鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

『虐め』を一人で抱え込まないで下さい

 低調…って、最近こればかりいっている気がしますが、私の通うクリニックの先生いわく「鬱はサイクルがある」そうですのでちょうど今が低調サイクルの真っ只中なのかもしれません。しかし、先生によれば「上がったり下がったりしながら徐々に回復する」はずなのですが、その気分の上がった状態、ポジティブ・シンキングで「何でもかかって来い!」な気分の「躁」の状態があるはずなのですが、いまだ私はそんな気分になった事がありません。

 処方される抗鬱剤も、その処方通りにきっちり飲んでいるわけなのですが、それでもいまだ「躁」の状態が訪れていないという事は、もしかすると薬自体をもっと強いものにしてもらわないといけないのかも知れません。むー、基本的に薬自体私はあまり好きではないのです。しかし、こと鬱に関しては薬によって回復をうながし、継続服用する事が重要なのですが、これ以上強いものになると副作用がイヤなんですよね。ま、今の薬も完全には体には馴染んでいないので、もう少し様子を見るべきなのかも知れませんね。あー、ヤレヤレ(溜め息)。

 それにしても、昨今の『虐め』問題により引き起こされて止まるところを知らない子供らの自殺の連鎖は、連日繰り返される不適正なその自殺報道のあり方や、肝心の現場教師らの危機感がドコまでも希薄な、無責任な他人事そのもの対応もそうなのですが、同時に、家庭での保護者らの子供たちとのコミニケーション不足や、いわゆる「うちの子に限って〜」なその当事者意識と共に危機感の希薄さによって、ドコまでも深刻化の一途をたどっていますね。事態がここまで泥沼化して、ようやくマスコミはその報道姿勢を改めつつあるのですが、保護者らと教師らの当事者意識と危機感が希薄なままではなかなか沈静化には向かわないのでしょうね。

 過去には私も一時期『虐め』を受けた経験があるのですが、私のころとは現在のその社会状況が明らかに違っていますからね。ま、基本的にああいったものは現実の戦争の抑止力と同じで、リスクの高い相手には『虐め』に血道を上げるような下衆な連中は普通手を出して来ませんから、自らを鍛えて常に戦いに備えるような気概と覚悟さえあれば、万が一、例え『虐め』を行われてもその初期の段階で強硬な抵抗をする事でその後二度と手を出してくる事はないのですけど、それも最近はケースバイケースで、当の抑止力、格闘技や武術のような技術を習っていながら平気で弱者をいたぶるような、そんなまごう事なき『社会のクズ』も最近は多いのですから話になりません。

 私自身、過去に『虐め』を受けていたときにはすでに武術を父の勧めで習っていたのですが、その父が亡くなり母子家庭となったころに引越しをして、新たに通う事になった学校で『虐め』を受けるようになりました。ただ、私自身は鬱陶しくは思っていたものの、父から武術を習うにあたって無闇にそれを使う事を硬く戒められていましたので、はなから相手にはせずに放っていたのです。それがまた、かえって彼らの癪に触ったのか、次第にその『虐め』はエスカレートし始めてより陰湿で執拗なものとなって行ったのですが、当の私は頭から「クズ」は相手にしない、という態度でしたので、今から考えると余計火に油を注いでいたのかも知れません。

 で、私が武術を習っている事はいち早く彼らも知っていましたので、当然直接手を出す事は彼らもなかったのですが、逆に、私が手を出さない事を良い事にいつまでもネチネチと、いわゆる粘着しながら私の周りでハエのように日々嫌がらせを行っていたのでしたが、ある日、そのリーダー格がいってはいけない事を口にしてしまいあっさりと『虐め』は終わってしまいました。私の目の前で、父の事を誹謗したのです。私自身が一番驚いたのですが、正気を取り戻したときにはそのリーダー格が「負けるからイヤだ」と私に胸倉掴まれて情けなくいっているところでした。

 後でクラスメートに聞いたのですが、リーダー格が私の父を誹謗する事を口にした瞬間…その言葉自身私の記憶にはないのですが、私を囲んでいた5人のうちリーダー格以外の連中を転ぶぐらいに蹴ったり殴ったりした挙句、突然の事に棒立ちのリーダー格の腹を殴った後に両手で胸倉を掴んで引きずり起こして、目の前のリーダー格に向かって「かかって来い!」と、みんながびっくりして凍り付くような大声で怒鳴った、らしいのですね。ま、よほどの事を彼は私にいったのでしょうが、その後、彼はそういった『虐め』を誰かに行う事は私が知る限りなかったと思います。見えないところではやっていたのかも知れませんけど。

 ま、私の場合は父を非常に尊敬していましたので…共産党員で労働階級である事を誇りにしていたガチガチの左向き人間でしたけど、その父のいい付けをヴァカ正直に守っていた事が『虐め』を無闇にエスカレートさせてしまっていたのですが、そういえば、当時も確か先生は何も助けるような事はしていなかったように記憶してます。ま、子供の私から見ても全然頼りないヘッポコ教師でしたからね。しかし、武術なり格闘技なりを習い覚える人間は、当時の私のように普通にはそれらの技術を使う事を硬く戒められていたのですが、根本的な規範意識の低下のせいか、或いは、日本人的な美徳や美的感覚の低下のせいなのでしょうが、福岡での自殺のように、当の『虐め』を行う側が格闘技を習得しているようなケースがあるのは本当に嘆かわしいばかりです。

 今から考えれば、当時私が受けていた『虐め』など可愛いものです。勿論、非常に陰湿で執拗ではあったのですが、それでも今現在あるような死ぬのどうのの話ではありませんでした。確かに私自身、あのころ武術を習う過程ですでに精神的にも強かったせいもあるのでしょうが、それでも当時、あの程度の事で死を選択するような子供はいなかったでしょうね。そもそも、不登校になるような児童自体一人もいなかったように記憶していますから、福岡のように特殊な立地条件の学校とは比べるべくもありませんね。それでも、当時大阪民国の学校では、いわゆる「校内暴力」がその全盛期ではあったのですけどね。

 うーん、抑止力として格闘技なり武術なりを習得する事は非常に、精神的にも肉体的にも幾重にも有効なのですが、今現在問題となっているのは、延々学校側がその隠蔽を前提に放置し続けて悪化した状態の『虐め』が問題となっていますから、要は、現場の教師らは責任感も当事者意識も危機意識も初めからまるっきり持ち合わせていませんから、基本的にまず何の頼りにもなりはしません。ですから、子供たちの保護者たる親御さんたちが、明確に当事者意識と危機感を持って我が子と接する事が今危急に必要な事です。多分、心配し過ぎるぐらいでちょうど良いぐらいでしょう。

 腐れ果ててしまったダメ学校やアフォな教師を当てにする事なく、ちょっとでも『虐め』の兆候を発見するような事があったのなら、学校を休ませてでも子供らから話を聞き出さなくてはなりません。十分時間をかけて話が聞き出せたのなら、迷わずに警察に相談されて、『虐め』る連中の補導なり逮捕なりを要請すれば良いでしょう。要は、学校や教師が隠蔽できないようにすれば良いのです。間違っても、何ら『虐め』に対応して来なかった学校や教師に頼ってはいけません。教育委員会も同様です。万が一、警察もグルの場合は、全部まとめてまるっと実名でネットに公開すれば良いでしょう。必ず、何か手段はあります。自分ひとりで抱え込むような事だけは、絶対にしないで下さい。っと、いう事で、ではm(__)m。