鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

唐突に武術の話、再び(笑)

 ま、気分の乗らないときには、無理からでも乗りそうな話という事で、武術の話、再び(笑)。という事で、以前、武術と格闘技の違いを述べ、格闘技に比べて武術と呼ばれるその古来からの優れた技術体系は、残念ながら現在の日本においては緩やかに衰退しつつある旨述べたのですが、それには、その習得環境的にも、また、使用環境的についてもどうしても致し方ない側面があるのです。

 現在、日本古来からの格闘技と呼ばれているものの多くは、元々、明治のころに、それぞれ古来からの武術の一分野を切り取るようにして派生したものであるといえます。中でも空手、柔道、剣道が一番ポピュラーなのですが、それらはみんな武術と呼ばれる技術体系のほんの一分野を取り出し、競技として確立する過程で更に多くの技術、主に非常に危険で、ある意味非常に陰惨な部分を削ぎ落として来たのです。

 本来武術、或いは古武術と呼ばれるものの多くは、あらゆる環境下においての生き残り、サバイバルを追及して確立して来たものでした。その基本理念は、とにかく生き残る事こそが最重要課題であり、自然、社会的規範や社会的倫理観からも遠く離れる事が多く、当然ながら、あらゆる武器についても網羅していなくてはなりませんでした。日本でいうなれば、鉄砲などの砲術に始まって、弓、槍、刀、投石、手裏剣、暗器(いわゆる隠し武器ですね)そして素手による格闘、いわゆる打撃や投げ、関節技と、それらすべてを一通り体系的に学ばねばならなかったわけです。

 当然、それらすべてをひっくるめた戦闘術のみには留まらず、更には様々な治療法や野山などの自然環境下での食料の確保の方法などから、果てはその生活習慣に至るまでのいわゆる現在サバイバル術といわれる方法をも含んだ、いうなれば総合的サバイバル術であったわけです。しかし、江戸時代においてはその初期にまず、砲術、弓、槍などのいわゆる遠間の武器は法で公共の場で普通に携帯する事を禁じられ、自然、古武術はそれらを除いた特に剣術が重視されるようになり、その後明治においては今度は刀が携帯を禁じられ、ゆえにその剣術が今度は衰退して行く様になりました。

 ま、明治の世になってからは、そもそも建前上戦闘に特化した社会的地位である武士の身分自体がなくなってしまいましたから、昔のような総合的サバイバル技術の武術や古武術自体の、その非常に広範囲に及ぶ技術体系の継承維持自体が困難となって行ったのです。それには、幕藩体制崩壊による各地大名という、巨額の資金によって武術界を支えて来たパトロンたちの存在がなくなった事がその大きな要因であった、といえるでしょう。ま、いつの時代も、武術というものとかくは金銭にはなり難いわけですね。

 その結果として、武術や古武術の多くが野に埋もれ、そのまま伝承者の死とともに消えて行く事が非常に多かったのです。せっかくの優れた広範囲に渡る武術や古武術のサバイバル技術の体系も、世の中でその威力を発揮する機会が法治国家となり、平和の世になってしまって激減しては、それを継承しようとする人間が減るのは避ける事ができなかったわけなのですね。第一、基本的には敵を排除して生き残る事に特化した、ある意味自己完結する技術体系であるわけですから、当然社会的生産性には薄く、よって平和な時代の生活に寄与する金銭にはなり難いものであったのです。ま、せいぜいが小さな道場を営むのが精一杯であったでしょう。

 また、明治以降、世界に追い付け追い越せで、西洋式の運動法が軍隊を始めとして、特に学校で取り入れられ、子供たちの教育に使用された事も古武術が衰退する事に大きく関わっています。古武術の基礎である基本的な歩法、いわゆる「同側」といわれる、歩くときには大きく手を振らない、わかりやすくいうと、歩くときに手足が互い違いにならない日本人古来の歩法が、西洋式の歩法を積極的に取り入れた事によって衰退した事も、古武術の衰退に大きく関わって来たのです。動作の基本が変わったわけですから、古武術の動作の意味を理解する上でも非常に困難となって行ったわけですね。

 ま、日本人は基本的に新しい物好きであり、新しいもの取り入れるとそれを更に改良したがる魔改造大好き民族ですから、西洋文化の吸収とそれを更に日本流に魔改造するのに忙しく、明治、大正、そして昭和の戦前戦後ぐらいまでは、武術や古武術にとっては非情なまでに冬の時代であったわけです。しかし、明治の文明開化から先の大戦で敗北した後の必死な時代を経て、およそ百年以上もの間西洋式を魔改造してまで夢中になってみたものの、最近、平成の世になってはいささか事情が変わって来ました。

 元々、体格も身体の能力も違う白人や黒人らに適した西洋式が、昨今日本人の体格や身体能力も向上して来たものの、それでも、いわゆるチャキチャキのモンゴロイドの日本人には、いくら日本人に合わせて魔改造してみても「なんか、違わなくね?」と、当の我々日本人がそう思い始めたわけです。そして武術や古武術もまた、長く厳しい冬の時代を経て、いささかその存在、そのあり様自体にも大きな変化の兆しが現れています。

 いわゆる、生き残りのためだけの殺人技術としてだけではなく、その極限状況下での身体運用法、裏を返せば、非常に合理的で極端に無駄のない日本人に適した身体運用法を、広く世間に知らしめ活用してもらえる様な、そんなこの平和の国、現在の日本に適した形へと変化を遂げつつあるのです。いわゆる陸上競技や水泳、バスケットボールやサッカー、野球などのスポーツに留まらず、空手や柔道、相撲にレスリングなどの格闘技界においても、古武術が持つその優れた身体運用法が再び注目され、そして昨今取り入れられつつあるのです。

 そしてそれだけには留まらず、何と医療の現場、介護の現場にあってもその優れた身体運用法は現在盛んに取り入れられ始めています。ま、一つのモデルケースではあるのですが、古武術研究家であられる甲野善紀先生などは、いわゆる古武術の伝道師として、従来の細々と道場を構えるぐらいしかなかった武術や古武術のその形態を今現在変えつつあるのです。実際に公演を開くなどの生活の糧となり、広く多くの人々に運用され認知される事によって、今再び、武術や古武術現代日本に復活するのやも知れません。ま、いまだ一つの可能性にしか過ぎないのですけどね。

 ただ、残念な事にかつての武術や古武術の持っていた、その禍々しいまでの先鋭的な牙の様な恐るべき部分は、果たしてこの先ドコまで残るのか、というと、あまり見通しの良いものとはいえない気がしています。基本的に平和の世では、どうしても、やはりその禍々しさは薄れて行くものなのかも知れませんねえ(遠い目)。っと、いう事で、ではm(__)m。