あの震災から、すでに12年の月日が流れたのですね。あのときの、寝ている背中から「ドンッ」と突き上げられた衝撃的な揺れは、ここ大阪民国でも脅威以外の何ものでもありませんでした。ダイヤが遅れがちで異常に込み合う通勤列車、乗換えであきらめて当時勤めていた電気店まで歩き、そこでテレビに映し出されたその光景に唖然とし、時間の経過と共に成すすべなく、倒壊した街に燃え広がる火の手と空を覆う黒煙の光景に戦慄したのを覚えています。私が現地に入ったのはそれから2週間以上後のことでした。そのころには瓦礫もすべて撤去されていましたが、つきまとう様なあの焦げ臭い匂いと、変わり果てた、どこまでも拡がる風景に呆然とした記憶は今でも忘れられません。願わくは、二度とあのような後手後手の事態だけは起こりませんように。
思えば、結局はあの出来事が…少々不謹慎かも知れませんけれど、今にして思い返してみますと、私が左翼側から完全に決別するきっかけともなったように思います。単純に、人の命よりも理念を優先させたあの連中たちが、どうしても私には許せるものではありませんでしたし、どのように考えても人として理解できるものではなかったのです。まあ、冷静に共産主義国のそのあり様を振り返ってみれば、どこもかしこも必ず人命をどこまでも軽視していたわけなのですけど、あのときにそれを実感するまでは、私も僅かながらにまだ共産主義にすがっていたのだと思います。何のことはない、蓋を開けてみれば、ただの頭でっかちな脳内お花畑全開の外道集団でしかありませんでした。今となっては、それは理念を振りかざせば救われる、いうなれば「カルト」にしかすぎなかった様にも思います。
うーん、ちょっと鬱のツボに入っているのかもしれません。何だか今日は、今となっては遠い昔のことばかりを思い返しています。まったく、あの静かな年明けが嘘のように、日々洪水のようなニュースに世間は溢れかえっているのですがねえ(溜め息)。これほどのニュースの中で、あの小沢民の事務所費虚偽記載のニュースはドコにも見かけず、角田参院副議長の件ですら、極一部のマスコミしか取り上げないというのは「さすがに、どうよ?」とも思いますが、もう何が何でも断固スルーで、あれは始めからなかったことにしておきたいんでしょうねえ(溜め息)。ま、そもそも、マスコミなんぞに何かを期待すること事態が、すでに根本的に間違っているのかも知れませんね。しかし一説には、このマスコミの姿勢自体がかの党をして、消え行くだけの泡沫政党への道をまっしぐらに歩ませている気もするのですけど、案外、それこそがマスコミの真の狙いだとするなら………ま、妄想ですかね(笑)。
すいません、今日はもう、ただただお目汚しでした。ではm(__)m。