鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

彼らこそ正真正銘の(笑)18

 さすがに、28日のバーベキューで、色々と精神的な発散と消費を繰り返したせいか、明けて29日の月曜日は、久し振りというか、今回の梅雨初めての梅雨らしい空模様もあって、今回の薬に変わってからはしばらく経験のなかった深い落ち込みに見舞われました。ま、半日ほどで済みましたけどね。

 とにかく、その多くが初対面で、極ありふれたご家族の方々が多く、グループの中では、私のような存在は明らかに異端であったわけなのですけど、それでも、そんな人間の話に興味を掻き立てられるほどに、世間一般の日本人が、現在、この情報の溢れる日本社会において、その量ではなく、いかに質の高い情報を求めているかを痛感した一日でした。

 勿論、私の提供できる情報など、しょせんはたかが知れている上に、極左から右派への転向組みでもあり、個人的な無意識の思い込みの偏向や、様々な記憶の錯誤などによって引き起こされる誤りなど、それらが確実にあることを告げた上で、自由になる時間に飽かせて、単にネットにつながれば、恐らく誰でもが集める事のできる情報を集積し、それらを俯瞰して見えるものを話したに過ぎません。結構酔っ払っていましたしね(笑)。

 ま、それゆえの、珍獣的な物珍しさは確かにあったのでしょうけど、それでも、アレほどに熱心にそんな話を皆さんが求め続けたということは、結局、我々日本人の多くが、未だ、情報弱者に自ら甘んじているその証左といえるでしょう。日本マスコミの手の平の上で、日々、現実にコロコロと転がされている方々が、未だ、このネットを含む高度な情報社会に到っても多く存在している事に、軽くショックを受けた一日でもありました。

 その原因は明らかで、やはり、この平和で楽園のような日本社会では、


騙される方が悪い


という、日々のその行動の基礎となる判断基準、我が日本国以下の社会では極当たり前に、まるで空気のようにどこにでも普通にある考え方が、この平和で楽園のような日本社会では、実際にそれを日々活用するようなケースが少ないため、ただでさえ根付き難いこの考え方が、日々のありふれた生活の中で他の細々とした事に埋没し、簡単に忘れ去られてしまうわけです。

 実際、私は自らの視点で見た様々な話をしたわけなのですけど、あまりに無批判に人の話しを…いい年こいて鬱で引き篭もりな、優秀でも善良でもない私に話しに、熱心に耳を傾け、聞き入るその姿に言い知れぬ危機感を感じ、幾度も、話の節目で


頭から人の話を信じちゃいけない


と幾たびも注意を喚起せねばならない有り様でした。勿論、酒が入った上での話しですし、どこまで、私のその真意が伝わったのかも怪しいものですけどね(笑)。

 とにかく、情報に触れるときは、その個々の情報に入れ込むことなく、それら一つひとつを時に比較し、時につなげてみては吟味し、そして1歩引いた場所からそれらの姿かたちを俯瞰して、その全体の流れや筋道を確かめてみる事の重要さを、繰り返し、色々とそのパターンを変えては訴えたりもしましたが、それによって、情報を発信する相手の様々な意図やその真意を読む事ができ、また、実際に伝えられては居ない事柄をも集積する事も、同じように相手のその意図や真意を探る有効な手段なのですが、この、相手がその情報を発信する、また、発信しないその理由を…その相手の意図や真意を読む、そんな、割と基礎的なその技術の価値を、我が日本国ではもっと真剣に教育すべきなのでしょう。

 勿論、公務員の負の構造の中でも、特に悪意をもって、我々日本国民にその幼い頃から徹底的な愚民教育を施し、それによって最終的に、この日本社会全体を思いのままに操らん、と日々、文字通りに狂わんばかりに血道を上げている、実際、イデオロギーに狂っているところから日狂組とも揶揄されるあの日教組が、そんな自らに明らかに不利となる、正常な民主主義社会を築くための礎となるような教育を施しはしないでしょうけどね(溜め息)。彼らは本当に狂っていて、左翼イデオロギーの狂信者であるか、或いは、この日本社会に寄生するだけの、怠惰な労働環境と高給を貪るだけのその自らの立場を守らん、としているだけかのどちらかでしかありません。

 そもそも、イデオロギーなどというものは、現在の世界においては、国家の運営のためや支配のための便利な道具にしか過ぎず、その国の国益に勝るようなものではありません。


国家には永遠に国益しかない


の言葉のごとく、国益に支障が出れば、無節操にいくらでも変える事のできるものです。現実に、資本主義経済国に明らかに劣った共産・社会主義経済国である中国やロシアは、過去にあっさりとその資本主義経済を導入しましたし、今また、行き過ぎた資本主義経済によって、世界同時不況の原因となったアメリカなどでは、社会主義経済、昔の日本のような政府が干渉する護送船団方式へと舵を切っています。重要なのは、それによって得られる国益であって、イデオロギーは、その国益を得るためのひとつの手段でしかありません。

 ま、そのイデオロギーで争わせている時点で、裏で糸を引く連中にしてみれば充分なわけです。その争いが激しい分、本来重要な、我が日本国の国益…その繁栄がかえりみられることなく損なわれ続けますからね。彼らにしてみれば、過去の成功体験である、あの安保闘争を今一度、といったところでしょう。あれによって、我が日本国の繁栄…その国益には、いわゆる「悪い段階の世代」という足枷が嵌められたわけです。「安保反対」に代わって、今度は「政権交代」とやらのスローガンだけが現在その俎上に上がっています。それによって、どんな国益…繁栄がもたらせるのかの議論は一切なされず、また、「政権交代」という手段にしか過ぎないスローガンだけが、一方的にがなり立てられているわけですね。

 しまった、前振りだけで書き切ってしまったorz。ま、28日はそんな話をした一日でした、という事で(笑)。ではm(__)m。