鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

再生への切っ掛け12(そして話は脱線しまくり)

 すでに昨日の事なのですが、現在教育機関においての様々なステルスな問題を顕在化させるその引き金となったともいえる、そのそもそもの元凶の『ゆとり教育』の旗振り役であった、文部科学省の大臣官房広報調整官の寺脇研とかいうヤツが、ついにというか、やっと辞職しましたね。多くの高校で巻き起こる事となった『履修偽装』問題や、更には学校教育全般における子供たちの学力の低下、そして『虐め』問題には、その無理なカリキュラム上真っ先に削られた小学校での「道徳の時間」に、学校全般での教師らの無理できめ細かな配慮の行き届かない雑な授業進行などが、間違いなくその深刻化には一役買っていた事でしょうね。

 恐らくは歴史に残る、日本教育史上最悪の汚点ともいえるこの『ゆとり教育』は、彼の辞職に伴ってついにその終焉を迎えるのではないですかね。しかし、これが『教育改革』を最重要課題に掲げ、現在国会に『教育基本法改正』案を提出する安倍政権でなければ、或いは、ヤツも口を拭ってのうのうと勤め上げていたのかもしれません。恐らく彼にとっては、あの伊吹大臣の統括する文部科学省内の雰囲気が、それはもう非常に厳しいものであったのは想像に難くないですね。文字通り、彼はこの先路頭に迷うのでしょうが、その被害を被る事になった人々の数と現状を思えば、もう命があるだけでもマシではないんですかね。そのホルホルと夢見た生涯設計は、さすがに大きく狂ったでしょうけどね。

 しかし、考えてみれば、酷く偏った考え方と視点のもと形作られたその『ゆとり教育』によって、その酷く閉鎖的で排他的な教育機関、特に現場教師らや教育委員会らが長年必死に我々の目から様々な問題を隠蔽し続けて来た学校で、我々一般人には完全にステルスだったその様々な問題が、今日、隠し切れないほどにまで悪化する事で次々と明らかになって来ているわけです。もう、まさに歴史の皮肉としかいい様がないですね、これは。しかも、そのタイミングがよりにもよって『教育改革』を声高に提唱し、今まさに『教育基本法改正』に臨まんとする安倍政権発足直後というのが、何やら運命めいたものを私は感じますね。ま、先の大戦以来の重要な、この国の歴史の転換点ならではの事なのかも知れませんけど。

 しかし、世間を見回してみますと、教育委員会と学校ぐるみの隠蔽体質はもう病的なほどに悪化しているのが良くわかりますね。教育委員会の教育長のほとんどが教員経験者であり、教育委員長や教育委員のその多くも、その実態は地元名士の非常勤の名誉職みたいなもので、実際月に一度の定例会議に出席する程度です。その実権は、教員経験者である教育長と同じく教員経験者たちで構成される教育委員会事務局が担っているわけですから、いわゆる「いつか来た道」で、誰もが現在学校の抱える様々な問題を「なかった事にしよう・見なかった事にしよう・知らなかった事にしよう」と一度ならず隠蔽し口を拭って来たのでしょう。ま、腐れ果てた話ではありますが、そうやって昔から問題を隠蔽しては先送りし続けていたわけですね。

 以前、「問題を解決しようという意思がそこには存在しない」と書いた記憶があるのですが、現在深刻化している『虐め』問題や『履修偽装』問題にしても、そして子供たちの現在の学力低下の問題にしても、そもそも現場教師ら自身が、基本的に自らで問題解決しよう、という意思があったのならば、いずれの問題においてもここまでの深刻化は招きはしなかったでしょう。現実に、彼らは事態がここまで悪化して隠し切れないほどになるまでに、一度として世間に向けて、何らかの形ででも声を上げる事が一切ありませんでした。「世間が望んだ」とか平気でいうアフォな教職関係者がいますが、世間の多くの人々は、そもそも彼らが問題を隠蔽し続けていたのですから何も気付くはずがありませんし対応すらしません。だって、その深刻な現実を知らないんですから当然です。

 そして、現在の酷く閉鎖的で排他的な教育機関、そして学校を作り上げ、我々の眼から様々な問題をどこまでも見え難くし、更には、口を拭って様々な問題をただバカみたいに隠蔽し続け、そして延々と先送りし続けていたのも、他ならない教員を始めとする教職関係者たちなのですね。まったく、『カスペ!』教育スペシャルに出演していた教師らのいい様にもいちいちイライラしながら聞いていたのですが、彼らのあの一部特定勢力…というより、一部特定民族に共通する、あの小賢しい上に根本的にアフォな歪んだ論理による浅はか極まりない思考には、はっきりいって吐き気がします。彼らには、根本的に教職というものにおける責任感…いや、そもそも人としての責任というものを頭から完全に放棄しているのです。

 彼らがあそこまで問題を隠蔽し、更には、ドコまでも先送りするのにはその原因ともいえるものには、割と昔からずっといわれていますが、ほぼ確実に毎年実施される年度ごとのクラス変えがその原因に挙げられます。つまり、一年経てば…いい換えれば、一年我慢して問題を何もしないで何としても隠蔽し続ければ、ほとんどの場合において、その問題は自動的に自らの手を離れてその責任が回避されるのです。昔から、それこそ太古の昔から『虐め』は確実にありましたが、以前は子供も今ほどには規範意識に欠ける事がなく、また、そのやり様も現在ほどに悪質で非道ななものではありませんでした。その辺りは犯罪などと一緒で、規範意識が幼いころに植え付けられてさえいれば、一過性のもので悪質化する前に精神的に成熟して終わってしまうものだったのです。

 ま、それいい事に、彼らは社会情勢の悪化はいいわけとして声高に叫びながらも、その一方で公務員にありがちな、いわゆるバカ役人の得意技である前例踏襲と隠蔽をバカみたいに守り続けて来たわけです。勿論、解決するための問題提議の声など上げはしません。なぜなら、いらない仕事が増えるからです。仕事が増えるといえば、『虐め』に繋がる教育を我が子に無自覚に施してきた親、やたらと声だけはでかい特殊な利権を持つありがちなステロタイプな親などを相手せずに済む様に、なお更『虐め』にはできるだけ彼らは関わらない様にして来たわけです。何の事はありません、彼らには教員を始めとして教職関係者特有のその異常に高い給与を始めとする厚遇はぬくぬくと享受しますが、それに付随する面倒事をことごとく避けて来ただけの話です。

 なぜなら、単純にその方が楽だから、です。そこには、微塵も職業倫理はありません。もっというなら、人としての倫理観自体が欠如している、といえるでしょう。勿論、すべてがすべてそうではないのでしょう。ですが、まず、そのほとんどがそうである事は、今実際に教育機関で巻き起こるその問題の数々、その現状がはっきりと我々にそう示しています。我々には様々な問題を見え難くしたのも教師なら、実際にその現場で延々問題を隠蔽し続けて来たのもその教師です。深刻化する問題を目の前にしながら何もしなかったのも教師なら、唯一声を上げる事ができる立場にいながら、その問題を隠し切れなくなるまで延々とただ沈黙し続けて放置して来たのもその教師です。

 しまった。妄想爆発するための前振りを、問題点の再確認のつもりで書き出してたら思わずノッてしまいました。いやー、ま、前振りのその前振りの段階ですでにノッていた様な気がしますが…うーん、まあ、単純に教師が悪いというよりは、いわゆる能力的にへっぽこ教師とか、或いは、生徒に自習ばかりさせて自分はデモとか座り込みとか禁止されている学校での政治活動に余念のない左翼教師とか、闇専従しまくりな学校そのものに滅多に来ない同和枠の人権教師とか、それに「ウリも〜♪」と乗っかる反日全開の一部特定民族教師とか、とかく、問題のある彼らが重点的に送り込まれる場所がまた問題ありありな学校となりやすい事にも、『履修偽装』はともかく、『虐め』問題は特にその問題を深刻化させている部分はある、とは私もわかってはいるんですけどもね。

 今回、『履修偽装』問題に揺れるような学校は、そもそも『虐め』にうつつを抜かしていれるほどの余裕が生徒自体にないレベルの学校ばかりなのですから、両者における学校の教師を同列に論じるとある意味齟齬が生じたりもするのですが、ま、しかし結局その行動原理にはさほど差がないわけですから、「別にいいや♪」とも思っているんですけどね。ま、犯罪として考えてみても、かたや有印公文書偽造に、かたや現実に数々の犯罪行為の伴う本来止めるべき『虐め』を放ったらかしにしているわけですから…教唆は違いますね、うーん…職務放棄と怠慢ですかね。いずれにしても、十分以上に免職には値する行為ですね。ま、そうそう免職にはならないんでしょうけどね、腐れ果てた何とかのような話ですけどね。

 ま、それを思えば、私ごときに口汚く罵られても仕方ないでしょう。だって、まごう事なき社会のクズなんですから♪。ま、そもそも自分勝手に積み上げて来た歪んだ論理のおかげで、私の声など彼らの耳にも心にも微塵にも響きやしません。クズっていうものは、往々にしてそういった、明らかに人として必要なものの欠けた人格障害を起こしていますからね。一刻も早く、一般社会からの駆除が望まれるのですが、それもそう先の話でもないでしょう。彼らの心強い味方、一部特定勢力様の脊髄反射的指令に狂奔するかの民主党は、すでに盛大に『ファビョーン!』して踊り狂っていますからね。もはや、彼らがいったい何がしたいのかすらも私にはわかりません(笑)。いやあ、順調順調♪っと、いう事で、えー、多分次こそ本筋に戻ると……多分ですけど。ではm(__)m。