鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

それゆえに134

 本来、これからここに記すことは、私のようにド外道に陥るような凡愚が行うべきことではなく、世にあふれる「選民」を自称される皆様らが、本来なすべきである事なのですが、現実に、その選民様らが目先の利得に溺れて外道に狂い続けている以上、ある意味、これは世の理(ことわり)の必然であるのかも知れません(ため息)。

 何か、私的には、もの凄く釈然としませんけどね(´・ω・`)

 世には、いわゆる「王道」があって、それ以外の「外道」があります。

 誤解恐れずに端的に言うならば、「王道」は、信用を積み重ねて利害を共有する仲間や同志を集め、その個人や集団の生残性を協力して上げる方法であり、同時に、その「道」であると私は考えています。

 現代なら、「民主主義と法治」がその「道」になるのでしょう。ただし、未だその完成には民主主義の歴史も浅く、ほど遠いのが現状ですけどね。

 それに対して、それ以外の「外道」は、対する相手を騙して陥れてでも打倒してせん滅することによる、その結果として、すべての利得の独り占めのための、いわゆる「恐怖」による支配を追及して行くことで、その個人、或いは集団の生残性を高める方法であり、その「道」と考えているわけです。

 いわずと知れた「共産・社会主義」の独裁・専制と隷従がそれです。

 ま、元々のその前提からして、すでに、その優位性がどちらにあるかは現代では答えがすでに出ていますけどね(ため息)。

「あの国には、敵と奴隷(人民)しか居なかった」

 後になるほどに、ジワジワと染み込むように実感できた老師の言葉ですが、結局、あの国では、そもそも我が国の様に人々が協力すること自体がまず難しく、信ずることは、それすなわち油断であり、付け込まれる弱みともなる基盤があるわけです。

 日常生活がそんな有様ですから、まず、その日を生き延びるために多大な労力を、我々からすれば、常に無駄に浪費させられるわけです。

 勿論、最近では、かつてほどではないその様子もうかがえますが、それでもその本質に基本的な変化がなく、我が国ほどに、いわゆる「分業化」が深化するほどに、人々には常に余裕のある状況ではありません。

「富国強兵」

 現代では、国が豊かになることは、民が豊かになり、その旺盛な消費により市場に金が回ることであって、一部が極端に豊かに肥え太る…投資されることなく金が死蔵されることではない、とわかっていますが、かの国ではそれ以前の話で、常に「富国」の前に「強兵」が来る先軍政治のお国柄です。

 常に多くの人民を犠牲にして、限られた選民が潤う以上は、バブルが弾けて外のみならず内に向けても軍備増強が必要となるわけで、何と言いますか、せっかく、過去の英知が存在していたのに「文化大革命」やらで散逸させた挙句がこの有様なのでしょう(ため息)。

 結局、かの国では、未だにいにしえの叡智に対し、その真の価値を見出すことかなわず、それゆえに、今後もそれが活かされることもないのでしょう(遠い目)。

 …何だか随分と話が逸れましたが、大事なことは、我々人類が「その心が必ず腐る」生物である以上、けして、優位性のある「王道」一辺倒であるから必ず生き残れるわけではなく、特に、「外道」一辺倒に徹する相手が現実に存在し得る以上、「王道」一辺倒は、ときに単なる「甘さ」となってより「外道」の付け入る隙となり、それが致命的な弱点ともなり得るわけです。

 要は、「その心が必ず腐る」この人類社会においては、「王道」と「外道」は、生き残りのためのその基軸となる方法論でしかなく、共に、それ一辺倒で生き残れるほど、我々の住まうこの世はそもそも楽な世界ではない、ということ。

 奥山真司氏の『戦略の階層』を私が好むのは、それが、くだんの「王道」と「外道」が共に不可分のものであり、同時に、それぞれがより色濃く要求される階層が上から順に明示されており、「王道」と「外道」の、その互いの関係性が明確に表現されているところにあります。

兵は詭道なり

 もっともな話です。打倒と殲滅の要求される「用兵」のような場においては、人々はより「外道」であることが要求されます。でなければ、その生残性は上げられません。

「信なくば民は立たず」

 これも、もっともな話です。政(まつりごと)を為すは人にあり、裏切られることが分かっているのに従い、集う人などいないでしょう。ゆえに政において、人々がより「王道」であることを求め、求められる、そのゆえんでもあります。

 そして、「外道」の最たる「戦争」は、単に政の一つたる外交の一手段でしかなく、それも、常にそれは「オール・オア・ナッシング(すべて得るか、失うか)」の色濃い、現代においてもやはりギャンブル…賭け事です。

「勝てば良い」

 もっともですが、現代では、「王道」に対する非対称戦術として、明らかに国力や戦力、力の劣る側が「外道」で挑む形が流行り(´・ω・`)

 勝算をどこに見いだしているか、まあ想像することはできますし、大体のアタリも付けられますが、それでも私的にちょっと謎(´・ω・`)

 「術(すべ)」を「略(りゃく)」と勘違いした「戦略」を知らない、ちゃんと学んだことのない人間が、最大限「甘え」た希望的観測に溺れると、こうなるのかも知れません。

 必殺、いつでも「背水の陣」(´・ω・`)

 意味が分からなくて、そこが一番怖いですよね(´・ω・`)

 ま、しょせん、不詳の弟子の戯言ですけど(´・ω・`)

 ではm(__)m