鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

なぜ、私は彼らを非難するのか3

 私が、日ごろから彼らを非難し続けて止まないのには、今ちょうどこのときが、世界的な規模の人類社会の一つの分岐点であると同時に、アジア、とりわけこの極東アジア地域を軸とする変革が、アジア各国にその影響を与える変革となるだろうこのときに、我々日本国もまた、一つの停滞のときを潜り抜けて、今ようやく変貌の、より良い社会への変革のときを迎えている、と、まあ、漠然とではありますが、私なりにそう感じているからでもあります。

 昨日も述べましたが、おおよそ我々日本人というものは、それが何であれ、物事をただ地道に積み重ねる事の好きな、非常に得意な民族です。なぜそうなのかは、民俗学を詳しく知らない私には、とてもはっきりとした事を申し上げる事は出来るものではありませんが、やはり、この小さな島国の中でほぼ二千年間の間、一度も他民族の侵略に屈する事なく、強硬な支配を受ける事もなかった事に在るのだろうと思います。これほどの条件を揃えている国を、私は、寡聞にして他には知りません。

 確率的にいうならば、基本的に侵略などによる支配を受けなかったため、物事を積み重ねるだけの十分な時間的な余裕が常に在り、また、水に恵まれたこの環境は、先の読めない狩猟生活よりも、生活の安定性の面でより優れた農耕生活に適しており、早い段階でそれに移行できた事が、頭だけの理屈だけではなく、体の芯にまで地道に積み上げる事への大切さが、我々日本人には染み付いている要因なのだと思います。積み重ねることが生活に密着し、体で、地道に積み上げる事の大切さを認識できる確率が、どこよりも非常に高かったのです。

 現実に、今に至っても常に優れた職人を各分野で多数輩出し続け、それによって豊かな文化をそれぞれの時代においても幾度も華開かせる事ができたのも、そもそも、我が国でのその生活が他国に比べて非常に安定的で、より豊かであった事がその大きな要因であった、と、いえるでしょう。その内容の濃さや多様さにおいては、いわゆる大陸、また西洋文化などと比較してみても、それらにけして見劣りするようなものではなく、ときには、しばしば抜きん出ている事も稀な事では在りません。

 それは、戦後60年、或いは明治からと見るならば、約120年ほどの間にわたって延々と営まれて来た、この議会制民主主義制度においても例外ではありません。ただ、我が国は高度経済成長時代からバブルまでの永い期間を、戦後復興とその生活水準の向上にのみその重きを置き、社会の成熟度、国としての水準をもっと成熟させる事を怠って来ました。世界が冷戦構造で一応平和に安定し、世界水準において非常に高いとされるその民度によって、社会の、そして国の未成熟な部分のその多くを補っていたため、特にその必要性がなかったのですね。

 しかし、世界では一応の安定をもたらしていた冷戦構造はすでに崩壊し、この日本国、日本社会もまた、バブルに踊り狂った時代を経て、国としてより成熟させる事を怠って来たそのツケがいよいよ回り、重層的に絡み合うその原因を目の前にして、全ての日本人が呆然と途方に暮れていたときに、まるでそうある事が必然であるかのようにして、あの小泉前首相が日本社会の、国のリーダーとして表舞台に登場したわけですね。あの当時の政界を今にして振り返ってみれば、その登場は、あの当時の国民が何よりも待ち望んだ奇跡的な登場だったと思います。

 そして五年と五ヶ月もの間を、小泉前首相は危機的状態に瀕していた日本経済をどうにか立て直し、旧弊にしがみ付く人々を立ち塞がる障害を折れる事なく突破し続けながら、次々と政界の第一線から排除して、腐敗腐政の温床となる構造的欠陥に改革のメスを入れ続けました。ただ、永い間放置されてきた旧弊の複雑に絡み合ったそのさまには、その凝り固まった腐敗腐政を除く必要性からも、小泉前首相の行った改革は急激でドラスティック(徹底的で激烈)にならざるを得ず、結果として、様々な傷を日本社会に残す結果となりました。

 格差が広がった、と、ある一部の人々はさも得意気に口にしていますが、バブルの崩壊を経て疲弊する経済を立て直すのに、その皺寄せがより低い層へと及ぶ事は資本主義社会である限りは、例え誰がやったとしても、これは避けようがありませんでした。資本主義においては、まずその高い層、いわゆる富裕層がまず富まねば、その下にある層まで豊かさはけして回りません。或いは、彼らは革命でも望んでいたのでしょうかね。まず、真っ先に排除されるのは当の彼らなのですがね。

 まあ、そもそもが格差の拡大は、バブル当時からすでに厳然と存在していました。ただ、全ての層が底上げされていたために、誰にとっても問題とはならなかっただけの話です。全部が全部、それなりに豊かさの恩恵を受けていたのです。ただ、やはり問題とすべきは、当時バブルに狂乱し、永年放置されて来た旧弊を改める事もせず、安易にそれを急激に膨らまし続けた当時の指導層、政権の中心いた人々なのですが、小泉改革を経て、当時その中心にいた人々が、厚かましくも、今となってはその外から声高に叫び続けるその姿には、怒りを通り越して歴史の皮肉や悲哀というものを感じます。バカですねー(笑)。

 そして、同じく当時の指導層、富裕層でありながら、口を拭って沈黙を続ける『団塊の世代』、経済界の大物たちやその患部…もとい、幹部もまた、いつまで経っても格差の拡大が解消されない原因であるわけですね。『けち』なんですよ、金持ちという連中は、基本的に。無駄や効率の話以前に、彼らは単に『けち』なんです。だから、いつまで経っても非正規雇用が減らず、低所得層に金が回らないのです。これは、真面目に積み重ね来た側の団塊世代の多量退職が目前の今、これまでにはない危機的な状況である、と、いえるでしょう。

 延々と積み重ねて来られた真面目な団塊世代の、積み重ねた経験と知識に裏打ちされたこの国の宝ともいえる『技術』の継承が、このままでは、次の世代に受け継がれない事を意味しています。なぜならば、次の世代には、その生活にそんな余裕がないからです。どうしてか? 富裕層が『けち』なために、回すべきお金を、下の層にいつまで経っても回さないからです。つまり彼らには、未来に対しての投資という概念が希薄か、ないに等しいのです。なぜ? なぜなら彼らが、好き放題やりっ放しで責任は一切取らない『団塊の世代』だから(笑)。

 今日ようやく、共産党市田さんだったかが、いわゆる偽装請負についての質疑を国会で行っていました。国会が始まってかれこれ、ようやく今日になってです。『けち』な連中は、法で縛らない限りは、本当にドコまでも事態を悪化させます。ましてや、その多くはあの『団塊の世代』です。彼らの多くは、後の世代、その他の人々がどうなろうと、社会がどうなろうと知った事ではありません。熾烈な競争社会を生きた彼らは、非常に大陸の人々に近い、『今が、自分が良ければ、他はどうでも良い』という、日本社会においては大変異質なモラルを、残念ながらその多くがその根底に持っているのです。

 そして、その背中を後の世代に見せ続けたために、今現在、この日本国において、『モラル・ハザード』と呼ばれる現象が起こっているわけなのです。え? そんなのテレビでもやっていない? そりゃ、そうでしょう(笑)。患部…もとい、そのマスコミの幹部のほとんどが誰あろう『団塊の世代』なんですから(笑)。自分の悪口を、世に広く知らしめるわけがありません。大陸の人々の影響は確かにありますが、その根底には、やはり彼らのこれまでの所業の蓄積………えーと、信じちゃダメですよ。鬱でひきこもりの戯言ですからね(笑)。っと、いう事で、長くなりましたので今日のところは、こんなところで、ではm(__)m。