鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

それゆえに82

 寒暖が波打ちながら急激に変化する、何といいますか、今年は鬱持ちにとっては何かの試練の年のような気がしますorz。緩やかに、一定の割合で例年のごとく、とまでは言わないまでも、もう少し加減を考えろ、とか思わず自然相手に思ってしまう勢い(´・ω・`)。

 ま、日本酒好きには、熱燗の染みる良い季節ではありますけど(笑)。寒い夜に熱々のおでんで、きゅっとやる頻度が格段に増えた今日この頃、いわゆる「選民様」のその本来の役割について人々に話したりしています。

 しょせん鬱で凡愚な外道なごとき私の考えは、いつもその本質は、ようやくたどり着いた場所のそのもっと先に在るのが常。再認識と再考、復習とアップデートの意味もあって、心がけて人々に繰り返し語る事にしています。

 ただ、同じ話を無為に繰り返すだけでは興味は薄れてしまうので、そこはそれ、人々に合わせて見方や切り口を工夫したりし、そうする事で、自分自身の中でもより問題の焦点を明確にし、その解決の方策を探る糧とする事は、存外、このやり方が私には合っている気が今はしています。であるからこそ、今も続けていられるのでしょうね(笑)。

 さて、「選民様」の役割ですが、端的にいうなれば「集団をコントロール(操作)し、その集団の中で対立する矛盾、その複数の項目の最適な交点を探りバランス(調整)すること」にあります。

 そうする事で集団を偏りなく、一部に特化させないようにするわけです。私的に「政治」とは、その最適な交点…或いは妥協点を決め、集団をそのために操作し調整する、その行為そのものである、といえます。

 特化の果ては滅び、が世の常。私的には、資本主義に特化した欧米も、共産・社会主義に特化したかの国々にもなりたくはありません。勿論、かの国々もけして滅んでしまったわけではありませんから、正確には、著しくバランスの欠いた状態であるだけで、その気にさえなれば…痛みを耐えてバランスを元に戻す事さえすれば良いわけです。

 ま、こうやってただ書く事と、実際、それを成すには天と地の開きがありますけどね(笑)。

 では、当の我が日本国はどうでしょうか? いったい何に特化し、何に偏ってしまったがために今現在のこの有様なのか?

 そのヒントは、やはり、同じ民主主義で資本主義のアメリカの抱えるジレンマにある、と私は考えています。奇しくも、というより当然ながらともいうべき我が日本国とかの国での共通点がありますね。

 民主主義では、選挙に強い事が正義である以上、金と人…選挙資金と票であり、その集票、動員力が何よりもモノを言います。それらを手にしているのは富裕層であり、そして労働組合です。また、労組の中でも民間より、自治労のような公務員の方がより強力な集金力と集票、動員力を持っています。

 それら…というよりも、公務員労組に特化して…偏ってしまった事がアメリカ、そして我が日本国における失敗である、と私は考えています。公務員が富裕層である、というと首を傾げる方がいますが、では、公務員が共働きの家庭では、年収一千万を軽く超える現実を突き付ければ納得されます。

 確かに、彼らは大金持ちとはいえませんが、我々、デフレ不況にあえぐ民間からすれば充分な小金を持ち、また、我々民間と違って厳しい時間的な制約もなく、さらには昨今明らかになったように不正によって作り出し、その上さらに、政治活動も行う専従者まで存在します。かつての反教育基本法改正、直近では反原発、反オスプレイとかで相変わらず大活躍していますね。

 では、民間の富裕層や労組はどうかといえば、彼らは自らのその行い…いわゆる「派遣・偽装請負」によって、自らのその政治力である金と票のうちの票の部分を大きく減らしてしまいました。

 富裕層や労組は、もっと真剣に「集団(会社)における矛盾(効率と成果)の交点」を探らねばなりませんでした。「効率」を追い求めれば「成果」は損なわれ、「成果」を追い求めれば「効率」が損なわれる。

 しかし彼らは、安易に数字の字面の多寡で物事を考え、その意味…結果を考えることなく単にその「効率」のみを追求し、「成果」を軽視して多くの若者らに自らの無能のしわ寄せを押し付け、彼らから金を奪い、それゆえに時間…正確な判断を下すための余暇や余裕をも奪い続けたわけです。

 「貧すれば鈍す」のその言葉の通りに、彼らの抱く富裕層や労組、正社員らへの不平や不満は、間違いなく、先の政権交代において当の彼ら自身の首をも絞めるのですが、それはその事を許した政治にも跳ね返りました。

 結果として、物理的に票の数の少ない大金持ちよりも、選挙において、ひいては政治において、圧倒的大多数の小金持ち…公務員の意見が色濃く反映される。それが、我が日本国のこの有様なわけです。

 政治家も人の子、その心は腐りますし、より楽をするためには嘘も吐く。ま、そうして事実上の「公務員の、公務員による、公務員のための政治」、そして「公務員にあらずんば人には非ず」が実際に我が日本国において行われているわけです(溜め息)。

 かつての小泉政権下では、官民の給与格差は2.5、または2.6といわれました。直近の内閣府の発表では確かその差は2.1に縮まったとされています。

 あのバブル崩壊以降、小泉政権下まで官民の格差は広がり続け、そしてその後七年ほどをかけて、その格差は数字の上では縮まっていますが、その一方で、選挙上における官民格差はデフレの進行によりさらに拡がっているのが現状です。

 縮小する経済により、年々小さくなるパイをこの三年間の間、民主党政権は、自らの票田である公務員ら、その労組らを中心に多く分け与えてきました。その多くは小金持ちばかりであり、当然、民間庶民に比べて遥かに消費性向は低くならざる得ません。

 その上にあの震災以降の不手際、もはや作為的ともいえる原発稼動停止。普通の国ならマジで潰れかねない勢いです。

 先人たちの遺産があればこそ、それを食い潰す形でどうにか食いつないでは居ますが、それでも多くの人々が実際に今も見捨てられ、多くの未来ある若者たち、これからの日本を担うべき若者たちが、現実に、この冷たい冬の路頭を彷徨っています。

 ま、公務員の組織力に大きく依存せざるを得ない既存政党はともかく、肝心の第三極とやらも、自らが大同団結したその一点を、唯一訴えかけて多くの賛同を得られるはずの、そこしか誇るべきがない一点を前面にはしていません。

 それしかないのですから、それだけをただ訴えれば済むのですけどね(溜め息)。ま、しょせんは成るようにしか成らないのがこの世の常ですが、私的に「もうちょっと頑張ろうよ(´・ω・`)」と思う日々。どうも、昨今の政治は「踏み込み」が足りていません。

「虎穴にいらずんば虎児を得ず」

 ………うーん、微妙に外している気がしなくもありませんが、挑戦者側がこの事態をリードできなければ、王者に勝てる道理などありませんよ?

 勿論、何だかもっともらしい事を書き連ねているからといって、安易に、鬱で凡愚な外道の私ごときを妄信するは誤りです(笑)。ではm(__)m。