求めています。

 いじめの問題をめぐってはことし10月、群馬県桐生市でいじめを受けていた小学6年生の上村明子さん(当時12歳)が自殺し、当初、「いじめという認識はなかった」としていた学校側が、その後、いじめを認めるなど、対応が問題になりました。

 7日の要望書には上村さんの父親も賛同者の1人として名前を寄せています。

 NPO法人の小森美登里さんは「きちんと事実を調べて、情報を共有することが重要だ。いじめなどの問題が起きると学校や教員の評価が下がるような現状を変える必要がある」と話しています。

 私の外道アイ…視線でこの記事を見ますれば、恐らく、狗HKが主張したい事は太字の

「いじめなどの問題が起きると学校や教員の評価が下がるような現状を変える必要がある」

であろうと思えます。情報の公開とその共有、さらに被害者遺族の参加は、同じ過ちを再び繰り返さぬため、また、あの福知山脱線事故におけるJR西日本OBの委員によるJRへの情報漏洩など、その業界バイアスの掛かるの防ぐためとして、昨今の世間的なその流れともいえます。ここまでは良いのですが、これに、上記の一文を加えるのが、彼らが金と権力の狗たるそのゆえんでありましょう。

 つまり、事故航空機パイロットが法的に免責されていたり、医療における諸外国での「無過失保障制度」のような、多くの利益のために必要とされる情報を得る事や、犠牲に対する医師の法的責任を国家が肩代わりして補償する、これに類したもの…いわば「利得」や「権利」を学校や教師らに与えたいわけですね。勿論、旅客機パイロットが厳正な管理下にその身を常に置いている事や、医師や病院が、常に世間的な風評や厚生労働省の狗に成り下がっている従来マスコミらの偏向報道のその洗礼に晒されている事は無視、隠蔽し、現在の学校や教師らの置かれているそのゆるゆるの状況のままで、生徒の命に対する法的、かつ、風評などに対する免責特権だけを与えたいわけです。

 私は、少なくとも自らが外道である事に自覚がありますし、また、外道は外道なりに自らにある種の枷…少なくともその行為が意味ある行為である事の制約を課していますが、この記事を報道した狗HKや、この記事に何らの異義も唱えない件のNPO法人などは、その私ですらも遥かに凌駕するほどの外道な上に、正真正銘の下種の集まりである事の読み取れる記事はそうないでしょう………って、まあ、現実にはこの手の記事には、日々事欠かないのが現状ですけどね(溜め息)。厚生労働省とかはその極限ですorz。

 いずれにしても、私が普段「狗」と呼ぶ連中が、どういった類の人間であるかを明らかにしている記事といえるでしょう………私的に(笑)。彼らは平気で他者の命をないがしろにし、さらには、その事自体やそのご遺族ですらをも利用して、自らの利得と権益の確保に日々血眼なわけです。情報の公開と共有が避けられぬ以上、彼らのその「狗」さ加減が広く認知される事は時間の問題です。普通なら、学校における第三者委員会である運輸安全委員会的な組織の創設、また、そこに利害上のカウンター・パートといえる被害者遺族を加え、その利益を制度的に担保する事など、普通に考えれば、およそ誰にでも考え付く程度の事にしか過ぎません。なぜか、彼らにはその程度の事すら提言できないわけです。

 その上で、学校や教員の評価や風評という、いわば類似案件が再び起こる、その抑止となり得るその制約からの解放を卑劣に画策する辺りが、彼らが根本的には無能であり、かつ、もはや救いようのないまでに堕落した「狗」に他ならない事を我々に知らしめています。その上、ある教員ブログによりますと、現在、教員の過労死が頻発しているそうです。さて、問題。過労死認定訴訟や、文部科学省教育委員会、学校に対する教員からの過労死に対する訴訟がまったく報道されないその理由は? ………ま、単純に、誰一人そんな理由で死んでないからじゃないの?(´・ω・`) と思うのですが、もしかすると、私ごとき外道で凡愚には思いもよらない何かが、教員らとその関係者に及んでいるのかも知れません………ハッ、これが闇の組織の力か(棒)。ではm(__)m。