鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

彼らこそ正真正銘の(笑)29

 今日は、夕方にタロサ…麻生太郎自民党総裁が、今回の衆議員選挙の自民党マニフェストを発表する日ではあるのですが、例の鳩山民主党代表の発言からこっち、日本マスコミの必死のフォローの甲斐があってか、「正式マニフェストは公示日発表」、「それまでは改変OK」みたいな雰囲気が広がっているせいか、私的に、どうもいまいち緊張感がないというか、精神的な盛り上がりに欠けています。ま、長丁場の選挙戦ですから、結果としては、これでよかったのかも知れません。今から盛り上がっては、投票日直前まで持たないでしょうしね。

 それでも、やはり気になるのは、タロサが今回、最初の大きな一歩をどこまで踏み込んでくるか、です。この一歩で、タロサが何を捨て、何を得て今回の勝負をするのかを、その一歩だけでは確定する事はできないまでも、それでも、おぼろげにでも視える事でしょう。私が確認しておきたい事は、この一歩で、タロサが何を決断したか、或いは、何を未だ決断できなかったか、です。具体的にいいますと、タロサの、これ以上は退けない一線を見極めたいわけです。もっと簡単にいえば、本気で闘う気があるのか、否か、という事になるのかも知れません。

 といいますのも、これまでタロサは、いわゆる「ねじれ国会」の影響もあり、妥協に妥協を重ね続ける国会運営を余儀なくされてきました。少数派閥ゆえ、また、限られた人脈ゆえの数々のアクシデントにも見舞われて、与党内での立場でも幾度も足を引っ張られる有り様で、それでも、妥協に妥協を重ね、理解を求め続けるその姿勢を崩さずにやってきましたが、それはまた、タロサ個人の理念や理想を抑え、良く云えば「清濁併せ呑む」姿勢であり、また、悪く云えば「腰の定まらない」印象を与えるものでした。「ブレる」と事ある毎にマスコミは一方的に騒ぎ立てましたが、確かに、大軸、大まかな方向ではないものの、それでも、タロサ自身が幾度かの軌道修正を図ったのも確かであったわけです。

 結局、その事が、タロサ自身の本来の主張や個性を見失わせてしまい、また、その受身の政権運営そのものをも受け入れざるを得ない、そんな状況へと自らハマり込んで行く要因ともなりました。結果論にしか過ぎませんが、結局、自らの情報発信力を過信し、マスコミ対策を甘く見過ぎていた事は確かです。その実績は報道せず、失敗は集中的に報道される事は、先の安倍政権時の日本マスコミによるネガティブ・キャンペーンですでに経験済みであったのですから、せめて、マスコミに対する対決姿勢を崩す事無く続けるべきであったのでしょう。これもまた、党内の声を汲んで退かざるを得なかったわけですが、それならそれで、別の手段を講じる事無く退く事は避けるべきでした。これが結果として、タロサの主張、その軸を国民に見え難くしてしまいました。

 今、タロサに求められている事は、その個性の発露や理念の主張であり、その根拠となる軸を見せ、ここから先はもう退かない、という決意の表れが求められています。ま、一言でいうならば、それは


闘う意志


を持ち、それを確かに持っている事が、実際に多くの国民に伝わるものでなくてはなりません。問題の焦点を提示し、それを打ち砕く事を告げるわけです。その点、小泉元総理は天才でした。タロサと同じく、できる限り多くの人の話に耳を傾けながら、その一方で、ここから先は一歩も退かない姿勢を常に保ち続けましたからね。そこに、多くの国民が小泉元総理の「闘う意志」を見ていたわけです。結局、先の安倍元総理も、その退けない一線を上手く提示できなかった事が、先の参院選での敗北を招いた、と私は考えているわけです。

 ま、これまでのエントリーを読んでくださっている方々には、すでに周知の事ですが、現在の公務員制度自体が、かつて、自らを律する事のできる人々の時代に生み出されたもので、現在の、幾重にも劣化した日本人にはそぐわない、制度疲労を引き起こした問題の焦点であり、現実に、今の我が日本国の抱える諸悪の根源となっています。いわば公務員制度は病巣であり、根絶は無理としても、その縮減だけでも成さない事には話になりません。その意味で、小泉改革は、今でも立派に通用する理念です。ただ、以前から書いていますとおり、公務員らの嘘と欺瞞によって、改革の痛みだけが国民に与えられ続けました。この構図は、国会で反対し、その責任全てを与党に負わせる野党らのその手法と全く同じです。我々国民にとって、


公務員は悪である


以上、最低限、それを認識し、そして、それすらも提示できないのであれば、タロサも、しょせんはそこまでの人物という事でしょう。さて? ではm(__)m。