鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

再生への切っ掛け2

 ちっ、さっそく宗主国様は、んもの凄い勢いで外交のボールをこちら側へ投げ返そうとしていますね。まったく、何とかの役にも立たないところを見せ付けられるのは、ミサイルのときと合わせてこれで二回目ですよ。まったく、宗主国様の名が泣くぜ、えー? おい、な気分ですねえ。ま、空爆にせよ、占領にせよ、私などが考えているよりも、ずっと早い決着が付きそうな雰囲気ですが…ま、我々自由主義連合の対応には、だからといって、何が変わるものでもありません。相変わらず、ニヤニヤしながら、ギリギリと締め付けて行きましょう。…うーん、できる事なら共産主義同盟の面々に、楽しんでる? と、茶化しの一つも入れたい気分です(笑)。

 えーと、ま、再生への切っ掛けとは何か、といっても、この日本社会には幾つもの多様な切っ掛けがそこかしこにも今もあり、「これだー!!」「ここだあー!!」と、ズバーン! ズババーン!! と、指摘できるほどの優れた才覚は私は持ち合わせても居ませんので、まあひとまずは置くとして、せっかくの切っ掛けがそこかしこにもあっても、それを活かし受け入れるだけの下地が現在の日本社会になければ、せっかくの多く存在するそれら切っ掛けも単なる不発に終始するだけで、いっこうに社会が成熟せず、一歩先に進む事なく、せいぜい極局所的な狭い事象で終わるだけでしょう。

 では、どうするのか、というその答えを提示しているのが、現在『美しい国へ』を掲げる安倍首相であるわけですね。ま、私の個人的見解ではあるのですが、この美しい日本の国土と、そこに住まう我々日本人の豊かで穏やかな、そして多様な文化や伝統を大切にして、そして未来に、次の世代たる子供たちに受け継いで行きましましょうよ、というのが、その根本にあるのだろうと、私などは推察しているのです。ま、漠然といえば漠然としていますし、抽象的といえば確かに抽象的に過ぎるのは、それが象徴的な、目指すべき頂、ともいうべき概念であるのですから、これはもう致し方のない事でしょう。

 そこに至るには、この日本に住まう人々の数だけ、そこはそれぞれの考えや見識、方法や手段が数多存在し、またどのような道を辿ろうとも、それは別にかまわないわけです。要は、この日本社会が、最終的に安倍首相の掲げる理想のそのゴール、頂に到達すれば良いわけで、安倍首相はその目標となる象徴、まさにシンボルとして、まず『美しい国へ』を我々に掲げて見せたわけですね。こうして見ると、安易にそれを非難している人々が、どれだけいいっ放しかが良くわかると思います。とにかく彼らは全てがまず、非難ありき、なのですね。

 では、なぜ彼らは、そこに至るためのその具体的な方法論を個別に吟味し、それぞれにわけて個別に議論しようとはしないのでしょうか。ま、大体わかるとは思いますが、その具体的方法などを個別にあれこれ吟味し議論されては、当の彼らが非常に困るからに他ならないのですね。でなければ、現在の国会での論戦は、そこに至るまでの様々な方法論ばかりのはずで、今ごろ安倍政権の実務的なバランスの取れた強力布陣が、それを迎え撃っていたはずなのです。では、なぜ、そうはならなかったのか。

 安倍首相はその所信表明演説でも、まるで攻めて来い、かかって来い、といわんばかりに抽象的な、ある意味『釣り』ともいえる、具体的な面での方法論を戦わせる論戦を、いかにも野党側が仕掛けたくなるような演説を行っています。あの演説の直後には、野党各党は一致して「その具体性が見えない」と非難して槍玉に挙げていたにもかかわらず、その肝心の実務レベルの具体的方法論を論戦の議題に選んだのは、以前にも触れましたがほんの僅か、せいぜい二つ三つに止まっています。ま、彼らには、したくても出来ない事情があるわけですね。

 安倍首相は、その政権の陣容の中でも、拉致、構造改革、経済、教育、そして安全保障と五つの大きな柱を掲げています。中でも拉致がトップに据えられてはいますが、その他のどれをとっても、今回の布陣の陣容では重要な案件とされています。その一つ、中でも教育は、教育基本法の改正案を今国会に提出し、最重要案件の一つとされていますが、野党各党、特に民主党はその対案路線を変更して、改正案通過阻止にその路線を切り替えています。しかし、逆にみるならば、民主党に、そしてその他の野党にとっても、今回のこの教育基本法改正は、けしてあってはならない、そこまでして守らねばならない攻められるともっとも困る弱点、いわば鬼門であるわけですね。

 ですが、考えてみればおかしい話です。今現在、問題を多々抱えたこの日本の、教育の質の低下を招いた教育基本法の改正が、一体どうして、彼らにはそんなに鬼門ともいうべき弱点となり得るのでしょうねえ。ま、すでにお気付きでしょうが、そこには彼らの既得権益の多くが、幾つも無傷のままで横たわっているからであるわけです。彼らにしてみれば、それに手を付けられる事は、即自らの政治生命に直結するわけですから、何としてもそれを守り抜きたいわけですね。あくまでも、自分の政治生命を守らんがためだけに、ですがね、これがまた(溜め息)。

 そのためには、彼らはどれだけの未来ある子供たちが、例えいじめに苦しみ死のうが、劣悪な教育環境で学力が低下しようが、世界的にはスタンダードな常識が欠落した子供たちが日々量産されようが、彼らの子供たちは高い学費を払う私立に入学させるので、別段他人の子供がどうなろうと知った事ではないわけですね。彼らにしてみれば、赤の他人であるその他大勢の国民、子供たちの未来よりも、今現在の自分たちの立場さえ保証されるなら、あとはどうなろうと知ったこっちゃない、てな、わけですね、これが。

 私が、これからの日本に彼らは必要ない、と断じる理由がそれであるわけなのですが、アフォな事に、彼らには、ほんの先の事すらもが何も見えてはいません。物事は、常にその多くが確率に支配されている、と、いっても過言ではありません。ましてや人は、常に楽をしようとして、現在の文明を構築して来ました。簡単にいうならば、「楽をする」「楽を出来る」という、その事自体がビジネスになるほどに、人間というものは楽をしたい生物なのですね。これは、延々と営まれてきた人類の歴史が証明する、動かしがたい真実であるわけです。

 では、ここでひとつ視点を変えて…って、長くなりましたが、ま、いいでしょう。彼らの立場を守るために、簡単なところで、例えば宗主国様、或いは世界番長の社会でもいいのですが、低所得な、いわば愚民政策を敷いた社会が抱える問題を考えてみれば、その行き着く先が何なのかは誰でもわかる事であると思います。治安の極端な悪化と犯罪の凶悪化と多発化、それによって引き起こされる社会と政情の不安、学力や技術継承の極端な低下とそれによって引き起こされる著しい国力の低下、そして、造り出される新たな技術や新たな文化の枯渇など、ざっと揚げただけでも、碌な事にはなりはしません。笑い事ではなく、日本社会は今、あの宗主国様や世界番長の世界にもう少しのところまで来ているのです。

 金があるから大丈夫、などと彼らは安易に考えているのかもしれませんが、事態は必ず彼らの想像をも上回る事になるでしょう。アフォは、法で縛らない限りは、事態を行き着くところまで最悪化させますし、単純に、高い知識や技術を持つ高知識層の数的減少は、間違いなく、宗主国様や世界番長の社会の後追いとなります。なぜならそこに、高い知識レベルの競争の原理、切磋琢磨が頻繁に行われる環境が、確率的に減少する事が現実に証明されているからです。あらゆる面で、特に技術と文化面で日本が彼らに先んじていられるのも、結局は社会の安定、しかも高い知識レベルでの安定が不可欠であるわけです。

 もし、今ここでそれが食い止められなければ、我々一人々々が、そういった現実に確実に晒される事になるわけですね。一度その安定が崩れてしまえば、再び醸成するまでに相当な時間と努力が必要とされます。その意味からも私は、彼らはもう日本政界から淘汰されなくてはならない、と、考えているのです。何とかの役にも立たない彼らを飼うほど、今の日本には現実に余裕がないのです。っと、いう事で、ではm(__)m。