鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

危機が今そこに在る2

 今日、電話で、友人から「説明不足でわかり難い」という、苦情というかリクエストがありましたので、少々昨日の補足をしたいと思います。

 自ら、莫迦であるという認識は、恐らくは、皆様におかれましても多かれ少なかれ体験されたことはあると思います。無知であるがゆえの失敗、ちょっとした機転が肝心なときに利かなかったとき、思い込みや勘違いでの結果的に奇矯な言動による失敗など、後で思い出せば、「何と自分は莫迦だったのだろう…orz」と凹むことがあると思います。

 これは、その当時に比べて、現在の自分が幾分か成長した、昔よりは少しはマシなレベルになったときに、よく思い出しては、ひとりで陰ながら恥ずかしがったり、悔やんだり、凹んだりするわけなのですが、このサイクル、過去の自分を振り返って、当時の自分の莫迦さ加減を自ら思い知るということは、人の成長にとって必要不可欠なサイクルであるわけです。

 私は、今でも過去を振り返り、極左であった自分がどれほど愚かであったかを振り返り、そのたび、そのあまりの莫迦さ加減から来る恥ずかしさのあまりに一人身が縮む思いがするわけなのですけど、そうした繰り返しの中で、その人が成長するためのサイクルに気が付きました。つまり、我々日本人は、古くから恥の概念の文化を持ち、恥を自覚する、自覚できるようになることで成長するわけです。

 しかし、そこでちょっと成長したことで下手にプライドを持ってしまうと、途端に、その人の成長はそこで止まってしまいます。なぜなら、今度は恥をかくことを、その持ってしまったプライドの高さに比例して、より恐れてしまうため、他者の忠告を聞き入れなかったり、認めること…場合によっては理解することが出来ない精神状態になるわけです。

 勿論、それは相当にプライドが高い、そしてその意識が極端に肥大化した状態であるわけですが、ともすれば、人というものは簡単にプライドだけをやたらと肥大化させる、いうなれば、その「負のサイクル」へと陥りやすい傾向が、特に、成長著しい幼年期から青年期にかけて実際にあるわけです。恥をかかぬための防衛努力、簡単にいうと「勉強」がそうですね。

 この「勉強」というものが結構曲者で、その多くが、単なる知識の蓄積で終わってしまいがちで、ちょっと勉強すれば、いわゆる物知りには簡単になれるのですが、それがちょっと極端に振れると単なる知識莫迦…しかも、薄っぺらいプライドをやたらと肥大化させた莫迦になりやすいわけです。皆様の周りにも、必ず、ひとりや二人は存在するでしょう。

 それを抑制するために、目上の者からの莫迦とか阿呆などの言葉が存在するわけですが、昨今の我が日本国では、例え近親者であっても、そのときに生じる摩擦を恐れて使う事をためらう傾向にあり、それがかえって、どこまでもピュア…純粋な正真正銘、本物の莫迦を無尽蔵に量産する温床となっているのです。

 幼い頃から、まるで温室で栽培されるようなものですから、いざ社会に出たとき、驚くような極端な反応に出るのもよく理解できます。昔であれば、当たり前のように経験し、そして考え、工夫することが出来たことが、現代では、実際に教育としては社会的に活かされなくなったわけです。特に、日教組らによる人権教育という名の愚民教育によって…orz。

 で、その愚民教育をもうその身一身に受けて育った私は、ある日、動かし難い現実を認識するにいたり、現在は、鬱になるぐらいにまでズドーンと凹むわけですが、その過程で気付くわけです。


ああ、莫迦で良いんだ(笑)


 この気付きは、恐らくは、本来その多くが幼年期から青年期までの間に経験することなのだろうと思います。親御さんや祖父母など、昔の日本人の感覚を持っている方の家庭であれば、当たり前のように、我が子や孫のために人生の教訓として恥を教え、また、その恥を恐れないことを教えて負のサイクルに陥ることを抑制して来たわけです。

 本来は、会社であっても、プライドと知識だけをやたらと肥大化させた莫迦など基本的に使い物にならないわけですから、可能な限り早い内に、その高いプライドを砕いたりして来たはずなのですが、現代は、やたらと過保護に育てられてきた連中が多く居すぎて、そうなると、使い物になる前に多くが辞めて行くことを繰り返す内に、そういった教育がなされなくなっているのでしょう。

 自然、人間は、生まれ付いての賢人など極限られた天才を除けば存在するわけがなく、ほとんど誰もがみんな、最初はただのナチュラル・ボーンな莫迦であるわけです。そして、しょせん一人の人間が学ぶことなど限りがあって、知っている以上のこと、専門外についてはそこらの莫迦と大差があるものではありません。つまり、誰もがみんなある程度は莫迦な部分があるわけです。

 そして、学ぶ上では、下手なプライドなど邪魔以外の何物でもありませんし、いっそ、心底自分は「莫迦である」と認めてしまった方が、学習する上では遥かに道が開けるし、また、虚心に学び取ることに集中できることに気付いたわけです。


こんなことも知らなかったのか!?


とか、


なぜ気付かなかったのか!?


とか思えば、自然


何て俺は莫迦なんだ!


と思うわけで、その思いが強ければ強いほど、その反動で強く、単なる未知の知識だけでなく、さらに異質な価値観や驚くべき知恵のその背景に至るまで、


ぜひ、ここで学ばなくては!


というプラス思考、いうなれば良いサイクルの輪に入るわけで、その気持ちが強いだけに、さらに虚心で低姿勢なりやすいことが良いサイクルで事態がさらに回って行くプラスのエネルギーとなるわけです。

 口で説明するといとも簡単なことなのですが、意外に、友人の談では、


存外、わかってない奴が多い


らしいので、やはり、現代日本が抱えている危機的、かつ深刻な問題だ、と私は思います。

 ま、確かに、本当の莫迦に向かって「この莫迦!」ということは、ある意味、言葉のわからない豚やサルに向かって「この豚!」とか、「このサル!」とか怒ることに等しく、豚やサルはこちらが怒っていることはかろうじてわかっても、なぜ怒っているかについては、やはり、彼らにとっては永遠の謎であるわけで、そう考えると、逆恨みされるぐらいなら、ここは生暖かく見守っておいてあげることが一番社会的摩擦がないのは確かでしょう。

 しかし、その安易な積み重ねが延々続いたあげくが、今のこの日本社会と、そしてマスコミ界の悲惨な現状であるわけです。その負のサイクルの輪を断ち切るのは簡単なことなのですけど、責任ある大人がそれを…教育を進んで行わない以上、今後も、延々この負の連鎖が続いて行くわけですねぇ(遠い目)。


イヤン、もう莫迦ばっかり…orz


 ではm(__)m。