鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

再生への切っ掛け

 今日は、二週間に一度のカウンセリングに行ってきました。私がいっているクリニックは、私鉄キー駅の商店街のすぐ脇にあり、その場所柄からも妙に繁盛しているのですが、予約制で客、というか患者の回転は良いはずなのですが、結構待合では、その他の患者さんと一緒になる割合が多いのです。繁盛する精神系のクリニック、というのも、どうよ? と、その度私は良く思うのですが、まあ、それだけ世間にストレスが蔓延しているのでしょう。

 で、まあ今日も行ってみると、やはり他の患者さんと待合で一緒になったのですが、今日は珍しくそのうちのお一人に話しかけられました。ちょうど祭の山車が商店街を練り歩いており、その、てんつくてんつく打ち鳴らされる祭囃子が一際大きく聞こえて来たとき、その妙齢のご婦人の患者さんは私に話しかけてこられました。「お祭ねえ」「ああ、…ほんとですね」「もう、そんな季節なのねえ」「ええ」と、そんな具合に他愛なく、その会話は始まりました。

 ややあって、「この年になると、もう、腰がねえ」と、至極ありがちな展開で会話は続いたのですが、多少その辺りには心得があったものですから、割と簡単な腰痛対策の運動や、腰を痛めないための体の動きや心得を一通り話すと、ご婦人には驚いたようにいわれました。「もしかして、お医者さん?」「いいえ、違います」と、苦笑するしかなかったのですが、そこから、以前自転車部品の開発や電気店、引越し業やトラックターミナルのプラットホームでの経験など、腰に詳しくならざるを得なかった事を説明しました。

 「ああ、なるほどねえ」と、まあ、ご納得いただいたのですが、以前電気屋に勤めていた事から、最近調子の悪いお家のエアコンについてのアドバイスを求められ、私は本来テレビとビデオ、ムービーなどのAVの森の住人だったのになあ、と、思いながらも、どうやら話を聞けばかなり古い年式である様子なので、最近の機種は比較的値段が安く、省エネで電気代も昔のものよりもずっと安く済むので、現在お使いの機種を聞き、その機種ならば、とお勧めのメーカー二つ三つを教えて差し上げました。

 「まるで電気屋さんみたいねえ」といわれて、だから電気屋だったんですってば、という言葉を飲み込んだところで、ちょうど名前を呼ばれ、では、と、その別れ際に微笑みと共に「ありがとうねえ」と、お礼の言葉を何だか自分でも久しぶりに頂戴しました。かつては一時期、毎日当たり前のようにしてお客様にいわれて来た言葉でしたが、久し振りに何気なくいただいたその言葉は、今の私には妙に新鮮に感じられました。まあ、当たり前といえば当たり前の事なのですがね。

 それでも昔、ガチガチの左向きな人間であった頃は、自分が金を払う客の立場であったなら、今とは違って、「ありがとう」と口にする事は極稀な事であったような気がしています。今から思えば、人として、というよりは、何よりもこの国に住まう日本人として、大事な何かが、明らかにあの頃の私には欠けていたのでしょう。ま、その後、赤の他人をお客様として接客する立場になり、「ありがとうございました」が日々当たり前になり、お客様からの「ありがとう」を日々頂戴するそんな日々を私は送ったわけです。

 その接客する立場からいわせてもらえば、お客様からの「ありがとう」の言葉ほど、当人にとって仕事への励みとなり、活力になるものもなかったような気が、今はしています。お金は所詮は自分を素通りし、そして会社に入るものでしかありませんでしたが、お客様からの「ありがとう」だけは、他の誰でもない、当の接客した自分自身に向けられたものであったのです。たった一つのその言葉で、次も、明日も、と思えたころが、今は酷く懐かしい気がします。中国人の老師と、自転車部品の会社と袂を分かち、純粋に商売に身を投じたあのころは、本当に毎日が新鮮でした。

 他愛のない「ありがとう」のその気持ちと言葉が、今また、こうして私の心に染み入るように響いているのです。そんな何気ない言葉のやり取りこそが、今現在のこの日本には、日本の再生には必要なのかも知れない、と、しみじみと今、私はそんな気がしています。「ありがとう」の一言で、確かに回るものが、この日本社会には今も昔もあるのです。案外、再生への切っ掛けというものは、或いはそんな日常的な、他愛もないところにあるのかもしれない、と、私は今思っています。ではm(__)m。