鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

まず、ゴミを片付ける

 昨夜は、先日とは別の友人・・・どちらかというと日本酒の原酒びいきな…の襲来を受け、また、今度は白鶴の「匠技(たくみのわざ)本醸造」を酌み交わしながらのよもやま話に花を咲かせることとなったのですが、どうやら私は、全体の10%以下の醸造アルコールでも余り相性が良くないのか、ちょっと昨夜は悪酔いしました。ま、裸になって夜中に叫んだりするほど酔ったわけではないのですけど、悪酔いした分、薄っすら酒が残っているような気がします。酒自体は、結構旨かったのですけどね(笑)。

 そのときの話で、例の廣宮孝信氏の『国債を刷れ!』に関する話から、結局、あの「小泉改革は成功なのか失敗なのか」の話にまでなったのですが、その結論から言えば、私的には「その理念的には正しかったが、その理念が正しく実践されず、結果、現在も残るその「痛み」だけが国民に押し付けられているのが問題である」旨、友人に話しました。あの時点での「小さな政府」や「財政規律」など、我が日本国における持続可能な政府形態への変革や改革は、現在でも、私的に充分に納得できる理念です。

 問題は、一部の特権化した自らの身分を守らんがために、故意に情報を劣化させ、あるいは操作し、問題の原因をすり替えて、事実を正しく我々日本国民に伝えることなく、未だ「痛み」だけを我々に押し付けるだけで事実上の「搾取」の状態を続けようとする政治家、財界人、官僚などの公務員、労組などの組合幹部、そしてマスコミにこそあるのです。ま、どいつもこいつもろくでもない下衆野郎揃いなのですけど、その中でも、現在ネット・ユーザーらに目の敵にされつつあるマスコミなどは最悪でしょうね。それぞれ、責任を取ることのない連中ですが、その中でもマスコミは、今やその存在意義すらも根本的に疑われていますからね(笑)。

 勿論、以前から書いていますように、中には、文字通り命をすり減らして自らの職分を全うしようとする、そんな奇特な人物も1人や2人は各業界に存在しているのでしょう。しかし、その圧倒的多数…その総体としてみたときに、彼ら、各業界は我々日本国民にとってのパブリック・エネミー…いわゆる「公共の敵」と成り下がってしまうわけです。本来なら、我が日本国は民主主義の法治国家である以上は、その国の根幹である民主主義、法治が正しく機能するように事実をありのままに知る権利が我々にはあるのですが、現在、その最低限保証されるべき権利は、マスコミのそのあまりに利己的な様々な事由によって徹底的に侵害され続けています。

 元々、彼らは実業とはいえない、我が日本国という大きなサイクル上に存在する機関…いわば我が日本国というサイクル上を巡るお金や情報などの集約と再分配のためのシステムであって、その実態はあくまで虚業に過ぎず、消費することはあっても何かを生み出すことには長けていません。勿論、財界人の掌握する企業は価値を生み出しはしますが、そのトップにいる財界人は組織を運営するための経営が主たる仕事であるわけで、それ自体には実業というべき実体があるわけではありません。政治家の立法、公務員の奉仕、組合の連中の交渉、マスコミの行う情報の編集など、いずれにしても、彼らは我が日本国という巨大なサイクル上に存在する集約と再分配のためのシステムにすぎないわけです。

 もっと端的にいってしまえば、彼らは「寄生虫」ともいえるでしょう。つまり、実体のある我が日本国という巨大なサイクルに寄生し、そこから生じる価値、巡る利益を集約し正しく再分配するために、ただ消費することを我々日本国民に許された機関・・・いわゆる「システム」なのですが、彼らは、消費することだけは人一倍な癖に集約はしても正しく再分配していない、本来のその役目を果たしていないわけですから、そんな利益を吸い取り消費するだけの害だけしか我が日本国、ひいては我々日本国民に寄生するだけの存在は「寄生虫」としか私には呼べません(笑)。その彼らの実態を正しく我々に伝えないことからも、そして、同じく利益を貪るだけでその職分を全く果たさないことからも、やはり、マスコミもしょせん「寄生虫」にしかすぎないわけです。

 彼らは、その本来の職分を果たすのであるなら、それは共生ともいうべき我々日本国民との互恵関係が生じ、そこに「いる」だけの意義が生じるわけなのですけど、彼らは、その本来の職分を果たすことなく自らの利益のみを効率よく追求する、いわば注力すべきその方向性を根本的に誤っているわけで、結果、それは我々日本国民のモラル…道徳などの倫理観や士気、そのやる気の低下をも招いているわけなのですけど、そうなれば当然、彼らが享受すべき利益、取り分もまた本来は減少するわけなのですが、それを、彼らはマスコミを利用することによって情報面から我々日本国民を隔絶し、さらには組織のダウンサイジング…縮小などによってその利益配分を維持し続けたわけです。

 組織的な効率化ではなく、その縮小化を目指すことによって、個々の享受する利益の効率化を図るわけですから、本来なら、そこには個々のマン・パワー…享受する利益に見合うだけのその能力の向上が求められるはずなのですが、きっちり、彼らはその真実、事実を伝えないことによって自らを我々日本国民から隔絶し、そして差別化することで誤魔化し続け、そして騙し続けてきたわけです。彼らに共通することは、我々日本国民は、あくまでも彼らにとってその利益を搾取するためのどこまでも愚かな愚民でなければならず、いわば彼らにとっては共通の敵であり、その彼らが、我々日本国民、ひいては我が日本国の敵である一部特定勢力と手を結ぶことは、「敵の敵は味方」の単純な論理から極自然なわけですね。

 彼らにとって我々日本国民、そしてひいては我が日本国は共通する「搾取すべき敵」であり、同時に、彼らは単に「敵の敵は味方」の単純な論理によって結びついただけの、我々日本国民から搾取する競合相手同士でもあるわけです。以前にも書きましたが、基本的に、彼らは「騙される方が悪い」という独特の倫理観の下に行動しますから、自らの立場が危うくなれば簡単に他者を裏切りますし、また、そこには迷いは微塵にもありません。共闘や結託はしますが、あくまでもそれは利害が一致する場合、つまり「我々日本国民から搾取する」という一点でのみ共闘も結託もするわけで、それ以外では、単に同じ獲物を狙い合う競合相手でもあるわけですから、そこには守るべき信義や倫理はありません。

 その意味では、逆に我々日本国民が彼らを分断することで争わせることもできますが、しかし、下衆の世界ではその被害が洒落にならないのでなかなか本格的な闘争は行われず、往々にして簡単な手打ちですますケースが………何か話の方向が違う気が………ああ、そう、「小泉改革」の話でした(笑)。

 ま、結局、「痛みを耐えてくれ!」と小泉元首相が訴えていたとおり、「小泉改革」は、元々が我々日本国民に痛みを強いるものであり、それはまた、あまねく全ての人々に痛みを強いる改革であったわけなのですけど、結局、政治家、財界人、公務員、組合幹部、マスコミなどの多くが、自らを我々日本国民から差別化することによって、その理念そのものを巧みに歪め、そして、ありのままの事実を伝えないことによって我々日本国民にだけ痛みを与え続け、そして搾取し続けてきたわけです。

 その結果からいえば、あの「小泉改革」はやはり失敗であったのかも知れません。しかし同時に、あの「小泉改革」はそれによって我々日本国民にとっての「真の敵」の存在をここまで明確にもしました。後は、我々日本国民のひとりひとりが「今、どうするか」を求められているのでしょうね………と、ありきたりな結論を書いて、ではm(__)m。