鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

再生への切っ掛け14(そして再生へ8)

 あー、すいませんm(__)m。一日空いちゃいました。ま、相変わらずの低調振りなのですが、秋篠宮ご夫妻のご長男であらせられる悠仁様が、ご夫妻と共に皇居内の宮中三殿の仮殿において、一般でいう所のお宮参りをされたのですが、テレビでそのときの映像を拝見しました。お健やかそうで何よりです。また、秋篠宮紀子様悠仁様のご様子に微笑まれる、あの輝かんばかりの笑顔にも相変わらず癒されています。先週末には愛子様の着袴の儀といい、元々私はガチガチの左向きの人間ではあったのですが、日本人として幾重にも間違っていた事を今シミジミと感じ入っています。いやあ、ほんと、日本人で良かった(遠い目)。

 その一方では、相変わらず自殺に走る子供たちが絶えないわけなのですが、伊吹文部大臣は子供の出す何らかのサインを、兆候を早く捕まえて手を打つよう指示を出しているのですが、前回も書いた事なのですが肝心の現場が延々隠蔽によって『虐め』問題を何も手を打たず放置し続けて、なるがまま、悪化するままにただ呆然とヴァカみたいに任して来ただけなのですから、もう今にも自殺するほどに最悪な状態の学校の教員ほど、その当の子供たちの出すサインや兆候を敏感に受け取る、いち早く見付け出す経験や能力にもっとも欠けているのですよね。この事態が今や泥沼化し始めているのも、至極道理なわけなのですよ。

 当然彼ら、延々とただ何もせず隠蔽するだけであった、今にも自殺するほどに『虐め』の悪化している学校の教員ほど、この泥沼化する事態を沈静に向かわせるための方法や能力、そして何よりも経験に欠けているわけなのですからまったく話にもなりません。ここまで事態を最悪化させ、隠し切れなくなって初めて彼らは、ようやく今初めて『虐め』に真剣に取り組まざるを得ず、ようやく今ごろになって『虐め』にどう向かい合い、そして対処すれば良いかをやっと考え始めたところなのですよ、このアフォどもは。以前から何度か書いてきましたが、私が「アフォは法で縛らない限りは、その事態をどこまでも最悪化させる」という所以がこれなのです。

 現実に、一部の親たちはもう学校に頼る事を早々にあきらめて、事ここにいたっては警察に対して補導を依頼したり、具体的証拠を提示して逮捕を要請するなどの動きを見せ始めています。私は良い判断だと思いますよ。子供もまた、その多くが最近の傾向としていまだ人格も精神もが不安定で不完全であり、学校、教員、そして肝心ところは尻込みするマスゴミなどの様子を見、何ら制約がないと見れば、いわゆるアフォと同じようにただ自らの欲求の赴くままドコまでも残酷に事態を最悪化させます。我が子の命がかかっているのですから、『虐め』に血道を上げるような連中には、子供とはいえ容赦は微塵も必要ありません。いくらでも現実の犯罪行為に相応しい補導歴、逮捕歴などのいわゆる前科を付けてあげれば良いのです。

 それにしても今回のこの事態は、『ゆとり教育』によって炙り出されて浮き彫りとなった現在の学校教育における破綻状態の一端なのですが、中でも今回自殺者が出た学校などは、間違いなく、その破綻した学校教育の中でももっとも最先端を行く無能教員の巣窟、いわゆるダメ学校であるわけですね。アフォな隠蔽には頼らず、積極的に対応して来た学校ほど、今回の事態の渦中には巻き込まれないような、そんな安全な遠い位置にいられるのです。誠実に『虐め』に対応する学校ほど、その対処の方法やそれらの経験の積み重ねによってスキルは高められて来たわけですから、未然に『虐め』を防ぎ切る可能性も格段に上がるのですよね、当たり前の話ですがね。

 実際の教育の現場に長年いながら、彼らのその程度の想像力さえも働かない事には、更にいうなら、ただ単に普通に仕事としてありのままに対応するというその事の意味すら考えた事もないのだろうそのアフォさ加減には、さすがに今更ながらにもシミジミと心から感心してしまいます。まったく、アフォというものは徹頭徹尾、頭の天辺から足の爪先までアフォが詰まっているんでしょうね。こんなアフォな連中に限って、最近の子供たちは規範意識に欠けているなどと、手前のアフォさ加減はどこかに放り出して喚いているのでしょう。そりゃあ、規範意識の欠けた当のアフォが教えるのですから、その子供たちも規範意識がどこまでも欠けるでしょうよ、アフォめ(笑)。

 まったく、ここまで徹頭徹尾クラスのアフォがウヨウヨいる現状を思えば、私が考える教員の2マンセルや3マンセルなんていうものも、結局はアフォの二乗三乗でアフォの度合い、社会の害悪の度合いが深まるばかりなのかもしれません。現実に、我が大阪民国の公立校の教員らは、教職員の勤務評価を教育に対する『不当な支配』で違憲、違法と相変わらず訴えたり、精神疾患を理由にたびたび休職する連中が442人もいたりするわけで、そこにいわゆる同和枠の人権教師などの闇専従なども含めれば、考えるだに恐ろしい現実があるわけです。結局、彼らのそんな現状を更に増長、悪化させるだけのような気もしますね。ほんと、アフォは法で縛らない限り、事態をドコまでも最悪化させますからね(溜め息)。

 ま、単純に現在の教員給与制度を変えて、一般と同じく、実際の勤務日数を給与や賞与査定に直接反映させれば良いだけなんですけどね、元々の話。そうすれば、いわゆる左翼な教師らが平日平然と休んで国会付近でアフォな座り込みをしたり、世界番長の駐留軍を邪魔したりも目に見えて減るでしょう。彼らの構図は、いわゆる在日朝鮮人らの生活保護の構図とまんま一緒ですからね。政府の金で養ってもらって、政府の邪魔、社会が適正な方向に向かうのを日々邪魔している構図ですね。それでいうなら、同和のいわゆる闇専従も一緒ですね。教育基本法改正が強行採決で決まったら、ぜひ、そこら辺りの制度改革にも取り組んで欲しいものです。

 で、前回でも、私は現在の教師はスタンド・アローンな、一昔前の職人のような、個々がそれぞれ孤立状態で仕事をしている事を述べたのですが、こうなりますと、その個人個人で積み重ねられた長年の教育現場での知識と経験が他者には受け継がれ難く、また、誰にも受け継がれる事なくその教師の人生の終焉と共にそのまま無に帰する可能性も非常に高いわけです。まさしく、現在一般社会でも問題となりつつある、技術継承断裂の危機的状況とまったく同じ構図であるのですね。教師の2マンセル、3マンセルは、その教育現場での長年の経験に裏打ちされた教育技術とそのための知識の蓄積の継承を促進する狙いもあるわけなのです。

 それら知識と技術の継承の観点からも、その基本的組み合わせは経験豊富なベテランとルーキー、いわゆる新人との組み合わせが望まれますね。ま、3マンセルの場合は非常勤を含めても良いでしょう。教師の2マンセル、3マンセルのその意味は教員の負担軽減と人件費の削減、そしてよりきめ細かい生徒らへの教師の目配りの行えるその体制作りがその根底にはあるのですが、同時に、教師らの持つ経験に裏打ちされた知識と技術の継承の点でも大いに意味があるわけなのです。授業自体も、2マンセル、3マンセルで行う事でそのバリエーションが確実に拡がるでしょうし、問題行動を取る児童に対してもより対応がしやすくなるでしょう。

 ただ、人件費の面ではベテラン教員の側をせいぜい2割、頑張って3割ぐらい減額するのが限度なのかもしれません。教員らもそこは必死に抵抗するでしょうし、あまり士気を挫くような事態は新しい事をするときには避けねばなりませんからね。勿論当初は、主に一刻も早い規範意識の醸成が望まれる小学校低学年をターゲットの中心に据え、実験的に一部の学校で試験的な導入となるでしょう。それによって、実際に様々な問題点を浮き彫りにし、更にそれらを具体的にすり合わせをやって制度自体をより現実的なものに改良し、その費用対効果も学校的に特に問題なし、普通に問題なし、問題ありな3種類の学校ごとに評価できねばなりません。勿論、3マンセルは問題ありな学校で試す事になるでしょうね。

 うーん、ざっとですが、こう文字に書くと簡単に書けるのですが、実際これを実現させるとすると見るからに大変な気がしますねえ。単純に考えても効果は比較的出やすいものですし、人件費の削減以外は教員らにとっても不利となる要素はありませんから、アイデアとしては悪いものではないと思うのですけどね。しかしアプローチの仕方なら、以前自民党総裁選で麻生太郎氏の提案した義務教育の前倒し案、幼稚園時の早い時期での規範意識の醸成と基礎的分野、語学の国語や英語、算数などの基礎の習得を目指す方法もあるのですが、時間的には教師の2マンセルや3マンセルの方が試験導入から実施までの期間は短いでしょうね。勿論、戦略的に両方導入を目指すのも十分「あり」ですけどね。

 ま、それでもこれらは今までの学校教育では考えられないほどに、もの凄く攻撃的な学校編成改革案になりますから、アフォなお役人は間違いなく尻込みするでしょうけど(笑)。児童らの授業態度が早期に落ち着けば、そこからは複数の教師による密度の高い授業が望めますから、確実に子供らの学力は向上すると思うんですけどね。うーん、ま、与党にも日本の教育が混乱していたほうが良い一部特定勢力、公明党バイ創価学会がいますからねえ。あの連中には、以前教員らに対する罰則規定法案を参議院で骨抜きにされた前科がありますからね。うーん、やっぱり妄想で終わる話かもしれませんね。

 ま、自民党参議院単独過半数を取るまでは、大人しく妄想でもしときましょうかね。ホルホルホル〜♪ っと、いう事で、ではm(__)m。