鬱で凡愚なド外道のリハビリraki6104’s blog

日々の雑談を、余裕のある時に、できるだけ(´・ω・`)

田植え祭が始まり一週間

 昨日のエントリーを読み返してみたのですが、鬱のベールの中で書いたからなのか………ま、元々、そんなたいそうな内容や見事な書式の文章が書けるわけでもないのですけど、それでも、細々と修正したり付け足したりの幾度もの書き直しで、かなりカウンターを自らの手で回してしまったような気がしています…orz。まだまだ、手直したい欲求はありますが、ひとまずは、自分自身が許容できるレベルにようやくなりました(笑)。

 例の『田植え祭』がネットで始まってからというもの、狗…NHKでは、政治関連に特化して「可能な限り伝えない、報じない」という姿勢が、先の一週間では顕著に現れていましたが、このリアクションが、7時のニュースしか見ていない私には、単なる様子見であるのか、或いは、祭の影響で、その何らかの意図や要因によって今はそうせざるを得ないのか、今ひとつ判然とはしていません。

 ま、その他の時間のニュースをも網羅して視聴すれば良いのでしょうが、現在、鬱の私的に、それは苦痛以外の何物でもないので、今はとてもそんな事はしたくないですし、現実にできません…orz。

 しかたなく『田植え祭まとめwiki』で、先の一週間の田植えの様子をうかがう限りでは、どうやら、他局…民放においても、状況は似たようなものであることがうかがい知れます。どうも、この「可能な限り、伝えないし報じない」という姿勢は、放送業界の横一線の動きであるような気がしています。勿論、実際に多くの番組を視聴しての結論ではなく、知り得る状況のみを継ぎ接ぎしての極一面的な結論ですから、今の段階では、これこそ単なる妄想に過ぎないのですけどね(笑)。

 ただ、これが本当に、業界内で意思統一された横一線の動きである、とすれば、こんなに気持ちの悪いものはありませんね。まるで報道管制がごときこの動きは、少なくとも、「報道の自由」を標榜する彼ら自らのその立場を、彼ら自らの手で貶めるものです。ま、彼らはそんなことは微塵にも考えておらず、ただ単に、以前にも書いたように放送したくてもできなくなってしまっているのかも知れませんけどね(笑)。

 しかし、この動きが続くことを考えると、単純に、特に民放が依存してきたセンセーショナルに取り上げ、それによって、より効果的に偏向を加える手法が多用できず、最終的には、各番組自体がそれぞれの個性を主張することが難しくなるわけで、無個性、無批判、を標榜するNHKのような番組が増え、それこそ、NHKですらも「可能な限り、伝えないし報じない」ことによって、格段に、ニュース番組としてのその価値を現在落とし続けていますから、このままなら、ただそれだけで、一層の視聴者のテレビ離れを促進する事になりますね。ま、仮定ばかりで妄想そのものですけど(笑)。

 これを維持することは、思いの外、彼らテレビの中の人たちに強いストレスを与えているのでしょうね(笑)。全くの野放しから一転、一気に制約されて、しかも、この祭は視聴者らからのいわば告発であるのですから、彼らが標榜して止まない「報道の自由」以前の決まり事である放送法によって縛られているのであって、これを一方的で不当な規制と呼ぶことは、かえって、自らのその首を自ら絞めることにもなりかねません。何せ、彼らに現在クレームをつけているのは、彼らの建前上、真のお客様であるはずの視聴者様たちであるわけですからね。

 彼らの真のスポンサー様は、日本社会という富の循環サイクルの集約機関である企業や金融機関などであるわけですが、結局、その背後にいるのも我々ひとり一人の視聴者であるのですが、長年、彼らにとっては、彼ら選ばれた者たちが善導すべき単なる愚民の群れにしか過ぎなかったはずの視聴者に、今や、今までないがしろにし、搾取し続けるために騙し続けたそのツケを支払うように強要されるのですから、そのストレスは想像に余りあるものでしょうね(笑)。ただ単に、正しく放送法を守っていれさえすれば、我々視聴者の利益になる以前に、彼らのその身分も地位も延々と保証されたのですけどね。

 昨日も書きましたが、現在のマスコミのそのビジネス・モデルは、単純に、情報のグローバル化や一般普及化がネットによって引き起こされてしまった現在では、すでに、その高い人件費を維持し購わんがための組織のエリート化、また、そのための組織のダウンサイジングによる効率化を目指すことでは、現在のネット社会の中では、日々、自由なネット社会の中で情報の精度化を繰り返し、そして磨き上げ続けているネット・ユーザーらの進化し続けるそのニーズには、対応する以前に、その進化スピードに追い付くことすらもできないのです。

 ならば、その物理的に人手不足な放送業界に対しては、更なる負荷をかける、人手を要するような手間と時間をかけさせることこそが、今一番の彼らの弱点であるような気がします。そう考えると、現在の放送業界は、他のマスコミ業界にその取材力をコストを支払うことで依存しています。番組内で取り上げる新聞記事や雑誌などの記事などがそうです。しかしこれら、ペーパー・メディアは、そのビジネス・モデル上偏向する事が許されています。偏向記事を買わないことで、我々が拒否することができるからです。

「では、果たして、その偏向の許された情報をソースにして、不偏不党の中立な放送など成り立つのでしょうか?」

 うーん、疑問形よりも、否定形で終わっていれば、案外、余計な一手間をさらにかけさせられるかも知れませんね(笑)。しかし、私にとって、民放のニュース・バラエティは視聴のハードルがもの凄く高いのです(溜め息)。ま、ちょっと思いついただけなのですけどね(笑)。ではm(__)m。