鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

再生への切っ掛け11(そして再生へ7)

 あー、もういい加減、私自身このテーマで書く事には相当うんざりしているのですが、ま、始めちゃったものはもうし方がないので、せめて区切りが付くまでは何とか書こう、とは思ってはいるんですけども、別に仕事で給与が出るわけでなし、かといって現状をただ黙して眺めているのも「ファビョーン!」な感じで「かんしゃく起こる><!」で癇癪が起こったり起こらなかったり…うーん、もしかするとイヤになって途中で放り投げてみたりなんかもしたりしてみなかったりして、いつの間にかフェードアウトなんてのは……orz<ダメ? ま、そんな感じですんで一応続ける意思は僅かながらもありますので、気長に、生暖かーい目で眺めていただきますと幸いですm(__)m。

 えー、もうすでに昨日の事なのですが、フジテレビ系の関西テレビで『カスペ!』の秋の教育スペシャル番組を休み休みながらも一応は見てみました。ま、鬱の私にとっては主にバラエティ形式番組は、見る事に非常にエネルギーが必要とされるのですよねえ(溜め息)。ま、そんな事はともかくとして、番組自体は今後の事も勘案して教師側に非常に有利な展開に終始した番組造りではあったのですが、それでも非常に閉鎖的で、どこまでも排他的な学校を職場に持つ教師の生の声、その生の現状をテレビのような公開の場で見聞きできる事は非常に良い事だと私は思いました。

 非常に閉鎖的で、そして酷く排他的な学校の現状は一般の我々にはなかなかうかがい知る事がかなわず、また、世間から隔離されたそんな異常な空間で働き、いつしか自分勝手な歪んだ論理を好き勝手構築し、更にはそれを自らに都合良く気ままに振りかざしてホルホルしている教師のその実態を実感する事も、やはり我々の普通の生活の中ではそうそうある事ではありません。ま、期待に違わぬというか、想像に難くないというか、おおよそ、彼ら現在の学校教師の実態は、私が考えていたものとはそう違いがない事がシミジミと良くわかりました。なかなかに偏って人格が形成されていましたね、連中は。

 しかし、どれほどそんな世間ズレしている教師が口にする例えアフォな意見であろうと、彼らが実際の、現在の教育現場における彼らなりの危機感に基づく問題点、その問題提議を直に聞ける事は、普段アレだけの極端に閉鎖的で排他的な学校で今何が起こっているのかもうかがい知れない我々にとっては、至極貴重な機会である、といえるでしょう。なぜならば、唯一教師が問題提議をしてくれなくては、現在あそこまで極端に閉鎖的で排他的な学校に通う子供を今現在持たない私などには、いったい、そもそも何が問題であり、そしてそれを解決に導くためには教育機関や学校とどんなすり合わせを行えば良いのかが、まず、何もわからないからなのです。まあ、そもそも話が始まらない、っという事ですね。

 ま、それに付いてはそもそもが、一部特定勢力によるいわゆる『不当な支配』の誤った認識による教育機関における専横を、そのほうが都合が良いから、自らにとっては害がないからと、気ままに指をくわえてバカみたいにただ眺めていたに他ならない現場教師、教職関係者らにその責任の多くが圧しかかる事は誰の目にも、もう明らかな事といえるでしょう。『不当な支配』の誤った認識が一部特定勢力と役人、そして教職員らによって振りかざされる事により、その閉鎖的で排他的な学校を始めとする教育機関の中でいわゆる邪な『奸』と化した官の腐敗と隠蔽の構図も、更には教育委員会と学校との間で培われた腐敗と隠蔽の構図も、そしてここまで隠し切れなくなるまで悪化した『虐め』問題や『履修偽装』問題などが、半ば公然とすべてまるっとまとめて放置されて来たのですね、これが。

 昨日のスペシャル番組においても、教育再生諮問会議のメンバーの方の言論を封殺するのに、自らの35年のその長い教師生活のキャリアを振りかざしたアフォ教師がいましたが、私がその場にいたのであれば、間違いなく「アフォがどれだけ一所懸命頑張っても単にアフォが積み重ねられるだけ。今現在の学校の体たらく振りを見ろ、このヴォケ!」と思いっ切りその場で「ファビョーン!」していたでしょう。番組に参加していた教育再生諮問会議メンバーの方は、改革に向けての制度見直しにおいては今後の事がありますから、明確に敵対する事を避けるためにその場での反論を遠慮したのでしょうが、一般視聴者である私にはそんな事が関係ありませんからね(笑)。

 なぜ遠慮するのか、という疑問を持たれるのかもしれませんが、彼ら教師や官(役人ですね)などの閉鎖的で排他的な職場環境で自分勝手な歪んだ論理を積み重ねて勝手にホルホルしている連中は、さしたる能力も目立った才覚もないくせに、やたらとプライドだけは無駄にどこまでもどこまでも高い高ーい連中が非常に多いのです。で、こういった連中は、動かし難い現実を突き付けられて恥をかかされたり、或いは恥をかかされたと思ったりしますと…一般社会の職場環境では良くある事ですが、事の正しいか誤りかには一切関係なく、延々陰で無駄に足を引っ張り続けるために奔走するわけです。それはなぜか。勿論、自分一人が、陰で「ざまあ見ろ」とホルホルするためにですよ。ね? ほんと、バカでしょ?

 昨日番組に参加していた教育再生諮問会議メンバーの方は、一つの学校を実際に立て直した経験をお持ちの方ですから、教師らのそんなアフォで非生産的な特性をその体でイヤというほど思い知っているのでしょう。それをいい事に「ほーら、いってやったニダ。ホルホルホル〜♪」な、根本的に何もかものレベルが低い世間知らずのアフォ教師を、私は半ばあきらめの思いも感じながらも、やっぱりイライラしながら見ていたわけです(笑)。私が、一口に教育再生といっても、それは非常に遠い遠ーい道筋になる、というゆえんです。アレが、世間の荒波に揉まれておらず、そして自分勝手な低次元の歪んだ論理にホルホルしているあの彼らの姿が、今現在、ほぼ標準的な学校教師の実態であるわけですよ。ね? 考えただけで、もう、どこまでもうんざりするでしょ?

 しかし、やはり聞くべき発言も、少なくとも一つは私的に飛び出しました。それが、ちょっとその名前までは知らないのですが、良く見る顔の一人の教師が発言した「修学旅行では5クラス、およそ200人の子供たちを5人の教師だけで面倒見なくてはならない。根本的に人が足りないんだ!」という発言がそうです。ま、「それならそうと、何で今まで黙っとったんや? 教育基本法改正反対みたいに、いくらでも陽の当たるところで座り込みでも何でもしろや、このヴォケ! それを何今更偉そうにほざいとんねん。ほんま、アフォちゃうか?」な、その根本的な突っ込みどころはまあ一まず置いておいて、確かにそれはサラリと聞き流し、単に捨て去ってしまうにはあまりに惜しい発言でした。

 現在の学校での一クラス40人体制では、現実に一人の教師で受け持つには様々な社会的情勢の悪化にもより、色々と現在は無理が生じている事は確かに事実でしょう。ですから、一クラスを2マンセル、状況によっては3マンセルの複数の教師によるグループ管理へと学校教育を改編する、という事は十分傾聴に値する事柄、十分にそれは『あり』な提案です。ただ、彼はやはり根本的にわかってはいないのでしょうが、現在の教員給与は原則現行の一クラス40人体制を一人の教師が受け持つ事への対価です。当然、2マンセルや3マンセルに改編するわけですから、一人当たりの負担も軽減するわけですよね。その分対価、給与が半分、或いは3分の一に減額される事も当たり前なわけですよ。世間的な一般常識ではねえ(にやにや)。

 ま、そこら辺りを基準にして、一発妄想をグダグダ繰り広げようと思っていたのですが、前振りだけで相変わらず長くなりましたので、それはまた次回のお話(笑)。っと、いう事で、ではm(__)m。