鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

再生への切っ掛け13(相変わらず脱線中)

 今日は…もう昨日ですが、2週間ごとにあるカウンセリングの日でした。やたらと最近睡眠時間が長いのでそこら辺りを相談して来ました。先生いわく「何か無理なさってるのでは?」との事、はて? 無理な事って何かしてたっけ? と考えてみると、割とすぐに思い当たりました。「ああ、このブログか!」なるほど、いわれてみると思いの他、気付かぬ内に無理をしていたのかも知れません。いや、ま、薬の変わり目に季節の変わり目、更に大阪民国も急に冬の気温にもなりましたから、そちらも関係しているとは思うのですけどね、多分。

 以前にも触れたかも、とは思うのですが、鬱になってみて困った事は何かといえば、以前は平然とこなしていた同時進行で様々な作業ができなくなった事ですね。以前はテレビを見ながら音楽を聴き、キッチンでの料理の様子を見ながらパソコンでタイプするぐらいの事は平然とこなしていたのですが、今はテレビを見ながら音楽を聴くとまず音楽が邪魔になり、パソコンでタイプしようにもテレビが点いているとどちらも満足に集中できませんし、脳がすぐに両方ともを把握できなくなります。料理なんて危なっかしくて、何かのついでにこなすなんてもっての他です。

 逆に、一つの事になら以前よりも集中し、以前には気付きもしなかった事にまで十分に目が行き届くようになった気がしています。これはカウンセリングの先生にうかがうと、鬱の持つその典型的な症例というか、その特徴なのだそうです。ま、過去にはその特性を活かして、一つの物事をトコトン突き詰めて追求し、ついにはそれをもって歴史に名を残した偉人もけっこうおられる、とかいう話もうかがっていますが…うーん、別に私の場合そんな歴史に名を残すような偉業や名声など別にいらないんですけどねえ(溜め息)。ま、運良く何かが飯の種にさえなればそれで十分です。欲張ると、大抵人生ろくな事になりませんからねえ(遠い目)。

 それに私の場合、過去に自転車部品の開発課で設計の仕事をしていたころに、その当時同僚でもあった中国人の老師からの教えで、「良く見て、良く聞き、良く考える」なんて事を諭された事があったりしたものですから、そのせいか鬱になってから余計その傾向が強くなり、別段知りたくもない事柄までが色々と見えて来ていささかウンザリする事が結構多々あるのです。で、よせば良いのに、明らかな問題をそこかしこに見つけてしまったりすると、今の自分には直接関係ない事柄でも、まるでブヮカみたいに延々問題解決の可能性を探っていたり、考え込んでいたりする事が間々あるのです。

 で、それが最近のこのブログに反映されて、「再生への切っ掛け」もすでに12まで書きながらも、いまだその区切りが見えない状態だったりするわけです。もうちょっと、先の見通しを立ててから書けばこんな事もなかったのですが、更には現実に、今現在の教育機関における教師、学校、教育委員会、更には『日教組』らに代表される一部特定勢力の影響下にある人々によって、今まで我々の眼に見えないように隠蔽された数々の問題が、ついには隠し切れなくなるまで最悪化して、突然一気に噴出する事態となっているのですよね、これがまた。おかげで話がドコまでも延びる延びる(溜め息)。

 で、いわゆる『虐め』問題なのですが、以前、そこには解決しようという意思がない、という事を私は書いているのですが、その言葉の通り、教師、学校、教育委員会、ま、その中でも『日教組』は相変わらず事態がこれほど深刻化しても平気で平日に学校を休み、国会付近での座り込みやらビラ配りに明け暮れている体たらくですからすでに問題外といえるでしょう。バッサリ排除しても何も問題がない連中ですね。はっきりいって、連中は今後の日本教育には微塵も必要ではありません。ま、それはともかくとして、彼らは年度ごとのクラス変え制度を自らに都合良く解釈して運用し、更には『虐め』を隠蔽する事によって問題を順送りにただ先送りして来ました。

 つまり、そうした隠蔽による先送りだけをただブヮカみたいに繰り返して来たという事は、彼らは、現在ここまで自殺者の頻発するまで深刻化し、一刻も早く何らかの手当てや対策を講じなくてはならない非常事態の『虐め』問題に対して、組織的に対応する、更にいえば、個人的、一教師レベルにおいても対応する具体的手段、対応策を何も、微塵も持ち合わせていない、という事なのですね。はっきりいえば、事この問題に関する限り、彼らは学校教育の現場に長年その厚遇を享受していながらにして、この『虐め』問題に対しては、教育に詳しくない我々と同じ程度の知識、スキルの状態であるわけなのです。

 笑ってしまうでしょう? 安易に笑ってはいけないのですが、このあまりのブヮカさ加減には、アフォも極まった低脳振りにはもう笑うしかありません。勿論、この日本中探し回れば有効な対策を個人的に発見し、更には一つの教育技術として自らの努力で発展させ、ついには体系的に完成させた『神』クラスの奇特な教師もいるのかも知れません。しかし、今の学校教師というものは基本的にスタンド・アローンな存在、個々がそれぞれ孤立状態の昔の時代の職人のような存在です。一学校程度であるならば、或いはその影響下におけるのかも知れませんが、それが複数の学校、或いは全国にその影響を及ぼす、統計的な集計とそのフィードバックの体制自体が現在の教育機関にはないのです。

 これは彼ら教師、主に一部特定勢力とその影響下にある『日教組』が、そうなるように延々教育機関における本当の『不当な支配』を行って来たその結果、更には組織ぐるみの巧妙で執拗な陰湿極まりない隠蔽工作によって、文部科学省はその判断基準となる一切のデータ、その『虐め』の実態把握ができないばかりか、本来ならきっちり実態を報告されてさえいれば出せたであろう非常事態宣言や、集中的な手当て、調査のための組織的人員派遣や教師らの集中投与などの具体的方策、目に見える変化を具体的に起こす事すらできない現状であるのですね。ま、勿論、お役人は基本的にアフォですからオロオロするだけで、実際はそれを行うには文部科学大臣の政治判断が必要でしょうけどね。

 ま、「IF(もしかして〜)」を論じても仕方ないのですが、それでもこれは、今後の教育機関のあり方の一つの指標にはなるでしょう。正確に、自らの不利益となる情報であっても、教師、学校、教育委員会と情報が経由され、そして文部科学省にと、その情報が正確に届く体制作りが今後教育機関には求められる事でしょう。ま、きちんと教育再生会議が機能すればの話しですがね。一番簡単なのは、現在教職関係者には設けられていない明確な罰則規定を設ける事です。現在、教職関係者らには行政処分のみとされており、それも滅多に行われる事がありません。なぜなら、教師、学校、教育委員会がすべてグルだからです。アフォな小役人根性全開の、どこまでもどこまでも身内に甘ーいわけですね、腐れ果てた話ですけど。

 ドコまで腐れ果てているかといえば、学校では本来禁止されている政治活動のための資金集め、カンパを行っている証拠を掴まれ文部科学省に告発されて、文部科学省からの行政処分の要請を受けながら、ある教育委員会…まあ、山梨県教育委員会なのですが…は平然とそれを黙殺して何も行政処分を行わないばかりか、あろう事か、その当の教頭をシレッと校長に昇進させていたりするわけですね、これが。そして、その山梨県教育委員会や当地の山梨県日教組』とどこまでもズブズブな関係なのが、我らが民主党参議院議員のトップ、日教組の親玉、輿石東氏(日教組政治団体の会長)だったりするわけですね。ね? 民主党、もういらないでしょ?(笑)。

 ま、現在の教師とは、「井の中の蛙、大海を知らず、しかして空の深さを知る」職業ではあるのですが、それを真っ当にこなして来た教師自体がいったい何人いるのやら寡聞にして私は知らないのですが、現在具体的解決策が見出せず、更に混迷の度合いを深めつつある『虐め』問題といい、更には有印公文書偽造の証拠が山積している『履修偽装』問題といい、繰り返していいますが、勿論教育機関全体にその責任がある事は確かなのですが、更にはそれをただ隠蔽し続け、社会情勢の悪化のみ自らに都合良く声を上げ、延々現場でその危急の問題を実際目にしながら、何ら具体的に声を上げようとしなかった教師、現場の教師らに一番の責任があるのは、もう揺るぎない確かな事実でしょう。

 うーん、これを書いていると鬱に良くない気もするのですが、ま、次回はようやく教師の2マンセル、3マンセルの話にやっと私自身の気持ち的にも行けそうな気が……多分、ですけど。ああ、それと、今現在『虐め』に悩む子供たちにはどこぞのアフォな大人のように安易に死に走ったりせず、必要なら警察、警察もグルならネットに虐める連中を晒しても良いでしょう。確かに褒められた方法ではありませんが、緊急非難として命がかかっているのですから仕方ないです。何か、絶対に方法はあります。必ず、今このときを生き延びて下さい。必ず、希望はどこかに、必ずあります。

 それと、死者に鞭打つような事は私自身本当はいいたくないのですが、教職関係者らは己のその職責を全うし、キッチリ生きて責任を明確に取れ、アフォ。子供たちを導くべき教職にありながら、自分だけホイホイ簡単に自殺してサッサと逃げるな、このヴォケ。晒し者になろうが、蔑まれて罵られようが、キチンと生きて、そして責任を取る大人の姿をせめて子供たちの目に焼き付て見せろ、このクズが。っと、いう事で、ではm(__)m。