鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

結局は「ブーメラン」か

 昨日は、いつものカウンセリングに行ってきました。クリニックの正月休みの分だけ日にちがずれたわけなのですが、型通りの年頭の挨拶に始まって、いつものように近況の報告をしてきたのですが、今回は、なかなか思うように実感的に回復して行かず、いい加減イライラの元であった今後の具体的な見通しなどを先生にうかがってみました。先生いわく、「うーん、少なくとも今年一杯は見ていてください」と、至極さらりといわれました。ショックを受けているのが顔に出ていたのか、「回復基調にはある」とか「でも、直っても再発防止に最長半年ぐらいは更に投薬期間が必要」とか「ジリジリとではありますが確実に直っていますから」といつものように諭されて帰宅しました。薬も更にレベルアップしました。いや、ま、どうにもならないんでしょうがねえ(溜め息)。

 えー、いつものようにネットを彷徨っていますと、このあまりのニュースの多さには相変わらずヘタレるのですけど、ようやく昨日、「防衛庁」が正式に「防衛省」として正式に新たな「政策官庁」として発足しましたね。ま、安倍首相がその記念式典での訓示でも述べていたとおり、これは新たな国造りへの大きな一歩ではありますが、同時に、これはあくまでも新たな国造り、国防の新たな形へ向かうための一つの通過点でしかありません。まあ、私如きがいうまでもなく、「自衛隊」の皆様もこんなことは百も承知なのでしょうけれど、組織の運営管理だけの「実施官庁」から「政策官庁」への脱皮のためには、今後、政策立案の担い手の人材を確保育成に向けて組織改変も必要ですし、できるだけ早く、本来業務に格上げとなる海外派遣のための体制への移行や、その安全保障関連の恒久的政策法案の整備も進めねばなりません。これだけ取ってみても、結構課題は山積しています。

 更には、小泉前首相の時代の末期からここ最近の、以前とは明らかに違う、我が日本国政府の外交や国防へのその対応ぶりの変化を受けて、民主主義連合の中でも我が日本国のその存在意義は、今や「NATO」への参画を求められるなどして世界的に新たに再認識されつつあるのですけれど、特に、我が国との同盟関係のその意味や重要性を今やほぼ完全に再認識し直している世界番長などは、昨年末からこの年明けにかけて、一気に今までの同盟関係自体を新たな段階に引き上げんとして更に濃い、安全保障上の「パートナー」としての更なる協調姿勢を見せています。勿論これは、省への「政策官庁」への格上げゆえではあるのですけれど、今後自衛隊は、世界番長並の情報管理や即応体制などの根本的な組織改変と隊員個人、一人ひとりの意識改革が今真剣に求められている、といえるでしょう。勿論、今までもそうでしたのでしょうけど、ここから更に上のレベルの軍事、国防のプロフェッショナルとしての変貌を今、現実に求められているわけです。

 相変わらず、宗主国様などは、早速いつものお題目を並べ立てて防衛省への昇格を非難していたりもするわけなのですが、そもそもの話が、かの国の不透明な軍拡や共産主義同盟の軍事的な圧迫、中でも太っちょのここ最近の瀬戸際外交を彼らが許しさえしなければ、そして彼らの犬に成り下がっている一部特定勢力らのその身も蓋もない日本国内での策動がなければ、我が国がここまで急速に、国論自体からの根っこからの「右傾化」をすることもありませんでした。今や、既に体面を取り繕うことの無駄を悟ったのかも知れませんが、宗主国様などはここ最近、軍事的に「アジアの覇権」を狙うその野心を隠そうともしなくなりました。まあ、軍部の意向を胡錦涛がコントロールし切れていないことの現われなのでしょうけど、今後も、かの国の軍拡は留まるところを知らないでしょう。まあ、しかし競争の意味では、国と国とのせめぎ合いは「軍」の前にまず「外交」があり、その「外交」の時点で、既に現在、宗主国様は過去の自らの非道な行いの「ブーメラン」効果のせいで我が国に明らかに後れを取っていますけどね。

 私は、現在の我が国が行っている麻生外務大臣の一連の外交を、大臣の言葉のままに「『自由と繁栄の弧』作戦」と呼んでいるのですけれど、共産主義同盟が、相変わらずあの金と力にものをいわせる、その態度のドコまでもデカイ「俺様」的な外交に象徴される「中華思想」などからの脱却ができていない…ま、胡錦涛は必死に脱却をうながしているようですけど…おかげで、我が国は、宗主国様やロシアの周辺国を比較的切り崩しやすい状況にあり、ファンタジスタな麻生外務大臣は今回、更に太っちょの半島の上と国交のあるかつての社会主義国であった東ヨーロッパの4カ国を歴訪し、いわゆる「共産主義同盟プラス・ワン(ノムタン)包囲網」を、安倍首相共々、EUやNATOとの連携を更に強化して強める動きに出ているわけです。ここ最近の胡錦涛などは「落後就要挨打(立ち後れれば喰い物にされる)」などといっていますし、防衛省昇格へのかの国の我が国へのその非難も、やはりその焦燥感がにじみ出ているのですが、ま、彼らの「敵か奴隷か」のその思想からいえば、ここ最近の日本外交の急速なその変貌ぶりが真剣に恐いのでしょうね。

 ま、我が国との首脳外交を盛んに求める、あの靖国騒動は何だったのか、と思わずにはいられないほどの、やたらと気持ちの悪い宗主国様、胡錦涛らのかの国首脳のその外交上の変貌振りも、かの国のその思想的な特徴を知っていれば理解することはさほど難しくはないのですが、ま、急所である経済を実質的に握られた上、外交的には次々と周辺国を切り崩されてその状況を完成されつつあり、また、軍事的にも過去の核偏重のために装備的に明らかに時代遅れなかの国ですから、彼らの意識としては、もういつ我が国や世界番長などの民主主義連合が本気の牙を剥くのか、さぞ恐くて仕方がないのでしょうねえ(溜め息)。別に、こっちは戦争がしたいわけではないのですけど、彼らがそれを心から理解するのには、やっぱりさぞ長い時間がかかるのでしょうね。私が「恐い」と思うのは、彼らの行って来た徹底した棄民や愚民、愛国や反日政策の末に生み出された民度の低い、多様な価値観を認識できない非常に未熟な世代が暴走することです。これがまた、彼らを知れば知るほどその可能性が非常に高いのですよ。

 これは大陸系の普遍的な民族的その特徴なのかも知れませんけど、相手が自らより「弱い」と見れば、もうドコまでも延々残虐なまでに高圧的になり、そして、自らよりも「強い」と見ると、逆にドコまでも卑屈なほど惨めなくらいにへりくだる、いわゆる「敵か奴隷か」でしか彼らは対人関係を築けないわけなのですけど、そこに加えて、近年の彼ら、かの国の若年層を見るに思うのですが、彼らはもの凄く精神的なストレスに弱いのです。鬱の私がこんなことをいうのもおかしい話ですけど、例えていうのならば、昨今の問題となりつつある昔ながらの「気配り、目配り、思いやり」のない世代が引き起こす様々な事件や事故、犯罪を思い浮かべてもらえばわかりやすいかも知れません。子供を車に放置してパチンコに興じる親、予測できない思考やキレ方で犯罪を犯したり、周りに多大迷惑をかける人々、自らが愉しむことだけに夢中で、周りに対する責任感のかけらもない行動に終始する羞恥心の欠落した人々など、いうなれば、あの程度のスキルの低い人間が、かの国では軍の重要なポストに着く可能性があるのです。

 「そんな馬鹿な」とか思われるのかも知れませんけど、実際に我が日本国においても、非常に難しい数多の試験を経て、平気で色々と問題を引き起こす「あんな」連中が、今現在も国の中枢を担う「官僚」として現実に国を動かしているのです。この現実が物語るとおり、そこそこ成熟した法治国家たる我が国でさえ、「あんな」連中は様々な関門を潜り抜けて重要ポストについているのですから、かの国々のような、社会的には未熟な人治国家の場合には、一体どれほどの「あんな」連中が重要ポストについているかわかったものではありません。しかも、彼らは妄想と現実との区別がつかない、「あんな」犯罪すらも平気で起こしかねない素養を持っていても何ら不思議ではないのです。ね? こうしてみると結構恐いでしょう?(笑)。まあ、笑いごとではないのですが、明らかにかの国ではそういった人間が日々量産されているわけで、我が国とは比較にならないほどの「あんな」左向きの人間が大勢いるわけです。

 万が一を考えずには居れないはずなのですけど、彼らを良く知っているはずの左翼な方々は、ま、同類のせいもあるのでしょうけど、ゆるゆるファンタジーな脳内お花畑全開のあの「9条」を頑なに守ろうとしているわけです。もう、私的には「お前ら、ホンマもんのアフォやろ?」としかいいようがないのですが、そんなことを抜きにしても、彼らのその「敵か奴隷か」のその性根を知っている私にしてみれば、「国防」を語る上で、もはや現在の世界の現実には遠く則さないあの日本国憲法、その中でも「9条」は何としても、一刻も早く変えなければならない、と考えています。なぜならば、一口に「国防」とはいいますが、「国防」とはつまるところ「戦争」に他ならないからです。大げさに聞こえるかも知れませんが、現実に、国の情報を守るために外交官が自ら命を落としたのはホンの2・3年前のことですし、また、様々な災害でも多くの命が失われてきました。勿論、すべての命を救うことはできなかったでしょうが、それでも、もっと早くから真剣に「国防」が論じられていれば、多少なりとも現実の死者の数は減らせたでしょう。

 我々は過去、あまりに「自衛隊」の両手を縛りすぎていたのです。繰り返しますが、「国防」は、いついかなる、どんなときにも起こり得る「戦争」に他なりません。彼ら、我が国の「自衛隊」が今現実に向き合っているのは、単にこちらからはけして仕掛けない「戦争」なのです。しかも、その戦いの場において、今の日本国憲法は彼らのその両手を、常に法的に縛り付けているわけなのです。ま、一部特定民族や一部特定勢力の皆さんはそれこそ望むべくことなのでしょうけど、少なくとも彼らに守られている私は、せめてその「戦争」という死地においては、無用にしかすぎない法的な縛り、呪縛からは「自衛隊」の皆様を一刻も早く開放すべきであると考えています。勿論、外交的努力を尽くすことは、現在ファンタジスタな麻生外務大臣が現実に行っているとおり当たり前のことですが、実際に、太っちょのように「話の通じない基地外」や民族的に「敵か奴隷か」でしかモノの考えられないやっぱり「話の通じない基地外」が、我が国の周りでは実際「ウリは核保有国ニダ」といってはホルホルしてみたり、不透明な軍拡を続けてはホルホルしていたりしているのですから、現実にそれに備えないわけには行きません。

 うーん…相変わらず結論を急ぎすぎた気がしますが、まあ、以前にもこれは書いたことなのですけど、連中がヴァカな考えを起こしさえしなければ、我々日本人が、ここまで、その根っこから「右傾化」して実際に様々な行動をすることもなかったわけなのですけど、何といいますか、こう、一部特定勢力にしてもかの国々にしてもそうなのですけど、ほんと、「ブーメラン」が大好きなんだな、とシミジミと今、私はそう思っています(笑)。ではm(__)m。