鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

半島を眺めていて思うこと

 ここ最近の半島情勢関連のニュースを眺めていて思うのですが、何といいますか、こう、かの半島の民族的な欠点がそのまま浮き彫りとなっている感じなのですけど、ま、前回でも述べましたとおり、危機に直面するとかの民族は暴走するレミングや沈む船のねずみが如く、自ら滅亡の道へとまっしぐらに進むその特性を持っているのですが、考えて見ますと、そんな特性を持っている民族が現在、文字通りの瀬戸際外交を延々脇目も振らずに展開し、今や本当に国家的瀬戸際に立たされているわけですから笑えます(笑)。ほんの少し、今一度周りを見回すことができれば、そのときそのときの状況を再認識するだけの余裕があればこんなことにはならなかったはずなのですが、盲進かつ妄信的に、もうどこまでも猛進するのがかの民族クオリティなのですねえ(遠い目)。

 それは何も半島の上だけな話ではなく、やはり半島の下においてもそうなのですけれど、いわゆる「反日」にせよ、或いは「反米」にせよ、一度方針を決めてしまうと盲目的に、とにかくどこまでも「ファビョーン!」しながら邁進し続けて、いつもそうなのですが、動き出したらとにかく壁にぶち当たるまで止まろうとしないというか、止まれないというのか、気が付けばもう取り返しの付かないところまでチキン・ランを突き進んでしまっていて、その姿を傍から見ていつも思うのですけど、我が国なり世界番長なりに一発ガツンといつもやられてから、ようやく彼らは我に返るのですが、そのときにはもう突っ込みすぎていて、今更何をして良いやら自分自身わからずに、一人ポッツーンというか、ショボーンというのか、「ウリはどうすれば良いニカ?」と呆然とただ立ち尽くしているかのように思いますね。そんな暇はないときにでも(笑)。

 まあ、ここ最近の半島の下のそのやりようを見ていても特に強くそう思うのですが、結果として、自らのこれまでの行いすべてがモノの見事にブーメランとしてわが身に還ってくるわけで、そもそも政治、国政というものは…まあ、必ずしもそれだけではありませんけれど、基本的に物事のあらゆる可能性に対して準備しておくべきものであり、その中でも国の命運を分ける、特に国政を司る場合には、それはそもそもの前提として最早必須のことであるのですけど、その前提自体を彼らは常にどこまでも軽視しすぎていて、結果、自らの行いの道理面での辻褄を合わせることがどうにもできなくなり、そこで素直に誤りを正すならまだしも、それを「ファビョーン!」しながら無理に押し通したりするものですから、結局最後は、誰からもまったく信頼されなくなるという、いつものお決まりのパターンに嵌っているのだと思います。それも、飽きもせずに毎度毎度、律儀にそのパターンをヴァカみたいに踏襲するのですよね、これがまた(笑)。

 それを、常日頃傍目から見ているというか、見せ付けられている我々からすれば「ほんと、ヴァカだなー(笑)」と思うのですけれど、どうやら当のご本人達は、それで「まったく問題なし」と考えている様子ですから、さすがにもう始末に負えません。ま、かの半島の社会基盤、その基礎となる「法」の運用そのものがあまりに異質にすぎることがその原因なのですが、例えば世界番長にしても、また我が日本国にしてもそうなのですが、およそ民主主義連合に属する民主主義国というものは、まず「法」によって社会の基礎が成されています。つまりは、社会を生きて行く上で必ず守るべき「法」に従うことを誰もが義務付けられており、同時に、その「法」に従う限りにおいては、やはり自らも「法」によって守られているわけなのです。つまるところ「法」は「論理」です。どちらも、正しく積み重ねばなりません。また、感情などの「情」によって流されての恣意的な「法」の運用は、社会自体に非常に深刻な歪みをもたらします。当然ですけどね。

 困ったことに、彼らの社会はその「情」によって「法」を恣意的に運用する社会です。我々からすれば、社会的にどこまでも「歪み」まくっている社会であり、また彼ら自身、その「歪み」を自ら望んで受け入れている嫌いがあるのですね。ま、「法」を自ら望んで恣意的に運用する社会が、彼らにとっては至極住み良い社会であるのでしょうね、これがまた(笑)。まあ、そもそもの話が、延々と歴史を積み重ねてこなかった、我々からすれば非常に特異なその環境にこそ、様々な文化的齟齬のその原因があるのですけれど、社会の基礎であり基盤である「法」自体がコロコロ変わり、また、その「法」自体が常日頃から恣意的に乱用されるわけですから、かの国では必ずしも自らを守ってくれるわけではありません。それをいうのであれば、我々の社会もそうだ、とか思うかも知れませんが、かの半島では、我々の社会とは比べものにならないくらいに「法」が守ってくれません。つまり、かの半島、宗主国様でもそうですが、かの国々では基本的に「法」は一部の特権階級のためのものであり、その建前ですら広く万民のためのものではないわけなのです。

 であるからこそ、かの国々では、公然と特権階級による「法」の恣意的な乱用が成されるわけなのですけど、そもそもかの国々では、「法」は特権階級のためのもので自ら、多くの国民を守ることはないのですから、かの国々で「尊法意識」など芽生えようはずもありません。かの国を生き抜く上では、如何に「法」に従わずに生きることが、その結果として自らを他者よりも利し、そして自らに寄与するですから話になりません(笑)。かの国々は、自らを法治国家であると国際的には常日頃公言していますが、その実情はといえば、社会の隅々にまで汚職と倫理破綻の蔓延した、まるで中世の時代の頃のような古い、未熟な社会であるといえるでしょう。まあ、半島の下においては幾分マシな雰囲気もあるのですけれど、いずれにしても、そのベース、根本的なところは我が国とは違い「法」の根付いた社会が基盤ではありませんから、そこは「推して知るべし」といったところでしょうね。

 所詮は、他人に押し付けれただけの付け焼刃の民主主義で、見よう見まねで体裁だけ整えただけの未熟な社会なのでしょうけど、考えて見ますと、そもそもこの日本国も同じ道を辿ってきたわけなのですけど、やはり、根本的にそのベース、そもそもの社会基盤の差が現在のアドバンテージとなっているのでしょうね。しかも、一時この日本社会も停滞していましたからその差は一時縮まったようですが、小泉前首相就任の頃からまたその差は年々広がるばかりです。まったく、この一事をもってしても証明されることなのですけど、一体ドコをどうやったら半万年の歴史なんてものが………あれ? そもそも何の話でしたっけ…うーん………ま、いつもの如く、また話が盛大に逸れて行ったわけなのですけど、本当はここ最近の半島情勢を眺めていて思ったことを書こうとしていたのですが、ま、いつもの如く「こういう日もあるさ」ということで、ではm(__)m。