鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

左から右へ

 ざっと自分が書いた前回までの話を読み返しましたが…ウーン、文章を書くというのはやはり難しいですね。我ながらそう思います(笑)。もっと色々抑制しないと。初っ端から、ちょっと余りにも色々と突っ走り過ぎていますね(笑)。いやはや、もっと、色々と折り合いをつけないと…(汗)。

 しかし…ウーン、調子悪いです。今日クリニックに行ってカウンセリングを受け、帰宅した後グダグダと過ごしているんですが…先生には、「無理はせず、気長に」とはいわれているのですがねえ…もう一つ気分が乗らないので、今日は自分の話しでもしてみます。

 私は大阪のとある場所の、両親が夫婦で共産党員であった家に生まれました。ガチガチの左、まさに自民党を目の敵にしていた家庭でしたので、幼い頃からそういった教育を一身に受けて育っています。

 物心付いた頃には「はだしのゲン」やら、南京大虐殺写真展など、今から思えばなかなかにシュールな少年時代を送ったように思います。なにせ、年端の行かない少年に、あの南京大虐殺のゲロンゲロンでグロングロンのスプラッタな写真なんかを見せるのですから、今ではちょっと考えられません。サイコな人間にならないのがって……いや、まあ鬱にはなりましたけど(笑)。

 キッチリ中学では「ヤンキー」でグレてしまい、今から思えば馬鹿な事をたくさんやっていました。で、高校では、さすがにちょっと知恵を付けて「隠れヤンキー」になり、人様の見えないところで、やっぱり馬鹿な事をやっていましたね。ほんと馬鹿です(笑)。で、勧められるままに試験を受けたら、何かの間違いで工業系大学に受かってしまうという、そんな感じの、ちょっと世の中を斜めに行くような青春時代を過ごしていました。今から思うと、ほんと、けつの穴が小さく、器の小さい嫌な奴でしたね(笑)。

 そんな私でも、なぜか人生振り返ると恩師だけには恵まれていたように思います。要所々々で、なぜか、そんな人々に人生、後一歩のところを救われてきたように思います。でも、元々の器が小さい奴でしたので、そんな人々からのせっかくの優れた教えも、そのほとんどが受け切れてはいなかったように思います。まあ、「右から左」、その上「横からダダ漏れ」ってやつですね(笑)。今から思うと、教え甲斐のない、ほんと救い甲斐のない嫌な奴だったと思います。

 もし、運命というものがあるとするなら、私にとっての運命的な師との出会いというのは、大学を中退して後、紆余曲折を経て自転車部品の開発課で設計をしていたときに同僚であった、中国から日本に帰化された方との出会いが、きっとそうだと思います。非常に温和で知的で、何より誇り高く、懐が広く、そして色々な意味で深い方でした。

 ある日、後輩を指導していましたところ、見るに見かねたのかその方が、私に、穏やかにこうおっしゃいました。

「道(教え)を説くのに、答えをそのまま教えるの、悪い先生。良い先生、道標見せるだけ。これ、大事な事」

 あのときに感じた感覚を、私は今でも忘れません。まさに、私にとって「目から鱗が落ちる」とはあの事でした。それまで、自分を取り巻く環境に感じていた、説明の付かなかった異様な違和感の正体を、その言葉だけで、すべてを解き明かすそのきっかけを、あの方は、あのときの私に下さったのです。私にとってはアレが、まさに文字通りの「カルチャー・ショック」でした。

 中国人の全てが、今現在テレビで見るような中国共産党の尊大で嫌な感じの連中や、日本に犯罪を犯しに来る姑息で卑劣で残虐な奴ばかりではありません。中には、あの方のような人物もいるのです。もっとも、内モンゴル自治区の「パオトウ」から日本に来られ、帰化されたときには、確か本名から別の名に変名されていましたから、やはり、それなりの事情を抱えていらっしゃったのかもしれません。そう思うと、やはり、あのような方は極稀なのかもしれませんね(笑)。

 その方と御一緒できたのは、ほんの二年あまりの間だけでしたが、私の人生の中では、なかなかに濃い時間を過ごした時期だったと思います。一度だけ、酒の席で「文化大革命」に話が及んだときに浮かべられた、あのなんともいいがたい哀しげな表情が今でも忘れられません。それ以上突っ込んだ話は、とてもその頃の私には聞けませんでしたが、私などにはうかがい知れないような、絶対に想像も出来ないような体験を、きっとなさったのだと思います。

 その出会いがなければ、今の私はなかったでしょう。今でも、あのどこか異様な違和感を胸に抱きながら、とてつもなく器の小さい嫌な奴のままで、まだ左向きの人生を、無感情に他者を傷付けながら歩んでいたかもしれません。ま、多分、そのどこかで死んでいたか、殺されていたのかもしれない、と、そう思います。

 ま、おかげさまで、色々と姑息に騙してくれた連中にも、その後ですが、私なりにちょっとした「意趣返し」も出来ました。騙してくれた事に対する、ちょっとした「お・か・え・し(はあと)」でしたが(笑)。まあ、それについては、また機会があれば触れようかと思います。今日のところはこの辺で、…『つづく』かも? ではm(__)m。