鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

それゆえに58

 昨日、酒宴で疑問を頂いたのですが、あの広宮孝信氏の著作である『国債を刷れ!』を私が名著とするのには、この本が、財政規律という手段にこだわる余りに、我が日本国のマクロの問題を解決する方法は財政出動でも可能である、といういわば目からうろこ的に、私のよどみ腐っていた心に一筋の清流のごとく、新たな方法論を注ぎ込み、再び流れる…考えをさらに進めるその端緒となったからです。

 元極左である私にすれば、そもそも氏が何者で、何を目指さんとしていようと関係がなく、要は、役に立つか立たないか、害を成すのか益を成すのか、何なら、害よりも益を多く成すならそれで問題ないわけです。

 現在の政権与党や野党、例えあの鳩山氏や小沢氏であろうとも、我々、多くの日本国民全体の利益たる我が日本国の国益に資するところが、彼らが成す害よりも私が納得できるほどに大きければ、私は彼らを喜んで絶賛し、全面的に支持します。

 現実に、彼らの、日々我々に成す害ばかりが余りにも大きいから、その利害の対立上、私は日ごろから彼らを批判しているに過ぎません。政治は結果といいますが、元極左であった程度の凡愚で外道に過ぎない私には、その結果からしか類推する術を持ちませんから、例えば広宮氏にしても、仮に大阪市関係者だからといって、必ずしも大阪市民に害成す存在であるとは、現時点で言い切れるわけではないわけです。

 私的には、害成す方かな? ぐらいに考えていますが、実はその後、益成す存在になるかもしれないわけで、ま、現時点では要観察者の一人に過ぎないわけですね(笑)。

 まあ、滲み出るその背後関係から察するに、氏の歩む道は平坦ではあり得ませんし、色々と紆余曲折の道にはなるのでしょうけど(笑)。ま、いずれにしても、先日の魚拓は単にケース・スタディとして考える材料としていただければ望外の至りm(__)m。

 で、いつものようにネットを巡回していますと、三橋貴明氏のブログの以下のエントリーに突き当たりました。

綺麗事主義 | 三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」Powered by Ameba

 私的には、色んな意味で残念感漂うエントリーといわざるを得ませんorz。よくよく、氏は二元論がお好きなようで、緊縮財政を悪、財政出動を善としがちに私には見えるのですが、さて問題、鳩山ー菅政権により事実上の財政出動が現在行われ、また、今年度予算においてもそれが行われんとしています。

 なのになぜ、氏は私と同じく、それに対してこうも悲観的であるのでしょう? 菅政権が財務省の狗だから? 何兆もの赤字国債を刷って現実に財政出動してますが、何か?(´・ω・`) というわけです(笑)。

 単純な話しで、単に財務官僚らよりもその他公務員らの数が多いわけですから、例え、従来マスコミに対して、財務省が紙切れで絶大な力を発揮して世論を誘導しようとも、同じ穴のムジナに過ぎないその他公務員が、三橋氏自身の過去の講演によって、すでにネタバレしている財務省の嘘に唯々諾々と従うはずもありません。

 得意の面従腹背をフルに活用し、また、数の力で従来マスコミを操って、件の事業仕分けもすっかり茶番に過ぎない事が世論的に知れ渡っています。悪者結構、その代わりに金(予算)をよこせ、が過去最大に膨れ上がった今年度予算というわけです。持っている票数のその結果ですね(笑)。

 さて、無能なのか悪意があるのか、という話になるのですが………ま、いずれにせよ三橋氏も、私的には要観察者の一人に加わったわけです(溜め息)。現段階では、どちらとも言い切れるわけではありませんが、その程度で選民たらんとするは、私的には片腹痛いところですねぇ(遠い目)。

 恐らく、身体検査などの身内の身元を洗う真の意味も、また、妄信する信者ばかりを増やす事のその意味も、氏は理解できていないのでしょう(溜め息)。多少、ここらで恥を掻くのも、氏には良い経験なのかも知れません。その事自体に慣れるようでしたら、しょせん氏もその程度という事でしょうし(笑)。

 少し、現時点での私の立場を明らかとしておきましょう。以前からの繰り返しですが、私は元々、財政規律重視の構造改革派であったわけですが、あの『国債を刷れ!』によって、財政出動派に鞍替えする事を決断するに至ります。結局、その方が、より多くをより早く助ける事ができる事に気付いたからです。

 ご存知のように、かの国々同様、すっかり左派に汚染されている我が日本国の公務員らは、ありとあらゆる手練手管を駆使しつつ、民主主義で選び出されたゆえにまた、その民主主義によって排除もされる政治家らが、彼らの任免を自由にする、真の意味での公務員制度改革を阻止し続けています。それはすなわち、彼らの利得たる汚職と蓄財を奪われる事と同義である以上、どちらにとっても譲れない戦いです。

 一方、二十年間にも及ぶデフレという、公務員らによる民間からの搾取の状況下は、民間へのその行政サービスの破綻をもついに招く状況にあり、現実に、民間では数多の不幸とリアルな死に直面しています。彼らには、今すぐに金…民間に振り分けられた民間の資金循環を取り戻すための予算が必要とされているわけです。

 しかし、公務員がここまで腐敗している以上、そもそも財政規律が正しく機能しない事は、この二十年間の現実がそれを証明しています。頭割りで予算の取り分を増やす人員削減、民間への行政サービスの予算削減、そして、制度の欠陥をつき、自らのその無能と不作為を利得の汚職と蓄財に変える事で、彼らは表面上の財政規律を成し、現実には、民間から絞り尽くす嘘と欺瞞を繰り返すに過ぎませんでした。

 仮に、財政規律が正しく成され、また、その削減された分を公務員から民間に振り分けたところで、事態はもはや、その程度の規模では焼け石に水程度にしか過ぎないところまで悪化し、より多くをより早く救うためには、巨額の赤字国債を刷り、公務員らの中間搾取があろうとも、それでもなお、民間に充分に金…予算を振り分ける事、巨額の予算投入を可能とする財政出動するしかない、と私は考えたわけです。

 とにかく、今のままの民間を見殺しにしてまで、己が利得たる汚職と蓄財に走る公務員らを罰するための闘いを延々とし、救えるものを見殺しにするよりも、まずは、救えるものを救うための、公務員らの腐敗を潜ってもなお民間に届くだけの巨額の財政出動が必要である、と私は考えています。私が不思議なのは、現実…公務員らのこの実態を目の当たりにしながら、それでも、彼らを知恵と勇気だけで導ける、と安易に考えている人々が多い事です。

 かの国々がそうであるように、現在の我が日本国の公務員らもまた、有形無形の恐怖に晒される状況のない限り、彼らはそもそも変わる気にすらもならないでしょう。それが楽だからこその、我が日本国のこの有り様です(溜め息)。勿論、現実にわが国の治安と安全、平和と繁栄を守らんと日々奔走されている公務員らの方々には、惜しみない賞賛と相応の厚遇が必要な事は以前からの繰り返しですが、我々は胆に銘じねばなりません。

 ま、石もて追われる、そのぐらいにならないと彼らは動かないのかも知れませんが、そこはそれ、要は彼ら次第♪。ではm(__)m。