鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

それゆえに77

 また随分と間が開いてしまいましたが、ここ最近の話題として、頻繁に話題の俎上に上るのが公務員…その待遇に関するものが多いのは、やはり、橋下氏の大阪市長当選とその後の動きによる影響を受け、今まで断片的や、最大母数の平均値のように大雑把でざっくりとした数字と違い、リアル…より身近で実感ある細かな数字が表に出てきているからでしょう。

 とどのつまりが、さきの市長選で前市長の平松氏を応援し、彼らが何としても守りたかったもののその正体が、我々、多くの日本国民にも容易に判断できるほどに明らかとなる細かな数字として、ようやく日の目を見たわけですから、ま、当たり前と言えば当たり前の事ですね(笑)。

 今までけして出てくる事のなかった数字が日の目を見た、この事ひとつをもってしても、先の市長選での結果は多くの大阪市民にとって意義あるものとなったでしょう。もはやこの事態は、単にそれだけに止まらず、周辺府県や全国、そして国家の中枢たる国会にも、明らかにその影響を拡げつつあります。

 いうなれば、ここまでブレークダウン…細分化された上での情報や数値抜きにして、ガチャガチャとした国民的議論などはできない、といってもけして過言ではありません。逆に言えば、だからこそ彼らは、あれほどに持てる力を振り絞り、そして必死になって、その不都合な事実を今まで、我々多くの国民の目から隠し続けてきたわけです。

 確かに、かつてから比べれば現在は遥かに情報が公開され、かつ、ネットによってそのやり取りは遥かに簡単便利とはなっています、ですが結局、核心に迫るための肝となる情報は隠蔽され、また、把握が難しいように数値自体も加工が施されたものが出回っていただけ、という非常に難儀な状態は、まだまだ今後も、我々多くの日本国民にとって続くのでしょうね(溜め息)。

 三橋貴明氏などは、相変わらず、つい最近も単に公務員の数…つまりは量の問題部分をミクロに切り取っていましたが、動かし難いこの現実が指し示すように、我が日本国における公務員の問題は、その質の劣化抜きには語れません。ま、無能のゆえか、或いは故意にそこで思考停止しているのかは知りませんが、私が氏を「片腹痛い」と評するゆえんです(笑)。

 現在、我が日本国における公務員の問題のその根底にはセクショナリズム…いうなれば部署主義と言うか、もっと簡単に言えば「自分だけが良ければそれで良い」的な無責任極まりない、役人や官僚にありがちで、よく彼らが陥りがちな、いうなればその悪癖のようなものにあります。

 他人のことは、例えかつての同僚であったとしても、部署が変われば知ったこっちゃない。

 お互いのために、痛くもない腹はけして探り合わない。

 そんな縦割り組織的な考え方の結果が、現在、公務員を大きく二つに分けています。実際に、我が日本国の治安と安全、平和と繁栄のために日々奔走する公務員と、そうではない、逆にそれらを阻害する、己が利得を貪る公務員とにです。

 この両者を、もはや違う存在、別次元の存在にまで別け隔ててしまったものはなにか? といえばそれは簡単な事で、批判を…ときにそれが例え理不尽であっても甘受し、そして真摯に反省して来たか、それとも否か、です。

 突き詰めればたったそれだけの事です(笑)。どんな人間であっても必ず心は腐りますが、そこで反省したかしないかのその違いが両者をここまで別け隔ててしまった、と私は考えているわけです。真摯な反省は人を更なる高みへと押し上げ、そして、政権交代以降世に横行している口先だけや見せかけだけの嘘と欺瞞の反省は、人の成長をそこでおし止め、時に後退…退化させる。ま、その生きた見本は掃いて捨てるほど居ますがね(´・ω・`)。

 それはともかくとして、相変わらず、私の中では「公務員は悪である」という考えには変化はありません。なぜなら本来、公務員の問題は彼ら自身が自らが解決すべき問題であって、我々多くの民間はそのしわ寄せを押し付けられるだけでしかありません。

 そりゃあルサンチマンにもなるでしょうよ(笑)。いつまで経っても彼らの尻拭いばかりさせられるだけで、批判も文句も軽く聞き流され、己が怠慢は棚に上げ、さらには何も知らされない内にいつも事態はさらに悪化の一途です。挙句の上にレッテル張りまでされて嘲笑われてりゃね。いや、ほんと、あんた向いてないわー(´・ω・`)。

 ま、「うんこ触ると(ry」ととか「そんな餌に俺様が(ry」とか心の中でリフレインしつつ………ああ、私ごとき凡愚な外道が何か書き連ねているからといって、それを安易に妄信するは誤りである事は確かですよ?(´・ω・`) ではm(__)m。