鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

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再生への切っ掛け8(そして再生へ4)

 えーと、前回で私は、現在の教育機関の崩壊を、法を厳密に執行する上で招いてでもその後の再生のために、その激しい痛みを覚悟の上で行うべきである旨を述べました。今現在の連日の報道を見てもわかりますように、長年の官が築いて来た様々な旧弊、その巧妙な利権構造と巧みな隠蔽体質、更には誰一人責任を取らずとも良い責任回避の狡猾な構造は、どれ一つ残したままでは教育再生などおぼつかないからに他なりません。いわゆる、あの小泉流の反対勢力をすべて排除する、苛烈で徹底的な改革が望まれる、と私は考えているのです。

 現在の教育機関の抱える問題は、その大部分があるイデオロギー…いわゆる一部の全体主義を信奉する人々にある、といえるでしょう。かつて戦後日本に蔓延し、今現在も一部の特定勢力として各業界に深く浸透している人々の事です。彼らは、主に一部特定アジアのバックアップを長年の間に渡り受け続け、この日本が社会的に少しでも前に進まぬよう、彼らをバックアップする国々との差がこれ以上開かぬように、社会の裏表に渡って様々な工作を行って来ました。ま、哀れな事に、必ずしも現状の日本は、けして彼らが望んだものではありませんがね。

 現在の日本は、彼らの思惑から大きく外れた方向へと舵を切り始めています。偽りの徹底した自虐史観の反動で日本社会全体が否応なく右向き、いわゆる普通の国に向けてその舵を軌道修正しつつあり、ネットという新たな媒体のために一方的な彼らの偽りと欺瞞に満ちた情報が、日々刻々と日本社会から駆逐されつつあります。しかもこれらは、かつては確かに掌握したはずの、あの薄汚れた利権渦巻く伏魔殿であった政府与党の自民党主導によるものである事が、彼らには何より大きな誤算であったのでしょう。まさか、あの小泉純一郎なる人物が、ここまで民意を背景に、数々の強硬な改革を行えるとは彼らには想像できなかったのです。

 「下衆は下衆の論理で世界(社会)を計り、そして邪まに行動し、やがては結局自滅する」とは、かつてほんの短い間でしたが、私が師事した中国人の老師の言葉です。その言葉の通り、彼らは日本人を明らかに舐めていました。日本人のその一番の特徴は、何よりも、その偏執狂的なまでに物事を我慢強く積み重ねるところにあり、そのバカ正直な、潔癖ともいえる様な日本人の立ち居振る舞いも、安易に他人を信ずるお人好しな民族性も、何より永年積み重ねて来た永い歴史に裏付けられたものでした。それゆえに、日本人はその根底に、正しい論理の積み重ねに反するものを生理的に嫌悪する、彼らとは根本的に相容れない精神を持っていたわけです。

 彼らにとって、この隠れていた事実の認識は、たちまち恐怖の戦慄となった事でしょう。彼らの長年行って来た欺瞞と偽りに満ちたその行為の数々は、ネットの普及とその促進に合わせるようにして、他でもない彼ら自身に間違いなく還って行くのです。しかも、それらは過去にすでにやってしまった事だけに容易に隠蔽できるようなものではなく、ときの経過と共に事態は悪化の一途を辿り、いわゆるジリ貧となって、やがてこの日本からほぼ駆逐されてしまう事が間違いありません。ま、少々大げさですが、先の大戦直前のあの恐るべき日本人たちが、今再び、60年余りのときを超えてこの極東アジアに還って来る、そんな悪夢ともいえる光景が彼らの脳裏を過ぎった事でしょう。しかも、今度の日本人、日本国は世界番長の親密な同盟国ですから最悪です(笑)。

 その彼らの日本における最後の砦というべきものが、今現在のこの教育機関であるといえるでしょう。ネットの普及促進によって、すでにマスコミや政界、次いで各業界に至るまでも、彼らの永住の地は時と共に失われつつあります。恐らく『団塊の世代』という、全体主義思想に一番影響を受けたモラルの低い世代の退場と共に、それはほぼ壊滅状態を迎えると思われます。一生懸命、陰に陽に工作は相変わらず行ってはいますが、それは、もう退くしかないときの軍隊が行う、遅滞戦闘にも似た不毛な行為に他なりません。どれだけ頑張ってみたところで、この先事態が好転する事はまずあり得ず、ときの経過と共に状況の悪化する彼らの敗北は、もうすでに自明の理ともいえるでしょう。

 宗主国様、その首魁でもある胡錦涛は、以前からその事実にうすうす気付いていたようでしたが、先の首脳会談での安倍首相とのやり取りで、更に確信に近い感触を得たのでしょう。急に気持ち悪いぐらいの親日路線への転換も、さすが、という他ありません。日本に潜む工作員たちも、一気に親日路線へとその工作を変更しています。ま、それに比べると、半島の連中は上下揃って間抜けなままですが、半島の上は上で今はそんな余裕もないでしょうし、下は下で酋長があのファンキー・ノムタンですからね。一応民主主義国だけに、宗主国様のような急激な路線変更もできませんし、ま、半島系の工作員たちは、確たる指令も貰えないまま、右へ左へオロオロしているのが現状でしょう。

 その負けの決まった戦いの、最大の不毛な遅滞戦闘が繰り広げられるはずだった戦場が、今現在の全体主義に毒された人々が多数浸透していた教育機関であったわけです。ですが、彼らのその歪んだ論理の積み重ねの成果として、個人には責任追及が及ばぬ代わりに、肝心の組織そのものが先に破綻をきたしてしまい、もはや抵抗する間もなく、そのあり様を否応なく誰もが一から見直さざるを得ない現在の事態を迎えてしまったわけですね。教員、日教組、政界や官界、そして業界へと巧妙に張り巡らされた歪んだ腐敗の構図が、強固に機能する防塁としてその強力な威力を発揮する以前に、本丸である学校が先に破綻と崩壊を向かえて陥落してしまったわけです。ま、何というか、ほんと、バカですねー(笑)。

 教育機関である限り、その本分は子供たちへの学校教育にある事は誰の目にも明らかであったわけなのですが、その本分をすっかり忘れて、その他の事柄に必死に血道を上げて来たその結果、彼らは至極当然のごとく、今や陽の当たる場所に引き出されて処断されようとしているわけです。しかも、今回の問題は、ウンザリするほどの動かぬ証拠が山積されていますから、ちょっとやそっとでは逃げ切れるものではありません。安倍政権にしても、今回のこの一件は間違いなく最大のチャンスであり、同時に、確かに多大な危機もはらんでいるのです。ほとんど抵抗なく、全体主義工作員の連中を葬るチャンスではあるのですが、教育現場の多大な混乱、同じく教育現場の信用の失墜、まあ教育委員会はともかく、更には文部科学省もとても無傷で済ませられるものではありません。

 ですが、それら諸々の激しい痛みを受けても、今回のこの問題は徹底的にやるべきである、と私は考えています。ま、リスクマネージメントは、現在政権内でも必死で行われているのでしょうが、恐らくその結論は私の考えともさして大差がないでしょう。国の礎でもある教育再生のために、今このときこそが決断のときである、と私は考えています。まさに日本にとって、あらゆる意味での非常に重要な分岐点です。安倍首相には、どうかこの重大な決断を誤らぬ様願いたいものです。ま、このチャンスを逃すようでは、この先幾度も訪れるだろう危機を乗り越える事はできないでしょう。その点からも、私は今回のこの問題を非常に注視しているのです。っと、いう事で、ではm(__)m。