鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

それゆえに8

「ネットもリアルも、同じく、嘘と欺瞞が大量に満ち溢れている。しかして賢なる人々は、リアルを捨ててネットに集う。なぜか? なぜならそこには、リアルでは容易に手の届かない事実が確かに在るから」

 酒宴の席での、酔った友人の言葉を、いささかうろ覚えですが書き出してみました。ま、確かこんな風な事を〜、の意訳です(笑)。前回でも触れましたが、人は疑問を覚えたとき、そこに答えを無意識に求めます。少なくとも、その傾向が強い方の方が、やはり全体の多数派を占めている事でしょう。「答え」を「違い」と言い換えた方が、ここはさらにしっくり来るのかも知れません。「違い」を明確にするのには、その両者の比較検討を行わねばなりません。そこで、リアルに比べれば、圧倒的に比較検討のしやすい…言い換えるなら、物理的な障害やその手間の少ないネットが、必然的に多くの人々に選択される、今、まさにされつつあるのが現状だ、と私は考えています。逆にいえば、リアルが実際に事実に溢れているのならば、せめて、比較検討が容易なくらいに事実があるのであれば、現在のような従来メディアの凋落はないわけですね(笑)。

 ここ最近、この手の話題には事欠きません。どいつもこいつも、己が本業、その本質、先人の築き上げた自らの拠って立つべきところを自ら食い潰すだけの輩が、私には非常に多く目に付きます。私が良く言うところの


金と権力の狗


とは、そういった連中をひとまとめにして私はそう呼んでいます。本質的に、私は何事も面倒臭がりですから(笑)。文字通りに金と権力におもねり、使われ、振り回されている彼らは、自らの拠って立つその足場を自ら食い荒らしているのですが、どうやら、その多くはその事すらも自覚していない様子ですから救いがありません。先人たちの築いたものを食い荒らし、食い尽くした挙句に、その後始末だけは後の世代に押し付けてきたいわゆる「団塊の世代」は、その最後に至るまでも変わりませんね。我が日本国において、きっと、これほど社会に害を撒き散らした世代も他には存在しないでしょう。

 これはまた、いわゆる、我が国における「左派イデオロギー」と、かの世代の融合のその結果でもあるのでしょう。勿論、「右派」であっても以前書きましたように「利権保守」も多く居ますし、その悪質さたるや彼ら「左派」に及ばずともけして劣りはしません。ただ、先にも述べましたように、左派と右派には、そこには絶対に超える事のできない壁のように、現在のリアルとネットのような厳然たる違いがひとつ存在しています。ま、左派には狗しか存在していませんが、右派には、やはり狗が多くは在るものの、確かに、我々日本国民全体の利益を代弁できる能力と、その意志の存在する人々がまだ居る、という事です。

 もっとも、私が単にその存在を知らないだけで、もしかすれば、我々多くの日本国民の利益を代弁する能力や意思のある方、左派が存在するのかも知れませんが、残念な事に、はや、私も数十年の歳月を生きてきたのですが、未だひとりとして巡り会えた事がございません。きっと、ダイヤのごとく希少で、とても高潔な方なのかもしれませんが、どこかに埋もれたままであるのなら、そのままそっと、彼か彼女を埋もれたままにしておくべきでしょう。リアルに見出したところで、散々狗らによってたかって祭り上げられ、利用され尽くした挙句に、その最後は、全ての責任を押し付けられて火あぶりにでもされるのがオチでしょうからね。いやいやいや、マジで(笑)。

 話が逸れましたが、それほど、我が日本国における左派は従来マスコミ同様腐り切っている、という事はさておき、私が狗と呼ぶ連中のその誰も彼もが我が日本国には多く、公的、或いはそれに準ずるサービス業に巣食っているのが現状であるわけですが、その彼らの日々の動向を見るに付け、私は彼らのその心底無能振りに呆れています。彼らのその多くは、自らがしょせんは、いわばその本業に寄生している存在にしか過ぎない事を、現実に認識、或いは本当に何も理解していないからです。同じ狗でも、昔のその手の方々はそれを理解し、自らを明らかに抑制していたのですが、我が国に愚民教育の蔓延ったその結果か、今や彼ら狗自身も、その世代経過による継承の不全による劣化ともいうべき状況を迎えている、としか私には考えられません。

 犯罪者の社会においても何でもそうですが、けして越えてはならない一線、踏み込んではいけない領域というものが、必ず現実社会には存在します。それはある種の、いわば「暗黙のルール」ともいえるものなのですが、現在の彼ら多くの狗は、まるで始めからそんなものなどないかのような素振りで、何気なくその一線を越え、或いは踏み込んで居るにもかかわらず、当たり前のようにそこで平然として居るのは、やはり、彼らの多くが目先の事にばかりとらわれて生きてきたことに起因するものなのでしょう。彼らは、親の背中や、先人たちのその仕事振りを実際にその目で見ていながら、その上っ面だけを眺めていただけで、その本質を学ぶ謙虚さも、その意志すらもが、これまでのその人生において持つ事がなかったのでしょうね。

 心理学的話しですが、例えば、多くの犯罪者の捕まるその理由には、いわゆる「慣れ」や「甘え」ともいうべき人の心理が大きく関係します。当然、犯罪のプロフェッショナルは捕まり難く、アマチュアは捕まり易いのが世の常です。プロは、自らのおかれた状況や環境に「慣れ」ず、「甘え」ない事で自らを律し、また、ある一線や領域を越えない事で必要以上のリスクを抱えません。結果、ミスが少なく、現場で得られた教訓を知識として後の世代に継承しますが、一方、アマチュアはそもそも、いったい何を加減すれば良いかを自らで一つひとつ現場を踏んで経験しなければなりません。情報の収集や、状況の予測をするにしてもおのずと限界があり、そもそも、そのための方法自体もが手探りとなります。そして、往々にして、その状況や環境に容易に「慣れ」たり「甘え」る事で余分にリスクを抱え、必然的にミスを犯し易くなるわけです。

 本来、人より抜きん出る場合には、当然のごとく、多くの人々より相当の努力するか、或いは、余人に及ばぬ希少な天分…素質や能力を生まれながらにしてすでに持っていなくてはなりません。しかし、人類が生み出したダーク・サイドである極左の世界に一時期身をおいた私にすれば、周りに居る者のその多くは、ろくに努力もしないし、また、どれほどの天分に恵まれても居ませんでした。端的にいって、ダメ人間ばかりであった、といっても過言ではありません。そして、そういう人間に限って、なぜか反社会的行為の犯罪であったり、世間からの信頼を損なう、いわば背任行為を成すための嘘や欺瞞を多用します。私とて、当時も今も、努力や生まれ持った天分などからは縁遠い人間でしたし、そして今もなのですが、その私から見ても、ここ最近の彼らを見ていると、


ダークサイドをなめてんか?(´・ω・`)


と彼らの、その呆れんばかりの日々の無能さが随所で目に付くわけです。彼らには、反社会的な行為に伴う諸々のリスクどころか、そもそも、自らが反社会的行為に身を染めている自覚すらもがないのでしょう。

 はっきりいえば、反社会的行為を行うのであれば、物事の正しい道筋ぐらいは把握できる程度の能力が最低必要で、サービス業という、いわば本業に寄生する形の仕事である限りは、その本業が上手くいかなければ、自らの存在が世間で悪目立ちすることぐらい理解していなくてはなりません。本業が上手くいかなければ、真実を覆い隠すべき嘘や欺瞞は人々に容易く見透かされる事を、彼らはいい加減肝に銘じるべきでしょう。動かぬ結果がそこに存在する限りにおいて、誰かが必ず、その結果から逆にたどって真の問題点…つまり、彼らのその存在を容易に世に炙り出します。今までは、確かに、現実…リアルに嘘と欺瞞を満たす事によってそれが可能となる状況ではありましたが、今や、彼らを凌ぐ圧倒的多数の人々が日々アクセスするネットがあり、彼らは、そこに事実が流され続ける事を阻止する手立てを持ちません。どれほどの嘘や欺瞞であろうとも、万人を最後まで欺く事の叶わなかった過去の歴史を知れば、すべての物事がネット・ユーザーらに日々分析・研究され、そして情報の蓄積と拡散の行われている現在、彼らがどれほどに愚かかわかろうというものです(笑)。

 谷垣自民党執行部を始めとする彼らは、未だに、彼らの日々おかれている状況と環境がすでに変化している事に気が付いていません。気が付いているのであれば、その状況と環境の変化に対応して自らをアップ・デート…更新し、現在の、嘘と欺瞞による愚かな情報の対称戦を捨て、事実を基にした情報、それによって導き出される解決策による、嘘と欺瞞の政府与党との非対称戦にすでに持ち込んでいるでしょうからね(笑)。無能による無為無策、自らの無能を曝さんがための覆い隠すための嘘や欺瞞、そこから考えてみると、彼らもまた、嘘と欺瞞が当たり前のように通用し続けたかつての「55年体制」の時代への回帰を夢想しているのかも知れません。


うん、それ無理だから(´・ω・`)


 時の流れとは残酷です。流れに乗れぬ者を、本当に容赦なく振るい落として行きますからね。何とか落とされぬ事のないよう、我々は、常に自らのアップ・デートに気を払いたいものです。せっかく、目の前に、彼らのような生きた反面教師らが日々現実に踊っていますからね(笑)。ではm(__)m。