鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

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『9・11』に『民主党がセ・メール問題』を思う5

 そういえば、秋篠宮紀子様悠仁親王殿下が、無事に御退院されましたね。一部の特定勢力には非常に面白くないのでしょうが、母子共に御健勝にあられる御様子で何よりです。テレビでそのときの御様子を拝見いたしましたが、秋篠宮殿下と紀子様、お二人の幸福そうな輝かんばかりの笑顔に、心洗われるような心地がいたしました。やはり、この「『日本国』には、『皇室』の存在が、まだまだ必要不可欠なのだ」と、私などは強く思い知り、再認識した次第。まあ、特定の方々には、我々とは別の思いもあるのでしょうが、ま、はっきりいって知った事じゃあありません(笑)。悠仁殿下の御名前の意味し示唆するように、幾久しく、この『日本国』において、この世界稀なる『皇室制度』が連綿と受け継がれて行きますように(祈り)。………さて、では昨日の続きです。

 某氏のあの怪メール工作の影の黒幕の最も狡猾なところは、その内容が、自民党武部氏だけにではなくそのご子息に容疑の焦点を向けている事、そして暴露させる相手にあの永田氏を選んでいた事にあります。武部氏のご子息という一般人に容疑の焦点を向けさせる事によって、前テカさんの最後の切り札といえる『国政調査権行使』の議論においても、そこに固執する余り、前テカさんは自身のイメージを著しく貶める結果となりました。その上、選ばれた永田氏は、国会での素行に著しく軽率な行動の目立つ人物で、簡単かつ安易に暴走する人物であると同時に、若手民主党議員たちの人望を自身の拠り所とする前テカさんにとっては、例え永田氏が信じられないほど無能であっても容易には切り捨てられない存在でした。

 前テカさんが、そして当時の民主党執行部が永田氏の国会での怪メール暴露を承認していようがいまいが、例えあれが永田氏個人の暴走であったとしても、前テカさんは、その管理責任の観点からも、軋轢ある民主議員勢力の手前、揚げ足を取られぬようにそれを追認する以外に選択肢はなく、そして、泥沼にはまって行くように、例え永田氏を忌々しく思っていても、若手の支持を背景としている前テカさんには、彼を即座に切り捨てる事は出来なかったのでしょう。それらのことを勘案してもわかるように、『なぜ、永田氏だったのか』ではなく、黒幕にとっても、そしてその走狗たる某氏にとっても、誰よりも、軽率で簡単に暴走する考えなしの『永田氏でなくてはならなかった』といえるでしょう。

 私は、前テカさんは「小泉総理のように、という、一種の憧れのようなものを感じていたのだろう」と思っています。自らに相対する勢力を次々に駆逐し、時に独善的と非難されようと、己の信ずるところに殉じるかのようにして改革に邁進する総理の姿は、前テカさんにとって憧れ以外の何物でもなかったと思います。しかし、所詮彼は、民主党に降臨した『ミニ小泉モドキ』に過ぎない、『小泉モドキ』にも劣る存在であったといわざるを得ません。なぜなら彼は、小泉総理の影の部分、必要とあれば誰であろうと、盟友であろうがなんだろうが非情なまでに切り捨てる、その影の部分をまったく継承してはいなかった、或いは、全く見ていなかったのです。

 あの当時の、あの追い込まれていた状況では、『これは酷に過ぎる』とは我ながら思いますが、やはり前テカさんは、戦いに関する限りその『怖さ』の認識が甘過ぎました。戦場では、前から弾が飛んでくるだけとは限りません。ましてや前テカさんは、旧来の民主議員という抵抗勢力、内なる敵『内憂』をあのときに抱えていたのです。そして戦いにおいては、ときに無能な味方は、よほど有能な敵にをも勝る甚大な被害を味方にもたらす事を、前テカさんはもっと真剣に知っておくべきでした。厳しいようですが、そこが、前テカさんが『ミニ小泉モドキ』にしか過ぎないゆえんでもあるのです。

 永田氏があの怪メールを炸裂させた直後から、小泉総理は幾度となく、恐らくは、前テカさんに向けてであろうサインを送り続けていました。あの怪メールは『ガセ』であり、そして、これは前テカさんを嵌めるための『罠』であり、とにかく一刻も早く『永田氏を切れ』といわんばかりに、それはもう何度も繰り返しにです。総理には、あのときすでに、大体の事のあらましが見えていたと考えて間違いないでしょう。国会が『メール問題』で大きく空転し、前テカさんはその事が大きくなった責任を追及されて代表を引き摺り下ろされ、同時に、深まり、激化するはずだった未開の土地『公務員制度』で繰り広げられるはずの2大政党による『開墾(改革)競争』が、それと共に棚上げされて一夜の夢と消えさる事さえもが、きっと総理の目には見えていたのでしょう。

 もし、あのとき、あの総理のサインを受け取って、前テカさんが永田氏を即座に切り捨てていたのなら、前テカさんの若手からの人望にはそれなりの傷が付き、同時に管理責任をも追及され、更には旧来の民主議員らの妨害工作も激化したかもしれませんが、『2大政党による公務員制度改革競争』というその余りに巨大で大きな功績は、その後永く日本政界の歴史に燦然と刻まれ、それによって、前テカさんの失点が、それがどれほど、色々な意味で痛くつらい傷であろうと、いくらでも後で回復する事が出来たでしょう。ですが、前テカさんは幾度も出される総理のサインのそのことごとくを華麗にスルーし続け、ただ、その傷だけをいたずらに深めていきました。

 さて、あの怪メール、前テカさんを最終的に陥れると同時に、戦いを知る自民党側を足止めする役割も果たしています。戦いにおいて、相手に何らかの怪しい動きがあるときには、まず身を固め、情報を分析し様子を見て相手の意図を見極めねばなりません。要するに、攻撃するにせよ防御するにせよ、或いは静観するにしても、何らかの行動はそれができてからの話です。戦いの意味を知る、その怖さを知る自民党相手であるからこそ、逆に、あの怪メールは、そこ(マスコミ)に存在するだけで非常に有効な足止めの役割を果たしたわけです。そして、その自民党の非常時に備えた体制があったからこそ、小泉総理は炸裂した怪メールに対し、即座に『ガセ・ネタ』と断じる事が可能であったのでしょう。

 それにしてもあの怪メールは、その存在の意味においての巧妙さに比較すると、余りにもその造りが雑で、そして非常に稚拙な代物です。それについて私は、前回、まず単純に『時間がなく』、また『如何にも某氏は金目当てで、背後関係のないただのチンピラ』というカバー・ストーリー造りである事と、そして『マスコミに、真剣に取り上げられる事がその真の目的ではない事』などをすでに述べました。

 しかし、私は、それらに加えて更にもう一つの意味を見出しています。それは、マスコミ数社を巡るという行動が、この怪メール工作自体が、どれほどの成功率を持つかを見極め、そしてその率を高めるための、いわば試行錯誤のための実地試験でもあったという事です。ただし、やはり根本的にはそのための十分な『時間がなく』、やむなく、完成度は低いがギリギリであるあのラインで妥協する事にした、というのが本当のところだと思います。ありもしない口座や証人なども、その過程で、成功率を補強するために徐々に付け加えられていったのでしょう。そう考えると、私にはストンと、あれやこれやの全てが収まるところに全てすんなり収まります。

 しかし、そう考えて行くと、これほど巧妙かつ大胆でいながら、細心の注意をはらって計画されたこの怪メール工作を計画したのは、さあ、果たして誰なのでしょう…って、「もう、登場してるジャン!」とかの突っ込みはなしの方向で(笑)。

 すいません。長くなりましたので、また『つづく』という事にm(__)m。