鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

再生への切っ掛け3(破綻と崩壊と、そして再生)

 ちっ、どうやら半島の下のなまずのように掴み所のないパン君は、我らが陽気なファンキー・ノムタンの徹底的な隔離か、或いは徹底的な矯正・調教で、あのいつもの歴史認識『ファビョーン!』は何とか回避したようですね。残念(笑)。宗主国様の太っちょ訪問も取り敢えずは終了したようですし、ま、明日のコンドル姐さんとの会談で、その詳細は明らかになるのでしょう。ここはワクテカして、その結果を待つ事としましょう。恐らくは、色んな意味でギリギリの勝負だったでしょうからね、はてさて、どうなる事やら。

 で、まあ、前回ではグダグダと話をこねながら、現在の教育の質の低下と、それを放置してでも自らの立場だけを守りたい先の読めないアフォらと、それによって引き起こされるだろう様々な問題、近未来に起こるだろう今そこにある危機などを色々談じて来たのですが、まず教育基本法を改正したからといって、それらの全ての問題が簡単に片付くものではありません。社会に、安倍首相のいう『美しい国』の雰囲気を醸成し、それらを受け入れる、かつては確かにこの日本社会にあったその下地を、今また、再び造り出さなくてはならないわけです。

 そのための一つの手段が教育基本法の改正なのですが、しかしそれは、いわば文部科学省の管轄するこの日本における教育機関の、いわば安倍改革における、その単なる始まりにしか過ぎないのですね。ま、安倍首相のそれはある意味宣言であり、そして同時に、今まで聖職や聖域と称して好き勝手し放題にして来た狂職…もとい、教職員ら、そして日狂…もとい、日教組に対する安倍首相の宣戦布告といっても良いのかもしれません。だからこそ、彼ら改正されては、改革されては困る人々、主に左翼教師の多く所属する日教組を始めとする公務員系の労組と、そこから旧社会党時代から多額の献金を受け取っている民主党、そして、腰は少し引けていますが利権を持つ文教族の人々などは強硬に反対しているのです。

 この日本における現在の学校は、他からの干渉を一切受け付けない、非常に排他的で閉じられた、凄く閉鎖的な機関である、といえます。極端な事をいうならば、例え文部科学省であったとしても、金は出しても口は出させない、などという言い草が教職員の間ではまかり通るほど、また、例え警察や消防であろうとも、学校側からの要請のない限りは容易に立ち入れないほど、一種の治外法権ともいえる状態にあるのです。しかも多くの実権は現場の教師に在り、例え校長であったとしても、容易に物事を動かす事ができない事は民間登用の校長が学校改革に挑み、そして一人残らず道半ばで退職し、中には自殺者まで出た事からも良くわかります。

 校長には、基本的に自由な裁量で行える人事権はなく、また人事権を持つ各地の教育委員会も、これまで現場に口出しする事を可能な限り避けようとして来た経緯があります。ま、左翼、一部特定勢力お得意の圧力ですね。昔、今現在よりも、日教組が隆盛していた、その力を発揮していたころは教職員のほとんどが組合員であり、文字通り数の圧力で、ときには物理的ではない暴力の数々で、様々な権利を勝ち取ってきたわけですね。しかし時代は変わり、組合員となる教師が減っている今現在では、もうあのころのような事はないのですが、お役人たる当の教育委員会は、小役人根性を発揮して、延々とその前例を踏襲していたわけですね、バカみたいに。

 その役人どもの怠慢の甲斐あって、現在の教育現場は、ほぼその全てにおいて破綻を生じてしまっているのです。公立学校での教育は全然あてにならないので、親たちは子供たちをせっせと塾に通わせており、集団行動によって規範を身に付けさせるはずが、躾は家庭で、と、いわんばかりに教師は一切の体罰を禁じられて、子供たちにそれを見透かされています。厳然たるいじめの実態にすらも目をそむけ、全国各地で遺書にいじめを訴えて死ぬ子供たちがガンガン出てから、ようやく初めて「いじめはどこにでも必ずある」などと、何をいまさら間の抜けた事を、なコメントをニュースで偉そうにいっている始末です。

 その一方では、全国各地での座り込みには、平日を問わず各地の自治労日教組の組合員を動員し、国内に駐留している世界番長を座り込みで邪魔してみたり、国会で教育基本法改正反対の座り込みをしてみたりして、彼らにとって、真に重要な事は子供たちの教育ではなく、一部特定勢力様の指令にある事を当の自らの行動で、彼らは無言のうちに我々に示しています。ま、詳しくは阿比留瑠比氏のブログ・サイトに詳しいのですが、ちょっとアーカイブを漁っていただければ、ゾッとするような事柄が山ほど出て来ます。過去の運動、圧力によって優遇された環境を悪用するその姿には、私が左翼思想に毒された当時よりも、遥かに事態は深刻化しているといえるでしょう。

 今回の、各地で頻発する、いじめを原因とする子供たちの相次ぐ自殺によって、その学校と呼ばれる排他的な閉鎖空間、機関で、どれほどその機関そのものが、もうすでに破綻をきたしているのかが世間に晒されています。まず空気が読めず、そして場が読めず、更には先が読めない、彼らは日本人であるならば当然の、いわゆる一般的な常識ともいえる「気配り目配り思いやり」の欠けた欠陥人間である事を、他ならない教師自身が、その保身のためのアリバイ作りのような不用意な発言の数々で自ら、何よりも問題は、他ならないその教師自身にある事を我々に告げているのです。あんなに劣化した人間を、子供たちが信用や信頼するわけがありません。

 ま、それらあれやこれやも、延々とこの日本社会に積み重ねて来られて来た、一部特定の民族主導による一部特定勢力のまるで怨念のような所業の成果ではあるのですが、彼らの哀れなところは、ネット社会によるメディア・リテラシーに代表される、多様な知識と多彩な分析力の個人的な能力向上によって、その彼らの行いのその全てが、今や巨大なブーメランになって彼ら自身に還って行きつつある事ですね。結局、教師も含めた彼らの所業は、全てブーメランとなって彼ら自身に、災い、災厄となって還って行くわけです。しかも、ネットに触れる世代は年々低年齢化が進み、ブーメランの還ってくるサイクルも同様に年々短くなって来ています。

 当然彼らは、嘘に嘘を重ねる事によってその場その場を凌ぐしかないのですが、嘘は所詮嘘にしかすぎません。彼らはその結果として、子供たちやその親たちからの自らの信用も信頼も、そしてその権威すらもどこまでも失墜して行く事でしょう。しかも、これからの教職は、恐らく今まで通りに口を拭って勤めていられるほど甘くはなくなる事は、安倍政権が掲げる教育改革の教職員に対するその内容からも、ほぼ間違いがない、といえるでしょう。ま、空気が読めず、場が読めず、そして先の読めない彼らには、今しかない、このかりそめの常世の春をせいぜい楽しむ事でしょう。しかしすぐそこに、とんでもなく深い落とし穴がある事も知らずに。まったく、ほんと、バカばっかです(笑)。ではm(__)m。