鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

彼らこそは正真正銘の(笑)21

 改めていうまでもない事ですが、一応念のために確認しておきますと、「目的のためには手段を選ばない」勢力…つまり陰謀好きなロシア人、当時のソヴィエト人、スラブ民族も、「騙される方が悪い」勢力の場当たり的で、その場限りの嘘が吐けずに居れない朝鮮民族も、単に、当時の世界における当たり前の認識であり、今も普遍的に通用する「騙される方が悪い」からさらに巧妙に、悪質になったか、未だ、先の展望を見据えるほどの余裕がなかったか、の違いがあるに過ぎず、しょせんは、そのどちらにしても我が日本国にとっては、社会に巣くう他国家の、或いは他民族の犯罪組織であることには何ら違いがありません。

 民主と法治、そして資本主義の我が日本国、我々日本人にとっては、害こそあっても、何ら益するところがないのはどちらも同じです。もっとも、自らの我が日本国への浸透によるその立場の確立を成し、その勢力の拡大による権力掌握のその意味に朝鮮民族が気付くまでは、彼らも、発展して行く我が日本国経済に資する面が多々ありましたが、あまりに急激に発展し、戦後の傷跡を回復し、その上、さらなる発展を遂げよう、とその歩みを止めない我が日本国、日本国民に恐れを抱き、その急激な発展を少しでも遅らし、その国力を弱めよう、と考えた彼らの本国の意向を受けて以降は、彼らは、我が日本国には害しか及ぼさない、単なる異民族にしか過ぎません。素直に日本国籍を習得し、日本人として溶け込む事よりも、彼らはその多くが、その形はどうあれ、未だに朝鮮民族としてのその意識を根底に持ち続けています。ま、そう教育されましたからね、彼らは。

 60年安保以降の、年々加速してゆく我が国の高度経済成長を目の当たりにし、これ以上の差を付けられる事を恐れた極東アジアの他の4国は、その方針を転換し、或いは、実際に棄てたはずの、棄民をエージェント…工作員として使ったり、共産主義本流の共産党から外れた者たちを煽って、混乱…テロを行わせて政情不安を招こうとしましたが、それには未だ日本人の多くが、調和と安定を望む、その古くからの気質からも激しい拒否反応を見せ、結果的に、大勢の支持を受けれなかった彼らは官憲の厳しい取締りや分断工作の前に先鋭化し、自滅してあえなく失敗となります。元々が、彼らは自ら御しやすいように、その声は大きく、教えられた事はそつなくこなせるものの、自らの器量と才幹で事態を切り抜けるほどの能力を持っていたわけではありませんし、そんな能力の持ち主は、当然自我が強い上に、彼らの誘いに耳を貸すようなことなく、当たり前のように己の能力を活かす道へと進んで行きました。

 元々、彼らの手駒になるような人々ですからね。他に取り柄がないからこそ、の人材が多かったわけで、4つの国々にしても、未だ中国は国内の事で手一杯でしたし、ロシアにしても半島にしても、その程度の人材にそれ以上を望んでいたわけではありません。半島はなおさらで、棄民が我が国でどうなろうとも知った事ではなかったでしょう。我が国の官憲の網をくぐってまで、滅び行く彼らに援助の手を差し伸べる事はありませんでした。本国に棄民されていた朝鮮民族の多くも、誘いに乗ったのはそれなりの人々に過ぎず、利に聡い彼らが、それまでの生活を捨ててまで本国に従うほどの義理はありません。適当に自らに折り合いを付け、多くがその途中で手を引いて、自らの器量と才幹を活かせる他の道を現実的に模索していきます。それはまた、多くの「悪い団塊世代」も同様で、彼らもまた、強烈に植えつけれたその思想と経験則を抱いたまま、それぞれの道を模索するわけです。

 その後、60年代半ば辺りから70年代初頭にかけて、文化大革命で政権を安定…というよりも、独裁者としてのその立場を確立した毛沢東の指示の下、最後の勢力たる中国が、我が国に対する工作を開始する事となりました。勿論、最初に接触されたのは、当時、すでにソ連とは、あまりに修正主義的に過ぎる、と一定の距離を取り、独自路線の道を歩んでいた日本共産党でしたが、やはり、かの国に対してもその現実を見て嫌悪感を感じ、ついには、あまりに教条主義的に過ぎる、として袂を分かつ事となります。現地から引き揚げるときには、文字通りのボコボコにされたのですから、その対立の深刻さがうかがい知れます。当然のようにして、中国は次なる勢力、すでに左派への浸透を済ませた朝鮮民族に目をつけます。当時、すでに在日の朝鮮民族は二つに分裂し、北韓の影響下にあって極左に近い社会党と、韓国の影響下にあって左派中道路線であった公明党に分かれていました。当然、彼らは利得の提供によって社会党公明党、と次々に手を伸ばし、ついには、金権政治の権化ともいえる、自民党の総裁である田中角栄氏にまで行き着く事に成功します。そして72年、日中の国交が回復されるわけです。

 ここに来て初めて、北韓と韓国は、すでに日本社会に入り込んでいた、多くの在日の朝鮮族のその意味を深く認識し、彼らの日本人への同化を防ぎ、工作員として活用するための一種の洗脳教育を開始します。それが、反日教育であり、愛国教育であるわけですが、結果として、これは一定以上の成果を挙げる事となります。彼らの日本人への同化を防ぎ、日本国籍習得はあくまでも本国への利益を得る手段として認識させ、北韓に至っては、帰国事業で帰国した親族を人質に取る事で利益の供与を迫る事までしました。朝鮮民族のその特性なのですが、彼らには、長期にわたっての展望を描いてそのロード・マップを精緻に描く事ができません。一言でいえば、計画性がないのです。それは、過去の彼らのその所業の積み重ねを振り返ればよくわかります。何事にも行き当たりバッタリで、そこに思い付き以上の整合性はありません。結果として、彼らは手に入れた金と権力に酔い、簡単に油断して、自らの所業を吹聴してみたりし、自らの立場を危うくするという悪循環を繰り返しています。ま、我慢のできない民族でもあるわけです。その瞬発力には優れているものの、反面、長期にわたる継続性を保てないその特性は、結局、我が日本国の足を引っ張る以上の事をなし得ませんでした。

 しかし、中国は、そんな日本人社会と在日朝鮮民族のその関係に目を付け、訒小平政権の樹立と共に、中国人らしい、緻密で執拗な浸透工作を展開し始めます。元々本国からは棄民され、その本国も我が日本国には遠く及ばずな状況の続いた在日朝鮮民族、そして、過度の競争を潜り抜け、60年安保闘争という負の経験則を色濃く持つ「悪い段階の世代」は、共通する特性を持つがゆえに結び付き、また、さらに中国という、「騙される方が悪い」の朝鮮民族と、「目的のためには手段を選ばない」というスラブ民族の間に位置するそんな大国の提供する莫大なその利得に、喜んで狗となり、その尻尾を狂ったように振る事は、当然といえば当然なのでしょう。彼らには長期を見据えるだけの能力はなく、ましてや、明確な展望があるわけでもありません。あるのは日と人並外れた欲と、低い倫理観、そして、「やったもん勝ち」や「騒いだもん勝ち」のような程度の低い、異質な経験則しかありません。「今さえ良ければ」や「自分さえ良ければ」と考え、行動する彼らにとって、「このままだとどうなるか?」とか、「この先どうなるか?」など考えもしませんし、どうでも良いわけです。その結果、あの小泉元総理に登場に合わせ、我が国に爆発的に普及するインター・ネットという、彼らの影響の及び難い環境が新たに登場し、彼らが繰り返してきた嘘と欺瞞のその数々が明らかとなりました。

 今日のところはこの辺りで。ではm(__)m。