鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

それゆえに51

 使徒襲来…もとい、救済に来てくれたのはありがたい話であったのですが、その勢いが私的に凄すぎて、まるで、襲来されて追い立てまわされてるかのような微妙な気分を味わいましたorz。ま、その御かげでというか、また電池切れしてしまう前に再充電する決心が付きましたから、まあ結果オーライ♪ と自らを慰め…もとい、納得…もとい、えーと、うーんうーん?…ということに今なりました(棒)。ま、危ない兆候の目まいは相変わらずですが、充分休息すれば、ま、その内なんとかなるのでしょう(´・ω・`)。

 さて、マクロ経済の問題を、ミクロに切り取った事象で論じても解決しない旨を主張し、我が日本国における、いわゆる「破綻論者」のミス・リード…誤誘導のそのやり口を、現在も非難し続けているのが、いわゆる「三橋グループ」と一部で言われている三橋貴明氏をその筆頭(?)とした一団であるわけですが、その一方で、従来マスコミに対して、ミクロの事象…個人や一部の存在をおもんばかる余りに、マクロ…業界全体の問題をマクロ的に対処するを怠るかのごときが、随分前にですが、当の三橋氏ご自身のブログで見かけた事がありました。

 その後、特に氏の翻意や変心の表明なきを見るに、きっと、氏自身は、今もその考えを変えては居られないように私は考えています。ですが、さて、これから選民を目指すにしては「それはどうよ?(´・ω・`)」と、私は当時も今も首を捻らざるを得ません。

 確かに、例えるなら、従来マスコミにおいても青山繁晴氏などの存在は、我が日本国における腐敗した従来マスコミにおける奇特希少の存在、と私も考えていますが、だからといって、その青山氏の存在にこだわる余りに、従来マスコミ全体の…マクロの腐敗を放置するのは明らかに誤りでしょう………いや、私的に(笑)。

 ミクロを取り上げてマクロを論じても、マクロの問題は解決しません。確かに、ミクロの積み重ねがマクロに影響します。現に、圧倒的大多数のミクロがその腐敗を受け入れ、許容しているからこその我が日本国の従来マスコミのこの有り様です。

 逆に言えば、そうであるからこそ、青山氏の存在がここまで光り輝くわけですが、私思いますに、青山氏が現在為されておられる事はジャーナリストとして、そして一日本国民として、恐らくは御本人的にも、極めて当たり前のできる事を、できる範囲で普通に日々なさっているだけのように思います。ま、裏を返せば、それだけ、その他がとことん腐り切っているわけですがねorz。

 私自身が、自らを外道といわれて、「うん、そうだよ(´・ω・`)」と惑う事無く認めざるを得ないのには、仮に、従来マスコミが、そうする事でそれ相応に腐敗から脱するのであるならば、例え、奇特希少の存在のその青山氏が犠牲となる結果となっても構わない、と考えてしまう点です。はっきり言って、一人の犠牲で済むなら安いものだ、とすら考えています。

 元極左全体主義者の業なのですが、単に、青山氏を犠牲にしたところで、我が国における従来マスコミの腐敗が改められるわけではありませんから、そうしないだけの話しで、ま、そうしたところで、数少ない歯止めを失って、業界の腐敗の加速を招くだけでしょうしねぇ(溜め息)。

 ま、それゆえにこそ、我々、多くの日本国民にとってのそのニーズ…需要に応え、かつ、日本国民全体の利益に資する存在といえる青山氏を褒め称え、その一方で、腐敗に溺れる業界全体は魔女狩りにレッテル貼り、差別の業火に晒し、それが嫌ならば、青山氏に倣って普通に仕事するなり、いっそ辞めてしまうかを迫る状況を作り上げるわけです。

 ま、いわば、子供の躾みたいなもので「褒めると叱る」みたいなものです(笑)。人々からの賞賛か、様々な有形無形の圧力か、それを選ぶのは彼らですが、ま、私的には「どっちでも、好きな方選びぃ(´・ω・`)」の心境です。物心両面からの恐怖に晒されるよりは、と考えるのが人情ですが、その上で辞めるか続けるかは彼らが決める事ですからね(笑)。

 勿論、かねてから書いていますように「人の心は必ず腐る」ゆえに、時に起こる不条理や不合理は避けて通れるものではありません。必ずや、一定の割合で起こるでしょう。だからと言って、このままでは、何も変わらずこれまで通りが続くわけで、我々、多くの日本国民にとって不利益…その痛みを甘受する事を強いられるだけです。

 そもそも、彼らが当たり前に普通の仕事さえしてさえいれば、外道で凡愚な私ごときの「呪詛」など、現に、我が日本国における治安と安全、平和と繁栄の礎として日々、坦々とその任務や業務をこなしながらも、日々、一部特定の勢力らからの魔女狩りやレッテル貼り、職業差別に晒されながら、我々、多くの日本国民からの多大なる「信」…信頼を勝ち得ている公務員らの存在があるわけですから、同じように彼らも容易く打ち消し、撥ね返す事ができる話しです。

 これまで、嘘と欺瞞を繰り返すだけであったその業界で禄を食む以上は、彼らにも、相応の「痛み」を甘受し、自らは違う事…狗ではなく、記者でありジャーナリストである事を我々に知らしめるだけの相応の努力はすべき、と私は考えています。

 ま、当然、中の偉い人々は、その「痛み」を現場に押し付けんとするのでしょうが、リーマン・ショック後の「痛み」を下の人々に押し付けた財界の偉い人ら同様、それは部下らのモラル…士気や倫理の崩壊を招いて、その企業経営自体に暗い影を落とすものになるでしょう。現に、その兆候はすでに顕在化しています。

「討たれる覚悟のない者に、誰かを討つ資格はない」

 一部で好評であったアニメに登場したフレーズですが、恐らく、元ネタは

「切られる覚悟のない者に、誰かを切る資格はない」

ではないかな、と思うのですが、さらに進んで

「自らをも切る覚悟のない者に、誰かを切る資格はない」

というのもあります。ま、選民様らこそが「かくあるべし」なのですが、さて、そのお覚悟の在るご様子の御仁が昨今、とんと見かけられないのが残念ですねぇ(遠い目)。皆様に、善き新年の訪れるを願って、ではm(__)m。