鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

なぜ、私は彼らを非難するのか2

 昨日心から、一刻も早く滅んでしまえ、と怨々と念じたからでもないでしょうが、今日の国会はちょっとはマシになった気がします。それでも議論自体がどうも甘々のままで、今一つも二つも深まる様子がありません。昨日の国連の敵国条項に触れた西岡某といい、今日、半島の上の太っちょに対する、自衛隊をも含んだ臨検行動についての法的側面からの質疑でも、常に彼らには「では、どうするのか」と問われたときに、「それは、こうするのだ」という案を常に持ち合わせていません。

 だからすべてが、例えその議論がどんなものであったとしても、一向に深まる事がないのです。国連の敵国条項や、国連での制裁決議によってごく近い将来に行わざるを得ないだろう事が十分予想される、『船舶の臨検』という軍事活動の法的な是非について…本来なら昨日の時点でですが…なぜ、もっと深く突っ込んだ話をし、それを行うことによって、更に十分予想される更なる軍事的な行動についてまでが議論出来ないかといえば、単にそれは彼らが、それに対する彼ら自身の答えを持ち合わせていないからに他なりません。

 それを象徴するかのように、常に彼らは、複数の分野に及ぶ複数の質問をもって国会質疑に臨んでいます。なぜならば、その方がはた目にはさも仕事をしているように見えますし、とても視野の広い政治家としてさも優秀そうにも見えますし、その上、自らの質疑が不利になった場合には即座に話題を変えてすぐに別の質問に逃げるために、彼らは常に複数の質問を用意しているのです。一つの議論に一点集中した場合は、とてもこうは行きません。失敗したとき、不利になった場合の政治的なリスクが、非常に高いからであるわけですね。

 同時に、そうする事が、あくまでも仕事として、その方が楽だからでもあります。物事を、その微に入り細に入るようにすべて知り尽くすまで勉強し、それを現実と照らし合わせて理解した上でその問題点を洗い出し、それを解決するための方策を、その持論を持った上で質疑の場で相手の答弁をも予測しながら、真剣で身を削るようなただ一つの議論をするよりも、その上っ面だけを撫でるように幾つもの中身のない質問が出来た方が、自らの政治家としての体面が傷付かない分だけ楽なのです。

 それが、中身のない議論が、今現在のように国会に蔓延る原因でもあるのです。国会で、この日本社会を進化させるためのリスクの高い、身を削るような本当の意味で白熱する、生きるか死ぬかの議論を行うよりも、あくまでも自らの豊かな生活と、「先生、先生」と呼ばれるような自らを取り巻く環境、そしてその名誉を護るためだけの『政治業者』や『政治屋』にとっては、上っ面をいつも撫でるだけで、不利になればいつでも逃げれるように幾つも質問を持って質疑に臨み、いつまでもその議論が深まらない方が、仕事がなくならない、という面からも楽だからなのですね。

 平和のとき、バブル経済までのあの怠惰な時代にならば、別段そうする事が危急の危機に直結するわけでもありませんし…勿論、それはけして褒められた事ではありませんが、それでも、あのころまではそれが許される環境にあったわけです。しかし、今現在の日本には、それを許すような余裕はどこにもありません。あのバブル経済の生み出した数々のツケ、流動的なこの現在の世界情勢、今そこにある、直面している数々の危機、彼らは早く、時代が変わった事、そしてこの事態は、更に変わりつつある事をもっと真剣に認識するべきなのです。

 勿論、現政権の担い手である、今現在国を背負って立つ与党もそれは例外ではありません。一部の改革主義者と、郵政解散時にその身を潜めて隙を虎視眈々と狙っている、根本的に頭の悪い連中が、まだかなり多く与党に居る事は確かな事実です。だからこそ、与党の危機感を更に煽り、根本的に頭の悪い与党に潜むあの連中に微塵もチャンスを与えぬためにも、野党、その最大議席を擁する民主党に、本来なら我々は期待するしかないのです。ま、かえすがえすも『本来なら』という言葉が入るんですがねえ(溜め息)。

 どうもこの日本の野党には、いえ、けして野党だけ、とはいえない事ではあるのですが、民主党のみならず、共産党や捨民…もとい、社民党にしても、他国からの一部特定勢力の関与が、その本来日本国の政党としての方向性を酷く歪めている気がするんですよねえ。いえ、まあ、これはさすがに考え過ぎかなあ、とも、我ながら思わないでもないのですが、いつもの事ながら、私は常に日本人、そしてこの日本社会が、常に何者かに足を引っ張られているような気がするのです。

 この日本国に、更なるアドバンテージを与えないために、常に国会を混乱させ続け、物事を、そしてこの日本社会を前に前進させず、そして進化させないように、ハニーなトラップや金銭で飼い馴らしている手駒を、ときにはスキャンダルのネタとして使い捨てしてでも、間違っても我々の日本社会が更なる先のレベルへと行かないように、常に足を引っ張り続けている連中が居るような気がするのですよ、私には。

 と、いうのも、この世界を見渡してみても、これほど物事を地道に積み上げる事が好きな民族は、他にはそのドコにも見当たりません。日本人の誇るべき本来の特性が、今一つ、どうも活かし切れていない気がするのです。その面からいっても、私は本来の民族性を取り戻そうとする『美しい国』の安倍首相や、また、日本人本来のその特性を活かす麻生大臣の『三つのJ』などに代表されるその構想に惹かれるのです。どうせ、同じ生きるのならば、夢見て生きたい、と、私は心から思うわけです。

 ま、しかし現実は、常に残酷なぐらいに冷たいのですけどね(笑)。うーん、何だかわかり難いかもしれませんが、今日のところはこんなところで、ではm(__)m。