鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

彼らこそ正真正銘の(笑)28

 前回は、たいした分量のエントリーを書いたわけではないのですが、先日の母の説得に、多大なエネルギーを割いたためのその影響が残っているのか、昨日、今日になっても、今ひとつスッキリとは行きません。天候がいまいち不順である事も関係しているのかも知れませんが、私の場合、気圧の低下による血行の不順が大きく影響しているようです。脳に回る血流が少なくなり、それが脳の活動を抑止し、セロトニンの活動を抑えているようです。ならば、と、逆立ちしてみたりもするのですが、結局、一時しのぎ以上の効果はなく、逆に、無理なセロトニンの消費につながるのでかえって良くないそうですorz。確かに、次の逆立ちまでの間隔が短く、頻繁になっていきますから、その実感としてもそんな気もしますorz。

 話変わって、前回は、今や御主人様たる国々の、その洗脳教育によるイデオロギーに狂った工作員…狗と化している在日朝鮮民族と「悪い段階の世代」に牛耳られ、現実に彼らに引きずられ、自らの利得のためには日本国民のその命すらも平然とかえりみない、そんな悪の権化、鬼畜の巣窟と化している公務員というその総体を、構造改革という体質の改善によって、その「悪」を成す余地を減らし、また、縮減すべき方向へと変えるためのその存在として、現在、すでに予算の制約と、自らの怠惰な労働環境維持に必要な物理的人手のなさから雇用されている


准公務員


という、公務員に対する利害の対立軸となる、いわゆるカウンター・パートとなるその存在を提示しました。

 小泉政権…小泉元総理が、何度か「民営化」、「官から民へ」の名の下に公務員制度改革を掲げては、そのたびに、公務員らからの激しい抵抗にあって潰されてきたのは皆様も良くご存知でしょうが、その潰され、骨抜きにされてきた「表の公務員制度改革」のその影で、あの「緊縮財政」の、その後の政権での継承により、公務員へと流れ込む金を文字通り遮断する事で、この准公務員という、いわば「影の公務員制度改革」の主役となり得るこの存在を、公務員らは、実際にその状況に直面して、その真の意味に気付くまで雇用し続けたわけです。水が低きに流れるように、己の欲が欲するままに、彼らは准公務員を受け入れました。

 つまり、小泉政権は、わかりやすい「民営化」、「官から民へ」という看板を何度もを掲げて、公務員に対する対立軸として、そのわかりやすい比較対象の「民間」の存在をいくども見せ付けて、その一方で、公務員らが「民営化」、「官から民へ」のその阻止に躍起となっているその内に、「緊縮財政」で予算を絞り続け、公務員らにとって自らの利害の対立軸となる准公務員らを、公務員自らが、自らの利得…給与の高止まりとその怠惰な労働環境…を保護するために進んで雇用するように仕向けたわけです。行政改革を真の意味で成したい小泉元総理にとって、現在のこの状況こそが欲しかったものなのでしょう。

 つまり、表の策である「民営化」、「官から民へ」が素直に成功すればそれで良し。それが潰えても、准公務員という「民営化」、「官から民へ」の代わりとなる公務員の対立軸となる存在が、その公務員の世界の中に入り込み、そして、日々の経過と共に増えるその環境を「緊縮財政」によって整えたわけです。世によくある、いわゆる「二段構え」の策であるわけですね。結果として、国よりも予算の裁量に乏しい地方において、この動きは顕著に現れたわけですが、すでに実際、かなりの准公務員らが雇用されています。

 ここで重要な事は、公務員らに比較して、准公務員らは、公務員給与のその何分の一の給与しか与えられていない、という事です。それが、同じ仕事の分量、同じ手間と労力、そして同じ責任と成果を求められたりした日には、それが誰であっても、その待遇の著しい「不公平感」を抱かずにはいられないでしょう。「表の公務員制度改革」は、その役割を「民間」に委ねるものであったわけですが、「裏の公務員制度改革」は、「民間」に代わって准公務員がその役割を担うわけです。

 その役割とは、仕事上において、公務員らが愚痴で漏らそうものなら、すかさず、

「そんなに嫌やったら辞めたら?」

とか、

「仕事代わったるから辞めたら?」

とか笑顔でいいながら、毎日、公務員らに絶え間ないプレッシャーをかけ続ける役割です。現実に、日々、公務員らのその高給にとてもつり合わない怠惰な仕事をぶりを見続け、自らの薄給に見合わぬ仕事を、毎日押し付けられ続ければ、准公務員にしても嫌味の一つもぶつけねばやっていられないでしょうしね。

 そうなると、高給を維持し、かつ怠惰な労働環境を維持したい公務員が、日々の准公務員らからのプレッシャーから逃れるには、准公務員らからのプレッシャーの元となるその不満の緩和のために、さらなる予算の獲得…つまり、国民からのさらなる税金の搾取によって、准公務員らの給与を上げて、その待遇を改善する事を彼らは考えます。勿論、彼らは、自らが

「文句を言われないようにもっと働こう」

とか、

「自らの待遇を准公務員と分かち合おう」

とか、世間一般での常識的な考えなど浮かびはしません。古の貴族同様に、彼らは、選ばれた公務員という階級から国民を搾取の対象として見下し、選民意識の下に全ての物事を判断するわけです。

 その彼らが出した結論が、いわゆる


官の格差


であり、准公務員らのその恵まれない待遇だけを切りとって問題視し、本来、公務員と准公務員の間でのその労働格差問題である限りは、両者の話し合いによって、決められた予算の枠内で准公務員の待遇改善すべきである事を隠し、いつものように国民の税金から新たな予算をこっそりと獲得しようとしているし、現にしているわけです。彼らにすれば、あわよくば准公務員という、その身分そのものをなくしてしまいたいところでしょう。なぜなら、そこに格差がある限りは、准公務員らからの日々のプレッシャーがなくなる、以前の、高給で怠惰な楽園の日々が戻って来ず、このままでは、彼らにとって事態は悪化する一方であるからです。

 裏を返せば、それだけ公務員らにとって、准公務員らからの日々のプレッシャーは耐え難いものがあるのでしょう。しかも、予算が限られる状態がこのまま続けば、否応なく、物理的な人手不足を補うために准公務員を増やさねばなりません。そうなればいずれ、不満を抱える准公務員らは、問題の解消のために公務員らの隠しておきたい事をネットに暴露したり、或いは、独自の労働組合を結成し、公務員労組である官公労との労働争議すら起こしかねないわけです。いずれにせよ、彼ら公務員にしてみれば、このままでは不利となるわけで、そこで、麻生政権の財政出動が確定した頃に合わせ、「官の格差」が、彼ら、公務員の悪の根源たる官公労イデオロギー仲間の狗HK…NHKでさっそく報道されたのもそのような理由があるわけです。

 少なくとも准公務員の存在は、多くの公務員の仕事が、民間では大企業クラスの課長級のその高給…年収で7百万を超えるぐらい…には見合わぬほどに軽く、また、実際に公務員が特別優秀であるわけでもなく、さらに現実には、その何分の一の給与であってもこなせる仕事である事を証明しています。「民営化」や「官から民へ」を、野党を始めとするいつもの連中が、「小泉改革は悪」のレッテルを貼る事で躍起になって否定しようとしています。確かに、「緊縮財政」が我々国民に痛みを強いる事は否定しません。小泉元総理自身、「痛みに耐えてくれ」と我々に訴えていました。しかし、それにより、ようやく我が国における諸悪の根源が浮き彫りともなりました。かつて、自らの政策に反対する者たちを、小泉元総理は「抵抗勢力」と位置付けましたが、それは、今現在にも通じるものとして何ら変わりがありません。

 我々日本国民にとって、政治家をも含むその総体としての公務員が、日本社会の維持と運営必要な存在である虚業…いわばサービス業であるからこそ、彼らが、適正に日々の業務をこなしているかを絶え間なく監視せねばなりません。なぜなら、彼らは一部の極悪な連中に引きずられ、現に、我々日本国民にとってのリアルな害悪となっているのです。「表の公務員制度改革」が、未だ成されていない事を鑑みてもそれは明らかです。だからこそ、それに代わる「影の公務員制度改革」の准公務員を増やし、その一方で、公務員の絶対数の削減を続けていかねばなりません。そしてこれは、国の巨額な支出である人件費を、よりフローであるGDPに反映しやすくするものでもあります。その一面、一部だけを切り取って見せ、小泉政権による改革全体を否定する連中のその姿を、今一度、我々はキチンと見定める必要があるでしょう。

 私には、彼らのその姿が、


金と権力の狗


にしか過ぎない、我々日本国民にとっての害悪にしか過ぎない、そんな醜悪な姿にしか見えないのです。ではm(__)m。