鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

父の教え

 昨晩、やたらと気分がふさぎ込むので「眠れるかな〜」とか思いながら横になったら、途中2度ほど目覚めたものの、結局7時間ぐらいはまとめて眠ることが出来ました。朝起きるとすでに雨は止んでおり、梅雨前線を押し下げた寒気の影響かひんやりと涼しい。見上げる空は流れる雲の曇天ながら、「これは涼しいうちに、ぜひ、歩かなくては!」と勇んで散歩に出たわけですが、きっちり通り雨に降られましたorz。いえ、まあ、いつもの平常運転ですとも…シクシク>orz。

 先日、なまえ氏(?)からコメントを頂いたわけですが、色々考えてみたりしてみたのですけど、私は父親譲りの法治主義者ではありますが、その法が、この人間社会における絶対であるとは考えているわけではありません。まあ、当たり前の話ではあるのですけれど、法もまた、光と闇…というと大げさですが、長所も欠点も併せ持つただの人間が作り出したものに過ぎず、時と共にカスタマイズ…手を加えられたり作り直されて行くものですが、どうしても現状にはそぐわない遅れたものとなりがちですし、また、それも前述したようにただの人の手によって成されて行くものです。

 何がいいたいかといえば、なまえ氏の仰る特殊な状況というのは、どれほど完璧な法体系を作り出さんと目指してみても、それが人の手によるものである限り、いわゆる例外的な状況…なまえ氏の仰る人命に関わるとか、或いは法が現状にはそぐわない、また、すでに古くてもはや法としての用を成さない状況というものは必ず存在するだろうということです。ま、当たり前なのですけど、所詮は人のやることですからね。そしてまた、それら完全ではない法を運用するのもまた人であるわけですから、なおさらこの社会には、ときにそぐわぬ場合がままあろう、というものです。

 まあ、カルトを生み出す教条主義原理主義とではないのは確かなのですけど、出来得る限り、いわゆる超法規的措置がとられた後というものは、すべからく速やかに、立法府による法の改定が行われるべきである、と考えています。逆にいうならば、立法府による法の改定が行えない案件の場合には、それは超法規的措置が認められるべきではない、とも考える…というか、そんな感じに思っています。ま、それでも、やはり例外的な状況は起こり得るのでしょうが、可能な限りは少ない方が社会にとっては良いんだろうなあ〜、と思う今日この頃、皆様にはいかがお過ごしでしょうかm(__)m。と、意味不明になってきたところで、では……(´・ω・`)。