鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

唐突に、武術の話

 相変わらず、稼働時間の短い低調な日々を送っています。気が付けば、昼夜関係ないまばらな時間帯に起きたり寝たりの毎日です。うーん、薬が体になじむのに最低で二週間、とかの話も聞きますので薬の変わり目だから仕方ないのかもしれません。まったく、ヤレヤレ、といった感じです。

 話は唐突に飛びますが、みなさんは武術というものをご存知でしょうか。テレビでやっている格闘技大会というものは、あくまでも様々な武術がその根底にはありますが、まったく別物です。あれらは、選手が一試合だけで潰れてしまわない様に、様々にルールを設けて縛り、基本的にはそのルールの中でどちらがより強いか、より潰され難いかを競い合うものです。ゴングなどの合図と共に始まる戦いが悪いとはいいませんが、それはあくまでもルールに基づいたスポーツでしかありません。

 勿論、それらはあくまでもスポーツでしかありませんが、様々な格闘技がそうであるように、長年の間に渡って「心・技・体」を研鑽して来た限られた、いわば選ばれた人間しかそれらに参加する資格がないのは当然の事ですし、どれほどルールに縛られ、守られていようと、命の危険にその身を晒す事には変わりがありません。ときとして、ルールは破られるためにある、といわれるように常に万が一はつきものです。ですから、けして彼らが弱いという話ではなく、もし、道で格闘技を修めた彼らと会おうものなら、私などは光の速さで逃げる事には違いがありません。

 では、武術と格闘技の決定的な違いは何かといえば、武術は徹底的な護身術、いうなればサバイバルがその根底にある、という事なのです。いわゆるルールの中で互いに潰し合い、その潰れにくさが勝敗に帰結する格闘技とは違い、武術は己の生き残り、サバイバルにこそその命題を持つ一種の技術体系であるわけです。ですから、武術においては格闘技のような潰し合いは、もっとも忌み嫌われています。達人などは、「アレは犬の喧嘩である」などと揶揄するほどです。

 では、武術と格闘技ではどちらが強いのか、という話になりやすいのですが、それを公平に談じること事態にまず無理が生じます。格闘技は互いが向かい合って、よーいドン、で互いにルールの中で潰し合い、その潰れ難さを競い合う事に特化したスポーツであるのに対して、武術はあらゆる場面で生き残る事に、サバイバルに特化した技術体系ですから、互いにその威力を最大に発揮する状況があり、一概に、例えば格闘技の場などでその強さを談じるには無理があるのです。ま、出発点とその最終的な目的が違いますから、比べる事事態に無理があるといえるでしょう。

 例えていうなら、格闘技の場で両者が戦ったとします。ルールに基づいて、格闘技が勝利したとしましょう。しかし、武術は負けていないのです。なぜならば、死んではおらず生き残っているからです。格闘技のルール上は敗北したとしても、武術の概念上は生き残っている限りは負けてはいない、とそういう事です。しかし、格闘技のルール上は負けですから、世間的に武術は敗者の烙印を押されてしまう事になります。しかし、武術の概念では負けどころか生き残っているのですから勝っている、ともいえるのです。

 もし、では武術の概念で戦うとするのならば、ルール無用の純粋な殺し合いをせねばなりません。現在の法治国家の日本においては、いかに試合であったとしてもそれは殺人に他なりません。ルールに縛られる限りは、武術は過去の日本においてその威力を発揮していた、かつての十全の力を発揮する事ができないのです。そこにこそ、この武術と呼ばれる技術体系の不幸があるといえるのかもしれません。しかし、時代の流れと共に捨て去るには、それらはあまりにも惜しい優れた技術体系なのですが、現代の日本においては武術はあまり必要とされてはいませんので、やはり時代の流れに埋もれ行く運命にあるのかもしれません。っと、いう事で、ではm(__)m。